第21話:米国株の売買開始

文字数 1,337文字

 リチャードは1980年1月に金価格が価格上昇押してきたのでを1トロイオンス31.1g、890ドルで346kgを売り990万ドル得て小説の印税3億円と990万ドルとなった。その後、安田商会投資部門でアメリカ株の売買を始めた。1980年4月14日、投資予算200万ドルでAMDを1株2.38ドルで72万株を171万ドルで購入し残高が29万ドルになり、11月24日に全株を6.92ドル、総額527万ドルで売り、残金が527万ドル。

 その後、また、AMDが下がってきたので1981年9月21日に1株2.6ドルで160万株、416万ドルで買い、残金が111万ドル。9月24日に700万株を1820万ドルで購入した。そこで、リチャードが、一度、安田商会を退社して、リチャードが、会社立ち上げて、顧問契約を結んで、投資アドバイスする形にしたいと良い、売買利益の5%を報酬として欲しいと会社に提案すると、安田正吉社長が役員会にはかって、数日中に答えると言った。

 数日後、報酬を利益の5%として投資顧問契約を結ぶと連絡が入り1982年1月1日から、契約を結んだ。その後、安田正吉社長が、投資部門の利益に驚き1983年1月1日から投資部門の予算を1千万ドルから5千万ドルに引き上げる事にした。1980年代は「メイド・イン・ジャパン」が世界的に評価され日本製品の全盛時代になった。更に、円安・ドル高傾向の追い風を利用し、家電製品や半導体等のハイテク分野でも世界の市場、特にアメリカを席巻していた。

具体的にはソニーウオークマン、パナソニックVHSビデオ、任天堂のファミリーコンピューター、車はトヨタ、ホンダ、ニッサンで勢いのすごさでエコノミック・アニマルと呼ばれるほどだった。これに目を付けて安田物産橫浜支店に大学を卒業した若い、安田健一、安田哲一を派遣して日本の製品でも特に付加価値の高い物や高級品を選び出して、その特長を書いたパンフレットを作成し高性能、高価格商品の販売に注力した。円安も手伝って高額商品の売れ行きは順調で、どこが優れているか、どう使うべきかなどを詳しく書いた。

 英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、イタリア語の小冊子を安田物産の商売先に配って回った。その後1975年に安田一族の子孫達が続々と大学を卒業して安田物産に入社し安田秀夫と安田恒子と安田富子の3人は日本のまだ知られていない良い商品を発掘するため日本全国を歩き回り、高級メガネ、絹織物のカバン、バッグ、ハンカチ、ネッカチーフ、刃物、ハサミ、漆器、木工製品など多くの商品を探しあてた。

 安田商事の顧客に、国語の翻訳し詳しい冊子をヨーロッパ、アメリカの富裕層に送り売上が上がり利益も増えた。特に1980年から85年の円安の時は、安田ファミリー総力を結集して、日本の良いものを世界中に売りまくり、年間の純利益が10億円を越えるまで増えたが、とにかく出張、資料作り、上客の接待、訪問販売活動に忙しい毎日を送っていた。その後、プラザ合意で円安是正で先進五ケ国・米、英、ドイツ、フランス、日本が協調介入して無理矢理、円高方向にしたため日本の優秀な商品も値段が上がり今まで程の利益を上げられなくなった。
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