30.  とある方のレビューを転載

文字数 1,885文字

勝手にもってきた...

hikaru さんて方のレビューです。


Re: コストパフォーマンスが極めて高い本

先ず気付かされるのは、グルジェフが事物を等級的・階層的に捉えていた点である。

これは情報理論や一般システム理論など20世紀後半に普及した科学的パラダイムに通じるものであり、それらの揺籃期とグルジェフ及びウスペンスキーがエソテリックな知識の探求に情熱を注いだ日々が重なっているのは決して偶然ではあるまい。
そうした視点で読むと、9章〈水素論・食物論〉はエントロピーの概念から分類した宇宙と物質の階層構造に量子論的概念を併せた考え方と言えよう。しかしそれが現代科学と異なるのは、各階層に普遍的に妥当する法則として7章〈三の法則・七の法則〉の「三の法則(肯定・否定・中和)」と「七の法則(オクターブの法則)」が想定されている事である。前者はヘーゲル弁証法を想わせるし、後者は量子力学的アイデアとして新たな可能性を感じさせてくれるものである。このようにグルジェフの思想は今日でも科学的にも哲学的にも真面目に研究する価値があると思われる。
しかしグルジェフ自身は自らの思想を学術的な研鑽よりも実践的な「行」として世間に紹介したかったようであり、それが今日でもグルジェフを哲学者ではなく、オカルティストとして見る一般的な認識に繋がっていると言えるだろう。このようなグルジェフの思想内容と社会的な目的との乖離はウスペンスキーが終にグルジェフと袂を別つ事になった理由にもなっている。本書にはその辺りの経緯が述べられているが、ウスペンスキー自身の心の揺れとして描写されており、グルジェフにもあったであろう非がよく判らない。これは他人の非をあげつらう事を嫌うウスペンスキーの高貴な人格ゆえにではあろうが、彼はジャーナリストでもあったのだから、もっと冷徹にグルジェフの非と思われる部分は書き残してもらいたかった。
とまれ本書が卓越した哲学書である事に変りはない。「もしカントが、彼の説にこの等級という概念を導入していれば、多くの著作は非常に価値のあるものとなっていただろう。それだけが彼に欠けていたのだ。」P.471とのグルジェフの言葉は、世のカント研究者が傾聴すべき金言である。そこから有機体の進化や16章「時間・呼吸・生命」の形而上学的考察に繋げて行くウスペンスキーの論理展開も見事。本書では触れられていないが、有機体や時間・空間に関するカントの定義は後世の多くの哲学者にとって克服すべき課題であり、ウスペンスキーも例外ではなかった。そのため16章はグルジェフの思想ではなくウスペンスキー独自の次元論となっている。その当否はともかくこのようなウスペンスキーの考え方はカント研究にも大いに示唆を与えてくれるだろう。
またウスペンスキーはワークにおける「自己想起」こそがヴィントの知覚形式差異説を支える重大プロセスである旨を指摘しているがP.199、これをカントの「物自体による感官への触発」と結び付ける事はできないだろうか。また彼は「自己想起」を〈私←→観察されている現象〉と定式化しているがP.195、これは私と対象が二項関係ではなく、私と対象を総合している第三の意識ないし観察者をもって成立していると言える。この場合、前者ならヘーゲルの『精神現象学』における自己意識論そのものになるし、後者ならパースの三項関係の論理学に通じる。それらもまたカントを批判的に克服する過程で成立した哲学である。その意味でも本書にはグルジェフ思想を通したウスペンスキーのカント哲学及び近現代哲学との対決という図式が見て取れるのである。
このように本書には至るところに思わず知的興奮を覚えずにはおれない思想が散りばめられており、こんなに安くて良いの?と言いたい位、値段からは考えられない濃い内容となっている。
本書が書かれた時期から言って、できれば「自己想起」はフッサールの「超越論的判断停止」との比較で論じて欲しかったが、それは今後の研究者の課題であろう。』

〈以上〉



あの図書はとんでもなく貴重。
ベルゼと合わせて、できれば洋書も揃えて、一生の学びの書とされるべきかと…。
マハラジをその延長線上に置かれるのがいい!。
これは根本の根本に聖書、イエス・キリストを置くことができる人々のみの話です。

「実践的な「行」として世間に紹介したかった…」
いや、これが必須なのだ。三つのセンター全ての協働を調和を達成するためには。
これなくしては全て絵空ごと、頭だけの話になってしまう。
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