第2話:鑓水商人の店に丁稚奉公

文字数 1,208文字

 江戸時代末期の天保から明治時代、1840年以降、信州、上州、会津、甲州、津久井、秩父などから、生糸を仕入れて、日本人の生糸売込問屋に運んで、販売する、八王子近くに住む、大島正四郎のような鑓水商人の先駆けとして、活躍し始めた。大島正四郎は文化的教養を身につけ、算術を巧みであり、それだけではなく、その度胸の良さと、計算の速さと商売の押しの強さで、鑓水の狼と呼ばれていて、短期間で財を蓄えた。

 その大島屋に、秩父の貧農の男の子、安田亀吉10歳が1860年に口減らしのために奉公に出されて大島屋で掃除、荷物運びなど下働きをして食べさせてもらっていた。亀吉は腕白で力持ちで、身体も大きく、大島屋でも重宝され、毎日仕事に精を出していた。たまの休みの日に八王子の柔道の道場で通い始め、暴漢にあっても、投げ飛ばせる術を身につけて、一層逞しくなった。そして、少しずつ、大島正四郎に商売の仕方の手ほどきを受け、商売の駆け引き、押すべき所、引くべき所、商売の落とし所を、大島正四郎の姿を見ながら、しっかり学んだ。

 12歳から江戸や橫浜に番頭が生糸を売りに行く時に、ついていく様になり生糸商売の面白さに、すっかり魅せられた。しかし当時は物騒な世の中で、生糸を売って帰る山道で金銭目当ての強盗の被害にあうこともあった。そんなある日、1859年10月11日、いつもの様に鑓水から橫浜へ馬の背に、生糸をのせて、番頭見習いの梅吉18歳と手代の八十吉16歳が生糸を橫浜に売りに行き、帰って来るはずの10月13日になっても帰ってこない、たまりかねた大島屋の大島正四郎が、翌、10月14日に店の男たち5人で鑓水峠の山中を探しに行かせた。

 しばらくすると、番頭頭の大島真三が、大きな声で、
「あそこの草むら、ちょっと、不自然にもりあがってねえか」と言った。
「指さす方角の険しい山道の一画に不自然に落ち葉が散らかっていた」もしやと思い、
「一緒に来た男達が草むらをかき分け落ち葉をどけると2人の死体が見つかった」
「それは梅吉と八十吉で腹を刺されて、懐の銭入れがなくなっていた」番頭頭の大島真三が、強盗の仕業に違いないと舌打ちした。そして荷車に梅吉と八十吉の亡骸のせて大島屋に帰った。

 大島正四郎が店から出て来て、手を合わせて、荼毘「だび」にふした。その後、大島屋の主人、大島正四郎が地元の親分に頼んで腕の立つ、お侍さんに手間賃を出して橫浜までの商いの道中、同行してもらう契約を結んだ。その後、大島正四郎が安田亀吉の商売上手なのを見抜いて1862年、12歳から橫浜へ生糸を運ぶ時に、一緒に行く様に言った。毎週のように橫浜へ出て生糸を売り1863年13歳で実際に売買をさせてみると高値で売れた。そうして、1862年、橫浜にできたばかりの原善三郎の亀屋にも売りに行く様になった。安田亀吉も14歳になり、いっぱしの生糸の販売員として価格交渉ができ、亀屋に出入りした。
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