第28話:安田商事の若手の投資専門家育成へ

文字数 1,332文字

 1995年4月5日にリチャードの資産が5百万ドルと2億円となり、カリフォルニアに支店をもつ米国ユニオンバンクが日本の三菱UFJ銀行のグループ会社とわかり、リチャードの円預金2億円を全て移動し、日本に行った時に、その預金を三菱UFJ銀行の口座に移す事を決めた。

 安田商店・橫浜支店の安田太郎支店長に電話を入れ、5月7日に行くので、優秀な学生を募集と神奈川県で便利が良くて、安くて広い土地を探すのを手伝ってもらうように、お願いすると。できるだけ協力すると約束してくれた。

 5月7日、成田に到着し、橫浜へ行きホテルニューグランドに泊まり、5月8日に安田太郎支店長に会い、橫浜市で聞いて見ると、学生用の寮であれば、市街化調整区域、農業専用地でも建てられ、橫浜市では、緑区、港北区、栄区、戸塚区、青葉区に農家が多いと、教えてくれた。

 各区役所に電話して、事業を話すと、港北区に、大きな農地を手放したいと言う人がいるのでと紹介してくれた。小机の近くに住む、清水岩男さん74歳で連絡すると、来てくれれば、交渉したいと言った。そこで、リチャードと安田太郎支店長が夜7時に清水岩男さん宅に行った。そして、清水さんが、分割で買って欲しいと言われ、広さが400坪で1千万円で譲ってくれると言ったので、購入することにした。

清水さんに、お礼を言って、失礼した。翌日、5月9日に、安田太郎支店長が、木造3階建ての住宅メーカー数社に、連絡をつけると、IFホームが、話に乗ってくれ、宣伝させてくれれば、広告宣伝費の分を差し引いて、建築すると言い、総額1億円であるが、広告宣伝費で5千万円で、実際には6千万円で請け負うと言ってくれた。

 ハイエースを5台で1千万円総合計8千万円で、建築してくれることになった。工期は3ケ月というので、早速、5月15日から建設開始することもらうことにした。費用は、リチャードの2億円から支出することにして、残金が1億2千万円となった。その後、入寮費、1室10畳で3万円とする事で決めた。その条件で応募してくれるように
、お願いした。

 その後1997年5月にリチャードの長男・ハロルド、がサンディエゴ州立大学の経済学部を卒業して、安田商事に入社してきて、投資部門で働き始めた。1999年5月にリチャードの次男・トーマスもサンディエゴ州立大学の電子工学を卒業して安田商会・サンディエゴ支店に入社し、パソコンを束ねるシステム作りのためコンピューターシステムエンジニアとして活躍していくようだ。

 近い将来に必要となってくる、安田商会の世界中の支店をつなぐ、コンピュータネットワークを構築する夢を実現させる様にと、思い描いた。安田商会、サンディエゴ支店の、投資部のスタッフが8人になったので、事務スタッフとして2人の女子事務員を雇って合計10人になり、部屋が手狭になった。

 その後、安田商事の安田健一社長から、投資部のリチャードの活躍で多額の利益を産みだしたことに対して、功労金として百万ドルのボーナスに与えて表彰してすると連絡が入り、今後、投資の時間以外は、自由にして良いと社長に言われて、米国市場が米国東部時間14時に終了するので14時以降は自由にして良いと言う事になった。
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