閲覧記録 第三回

文字数 3,308文字

2021年9月2日に40、そして2022年10月1日に50、2023年11月13日にとうとう60万への到達とあいなりました。読者の皆様には拝読賜われましたことに心よりの感謝をお伝え申し上げます。

            本当にご参画ありがとうございました……。 








                 (11.18スクショ)










                 プロフェッサー・アマン


   違うねんって...ごく少数の方々が熱烈に[いいね]を毎日乱打してくれてるだけ〜…


                  あんがとね〜♡







                ちょっとおしゃべりを......




まず実例を元に説明を加えてみる。それも三十二年間という特殊な期間においてのものを。
2018-1962-24=32年間(これが「いかに」の射程圏内)、2023-2018=5年間(投稿期間)。
そして、これが現在における進行形の形のものになるのだが、実際に、そのことをやって
見せる。

見せる。これが自分が、いまやっていること。だから、分かる人らに
とっては、”

”に、

......。

うまくいけば、これこそが自分としての目的/願いなのだが、神在りとしてのその世界に、
生きることの実際を、不可視不可触の存在を、リアルなるものとして意識してあることの
実際を、他人事なれど、察してもらえることと、ことに、なるのでは、ないだろうか?。

すべては、外界に現実に対して、「我が身一つ」で働きかけること、奮闘することによって、
世界がどんな反射、反映、応答を、返してくれることになるのか、そこに

観ること察することができるのか?!このことに尽きる…。奇跡はそこらじゅうにあんだ。

追記:
聖書においてここに関するはなしとすれば、主から預かった金子を、活かすことができず、失わう損なうことによって後で主から罰せられることを恐れて、

、それを用いようとはしなかった人の話しがあった。プラマイゼロなんだけど、なんのプラスもこの世にもたらすことをしなかったことにおいて、主に罰せられる。ならば、なんで他者に我が身を預けて、その人間に用いられて、その人の言う通りにて働かなかったのだ?!と。この金子は命のことでしかない…。お金と違って、

使

のもの。もう一つ、真の宝だと思えるものを、もし見っけたならば、それまでの習慣、常識、執着としてのものを、自分を縛ってあるそのすべての旧来としての考えを、かなぐり捨てて、投げ捨てて、宝が埋まってあるその畑を、自分のものとするべく全力を尽くせとしてのはなしもあった。ことは自分だけにしかできないこととしてある。自分と神以外に頼れるものはないんだ。なんの手本もマニュアルも存在しない。先人としての誰かが、言ったことも参考にはならない。基本、勇気こそが鍵になる。あなたという人間をこの世にて燦然と輝かさなければならないんだ。晩秋を迎えるに当たり、「我が人生に一片の悔いなし!」って心境に至ってあらなければならないんだ…。心配な、気がかりな人達ってのは出てきてしまうだろう。でも大丈夫。そんな彼らに関しては、主に、面倒を見てもらえるよう、お願いすればいいんだ……。


「いかに...」はやがてには再開します。でも、その内容は惨めで寂しい侘しい情けないことばかりの連続だ...。さすが、主が誂えた整えてあったその舞台だ。その人選、その招集メンバーだった。とても人間味に溢れ、かつ非情なる、そして何よりも、心狭き、浅ましき、屑としての人達ばかりだった...。利用者さん達も、もう「どんだけ〜」

妖怪

としての、奇跡の人たちだった...。追記:ぽつんぽつんと助けと、励ましとなる方々もいたにはいた。でもそれらはほんの僅かだった。

再開するにあたっては、自分としての課題は、いかに逆境において人の心が磨滅してゆく、絶望において消尽してゆくものなのか、その実際の活写になる...。その極点において平安が、送られて来るのだ。昼食休憩のとき。外の喫煙ポイントで。寒々しくしての冬の軒先にて...。それは、ほん数秒間のできことでしかなかった。でも、それとしての奇跡であることをはっきりと自分は覚えていた...。これが終わりへと至る二年前の出来事。ある意味ではこの作品のクライマックス...。


1918年をもって自分は皆様が生きてある社会からは

存在となってしまった。
同じ空気を吸い、同じ時代を生きながら、欄外としての人間に、なってしまっている。
このことにもそれなりに意味があったのだと思う。


自分の目からは世界はもう終わりゆく流れに入っていって

のだと思う。

残念ながら

始まってしまったんだなと思うんだ...





12月1日夜、北海道各地で空が赤く染まる「低緯度オーロラ」が相次いで観測されました。 
陸別町の銀河の森天文台によりますと、同町で肉眼で確認されたのは20年ぶり
11月29日に発生した太陽の爆発現象「太陽フレア」によって太陽風が放出され、
地球にプラズマが到達したことが原因とみられています。

これもまた前兆だ......。だがだしかしだ、ことは、これからだいぶ先に、起きるのだ!。

米がイスラエルに大型地中貫通爆弾「バンカーバスター」100発を提供 [23/12/02]

あれだけのことを

、徹底的にやるつもりなんだろう。
自家中毒としての、その極みとしての症状に彼らはある。爆心部には小型核…‥。

もう表の為政者らは、世間は、気狂いとしての存在でしかない!。

ならばだ、密かに、隠れて、無事にて生きているある、

幸いになる。


米政府、日本へのトマホーク売却承認 最大200発、3500億円規模 (23年11月18日)

これは、バカの気狂いの証左として。問題は

ってその発想なのだ。程度の低い他国を制するにおいてのその方法論の話し!。武器武力をもってってのが一番愚か!。なんぼでもやり方はあるんだから。一番良いのは、

、駆け引きの材料にすること!。人類にとって真に価値あるものを、提供するをもって、日本を大切にしてもらえるその流れ、そのムード!。あの国には、手を入れてはいけない、その旧来からの環境を変えてはいけないって思わせること!。

自民党は、もうなきものにしなければならない。もしくは、最後の最後の巻き直しで、高市さんが総裁の座に、無事つくことができるのか?。もし、それが、できなければ、もう日本国内おける、ゆくゆくの食糧/水/酸素不足は確定になる。自分はこの人

気に入らないんだけどもね...。

*夏場における高温が常態化すれば、植物類からの酸素の供給が減るんだ……。


この自分向けて見せつけて来てある幻なのだと、そう捉えてあることしかできない。


Re : 善と悪の闘争ってなに?

ことは単純で、真実なるものに仕える、依って立つのが”善”。
幻魔夢魔(悪魔)に支配されてあるものらってのが、”悪”ってだけの話し...
だから表舞台、今の現実においては、

戦って

までの話しなのだ。

では真の善と悪の闘争はどこでかというと、各自の思い、その考えの中、内において、
ってことになる...。

是が非でも神としての第三項を、
それも、

、持たれてあることをお勧めする。


それしか

、なにも、ない






           死したるものは、絶対に、二度と、帰らない!。
    たとえ、それが空想幻想であったとしても、返してなど、

ならないんだ。
   だからこそ、生きてある間に

、身近な人々との関係は、
     ()たれ、(はぐく)まれ、(たも)たれて、いなければ、あらなければ、ならないんだ......。


ことの最重要なるは、自分としてはその相手の方々からはなにも求めてはいけないってこと。

       だから、ことは、あくまでも一方通行としての行いになる。

          すべて、無賞としての奮闘努力、その行いだ。






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