第20話:リチャードの予感

文字数 1,356文字

 リチャードは1971年8月15日にニクソン大統領から発表された米国が金1オンスを35米ドルと決めていた金本位制を破棄すると言う宣言を聞いてドル安誘導に向かうと予感した。これで日本も1ドル360円の公定相場が終わった。リチャードは経済の勢いのある国の通貨が上昇する考え真っ先に日本円が強くなるのを予感した。個人資産の20万フランを1972年に13万5千ドルに替えた。1971年にリチャードがサンディエゴのカリフォルニア大学サンディエゴ エクステンション・UCSDを1971年に卒業した。

 リチャードはニューヨークのウオール街の大手投資銀行に勤務し株の売買の方法や為替、商品取引の仕事をした。1979年1月に安田商事の安田正吉社長が、今後、投資事業を新たに始めたいと言い部長待遇で給料は年収12万ドルで入社を誘われ入社した。そこでリチャードは投資事業を任せてもらえるなら入社すると言った。そして安田商事・サンディエゴ支店にオフィスを借り事務の女性職員1名と投資アシスタントの男性2名をつけ仕事を始めた。1979年3月から投資業務を開始して安田正吉社長が投資資金として500万ドルを用意した。

 その当時、電話回線で株式の売買を行うので電話回線を3つ用意した。リチャードの母、安田姫子はスイス銀行に預けてある財産もリチャードに管理を、お願いしたいと言い、その旨をスイス銀行の担当者に話しておくと言うのでリチャードが、その話を引き受けた。一方、リチャードのプライベートでは1979年8月にカリフォルニア大学サンディエゴ エクステンションの後輩だったサリーと結婚を決意した。

 サンディエゴで結婚式を挙げサリーがリチャードが働くサンディゴの新居で暮らす事になった。結婚後、1980年8月に長男のハロルドが続いて1981年12月には、次男のトーマスが誕生した。1979年12月20日に突然、社長の安田正吉が我が社も60歳定年制にしたいと言い、次期、社長候補の安田健一、健二、哲一、哲二の4人と面接して、その後の会議で次期社長を決めると言い出した。数日の面接と試験を経て12月27日に安田健一が次期社長に選ばれた。

 その後、安田太郎、安田秀夫、安田翔太、安田翔次が続々と入社してきた。新任の安田健一は本業の貿易業に加えて、投資部門、不動産部門と福祉部門の4本柱でニューヨーク本社・安田健一社長、サンディエゴ支店・安田翔太支店長、シアトル支店・安田哲一支店長、マイアミ支店・安田翔次支店長、ホノルル支店・不動産、福祉部門・安田哲二支店長、パリ支店・安田健二支店長、ロンドン支店・安田哲一支店長、橫浜支店・安田太郎支店長でやる事になった。

 その後、安田正吉、安田浩二、安田金子の兄弟がハワイ・ホノルルにマンションを買って住むことを決めたと聞かされた。それを聞いたリチャードは既に安田姫子と長男のトムがホノルルに住んでることを知らせ仲良くしてやって下さいと連絡した。これを聞いた安田正吉、浩二、金子の兄弟がホノルルの情報を知ってる仲間いるのは心強いと言った。ホノルルについてトムと交渉して彼の建設したドクターの住む豪華老人マンションに住む事になったと、お礼の電話がかかって来た。つまり安田姫子と同じマンションに住むことになったわけだ。
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