第22話:投資と日本旅行1 

文字数 1,525文字

 そこで、日本の富裕層を開拓して、海外の高額な優秀な商品を選び出して、日本で販売することに注力し始め、最初は高級車を販売し、宝飾品、ワイン、コニャック、バーボン、ウイスキー、毛皮コート、香水、化粧品、洋服、いわゆるブランド品・ルイビトン、シャネル、スイスの高級時計などを日本に売り込み、積極販売に注力した。

 その後、株投資では、AMD・アドバンスト・マイクロ・デバイセズ株が思惑通り1982年から上昇し、始め1982年5月10に日4.4ドルで全株を売却して704万ドルで売却、利益が228万ドルで残金が815万ドルになった。その後、またAMD株が下げ1982年8月9日に3.6ドルで220万株を792万ドルで買い、残金が23万ドルになった。

 そして、1983年6月27日に16ドルで全株売り9600万ドルとなり、残金合計が9404万ドルになり、利益が4704万ドルで残金合計が11183万ドルとなり、投資予算5000万ドルを残して差額の6183万ドルを安田商事ニューヨーク本社に送金した。

 リチャードの所に、利益4704万ドルの5%の235万ドルが入金された。その後1984年4月9日にドル7.8でベライゾンを5百万株買い、残金が1100万ドルになった。

 1984年5月にリチャードは、昔、母、安田姫子に疲れた時は、日本の温泉に当時と言って、長期間、温泉に療養の旅に出ると元気になって、また、ばりばりと働けるようになると言う話を思い出し、日本への旅を考え、5月7日から10日間の予定で出かける事にした。

 5月7日、サンディエゴから成田へ、飛んだ、成田で1泊して、翌日、新宿からロマンスカーで箱根へ行き、芦ノ湖、遊覧船に乗って、仙石原冨士屋ホテルに3泊して、その後、小田原から、熱海温泉に3泊し、温泉三昧で部屋でゆっくり休み、疲れを取った。

 その後、安田商事の橫浜支店を訪問して、安田太郎支店長に会い、日本の有能な若者を集めて、彼らと、より良い日本、世界を考えていきたいと考えていると言う考えを話して、その時には協力して欲しいと伝えた。それは面白いアイディアだと、協力を約束してくれた。

 もちろん、アメリカでもサンディエゴに同じ様なアメリカの若者NPOを作って、日米にそういうNPOを作り、将来的には、優秀なシンクタンクとして機能させて、未来のビジョンを考えていく手伝いがしたいと話すと、それは、楽しみだと共感してくれた。

 続けて、まず、日米にビルを建てて、学生達に、一緒に住んでもらい、学生達自身で、できるだけ自立して生活するようにして、マンションと、大きな食堂、兼、カフェ、会議室を設けて活動してもらおうと考えていると言った。

 具体的に生活費はどうするのかと聞かれ、そのマンションでの仕事と、20歳、以上になった学生には、投資の仕方を教えて、自分で資産を作る手伝いをしてみたいと言った。そして、もし、大きな災害の時にはボランティア活動したり、困っている人達への、社会福祉の活動をしてもらいたいと言うと、素晴らしい考えだと思う。

 しかし、資金は、どうするのと聞かれて、私が現在、10億円以上と1千万ドル以上の資産を持っているので、その資金を投じるつもりだというと、そりゃ、すごいと驚いていた。日本での活動については、全面的に協力すると約束してくれた。

 その後、実は、まだ、具体的になっていない話で、秘密だけれどと、前置きして、安田商事も、成長して、大きな企業に育ち、その恩返しとして、社会福祉部門を作っていきたいと、安田健一社長を始め、役員会から話が出ていて、その社会福祉部門を日米に2つ作る構想がり、一緒にやるのも面白いかも知れないと話してくれた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み