第6話:恐慌時に船を買う

文字数 1,436文字

 しかし日露戦争では、全く賠償金がとれなかったので国内の景気が落ち込み、日清戦争の賠償金を使って融資した会社がつぶれたり貸したお金の回収が困難になったりして。1907年に米国から始まった恐慌が日本でも始まった。日本では日露戦争の後だったので戦後恐慌と呼ばれた。一方、退職後の安田家では1909年、安田亀吉の長男、勝一が元町中学2年と次男の勝二が元町小学校の5年生になった。

 2人とも、いたずら盛りで喧嘩して生傷が絶えなかった。それでもジェームズ加藤に、英語の手ほどきを受け、簡単な英会話をマスターし算数は親譲りで2人共、計算が速かった。勝二は絵が上手で、山下公園やホテルニューグランドの絵を描いては、小学校で張り出されているようだった。1910年頃、フランクリン商事のジェームズ加藤が安田亀吉に欧州でドイツとイギリスが対立して、何かあれば、戦争になるかも知れないと当時の世界情勢を教えてくれた。

 すると亀吉が欧州で戦争になれば、物資がいる、
「戦争で不足する物と言ったら何かとジェームズ加藤に聞いた」するとジェームズ加藤が
「戦艦、つまり船が足らなくなると答え、安田亀吉も確かにと相槌を打った」。
安田亀吉がジェームズ加藤に橫浜商人で船を多く持ってる人は聞くと、しばらく考え
「浅野総一郎が、多くの船を持っていると答えた」それを聞き、安田亀吉がジェームズ加藤に
「ぼろ船でも良いから1隻、2~3千円で買う交渉の橋渡ししてくれないか」と言った。彼は、わかったと言い、
「浅野総一郎が、この話にのったら安田亀吉さんを浅野総一郎に会える様に手はずを整える」と言ってくれた。

 その後ジェームズ加藤が安田亀吉の所へ来て、
「この恐慌で、価格次第では2-3隻の船なら売っても良いと話した」と連絡してきた。3日後、1910年12月に安田亀吉が正装してジェームズ加藤と一緒に浅野セメントへ乗り込んだ。ノックをして部屋に入り安田亀吉が挨拶をした後、浅野総一郎が安田亀吉の顔を見るなり、「君、もしかして原善三郎の亀屋で働いていた番頭だろう」と言った。

 すると、
「はい、その通りと答えると、それなら話は早い、ところで今日は何しに来た」と聞くので、
「使っていない船があったら欲しい」と言うと、
「不況のさなか何故、船なんか買いたいのかと聞いた」そこで
「不況で安く手に入れからと言うと生糸と同じで暴落の時に買えと言うことか」と笑った。

「金は、いくらあると浅野に聞かれ、逆に、いくらなら売ってくれますか」と迫った。すると、
「何隻、欲しいのかと聞くので2-3隻と言うと何とかなるが1隻7千円で売る」と言った。それに対して。
「冗談じゃないですよ、景気の良い時なら、いざ知らず」、
「今の不況では高過ぎますと突っぱねた」

「5千円なら買うと言うと手形は何日かと聞かれ亀屋を辞めたので手形は使えない」
「だから現金と答えると、浅野の顔色が変わった」
「現金かと、ほくそ笑んだのを安田は見逃さなかった」
「安田が、もちろん船員もつけて下さるんでしょうねと言うと浅野は大笑いした」
「亀屋の番頭は、きつい商売する男だと聞いていたが厳しいなと言った」
「わかった人助けだと思い、その条件をのもうと言った」

 その後、すぐに契約書を交わして3隻の船と航海士3人と3人の船員をつけてくれた。
「今年中に入金しろと浅野総一郎が言った」
「きつい商売しても、約束は絶対破りませんと啖呵を切った」
 そして浅野と安田は、固い握手を交わし、浅野セメントを後にした。
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