第18話:回顧録がベストセラー、商売繁盛

文字数 1,180文字

 そして3ヶ月後、出版社から手紙が届き、初版の100冊が完売されたので出版費用は返せるし、ひょっとしたら大ヒットになるかも知れないと書いてあった。写真を小説の文章の間に入れるというのが斬新で読みやすく旅行関係の写真本を多く手がけている出版社のユニークな小説として受け入れられ人気になってる様だ。半年後の1947年12月に電話がかかって来て、既に5回、増版し、すごい売れ行きで出版が間に合わない位だと連絡があった。その後、印税の送り先を聞いてきた。

 安田姫子に、この原稿料・印税をあげるからと言い姫子のスイス銀行の口座の番号を現代旅行社に伝えた。日本で出版の2年後、1950年のベストセラーになって3億円の印税が入った。1950年代に入り1951年6月に勝一の長男、安田正吉はロンドン支店を安田浩二に任せてイギリスを離れてアメリカのニューヨークへ行き安田商事ニューヨーク支店を設立して10人の米国人を雇い入れ日本の高級絹織物、陶磁器の貿易を初めた。翌年1952年6月、安田竜男も安田商事パリ支店を安田二郎に任せて安田商事ニューヨーク支店に赴任した。

 1953年には日米の貿易業も順調に新規に富裕層の顧客を増やし富裕層の多いフロリダ、マイアミ、ラスベガスに出張で出かけた。1960年、英国の凋落がしてきたので安田商事ロンドン支店を閉鎖し支店長の安田浩二を成長著しい母国、日本に派遣し三井物産から独立して日本の高級な絹織物、陶磁器、その他、世界で売れる良いものを探し出す仕事を5人で始め安田物産、橫浜支店として橫浜絹商人の故郷、関内4丁目の古いビルに事務所を構えた。戦後の復興に向かった日本経済は、その後、世界に例のない高度成長期に入った。

 1955年から1973年まで日本の実質経済成長率は年平均10%を超え欧米の2~4倍にもなった。1960年代の日本は好景気であり1960年、岸内閣は 「貿易・為替自由化計画大綱 」を閣議決定し日本経済を開放経済体制へ移行させた。1963年にGATTに1964年にIMFとOECDに加盟して日本は資本の自由化を義務づけられた。1965年からのいざなぎ景気の特色は輸出主導型の経済成長である。設備投資の進んだ重化学工業の分野で国際競争力が強化され鉄鋼・電気製品の輸出が増大した。

 以上の事から日本の良い商品を世界に売り出すため安田商事では橫浜支店の営業社員を20人に増員して、毎日、日本全国を回って現地の良い商品・高級絹織物、陶磁器、漆器、食器、包丁、ハサミ、メガネなどを買い付けたり、地元のデパートの外商さんと富裕層の上客に世界の良い製品、外国の車、ゴルフ用品、ワイン、コニャック、ウイスキー、宝飾品を売って歩いた。1960年代は日本の貿易が拡大すると共に安田商事の売上、利益とも増えてきて年間利益、50億円を越える年も現れた。
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