64. 三の法則(1)

文字数 6,295文字

もしくは、Triamazikamuno(トリアマジカムノ)

To obtain any definite new substance, its constituent parts must be combined in exact quantitative proportions... Most simple example; to bake bread: to make dough you must take definite proportions of flour and water. Too little water, it will crumble at the first touch; too much you get a mash.
自分にとって明らかに新規なる物質を、それがなんであったとしてもだ、得る為にには、それの構成要素を正確な量的比率にて、つまりは適合する割合にて、組み合わせる、化合させる必要がある。これがまず

大前提なのだ...。簡単にして、卑近なる、身近なる例としては、 パンを焼くこのケースにおいてだ。焼く前にはパンの生地として

準備する、作らなければならない。小麦粉と水、そして塩を少々‥。これらを適切なる割合にて、よく混ぜる、よく捏ねることが大切にし重要になる。もしそのときに、

、触れれば、簡単に崩れてしまう生地となる。つまりはモロモロのポロポロとしてのものにだ。 次に、今度は

、マッシュ(ポテト)のような、ヌチャヌチャのベトベトの生地になってしまう。伴にオーブンに移すことが難しく、焼いても、化合においての加熱が足らず、行き届かず、美味しくない、食するにはふさわしかからざるもの、値しないものになる……。

問題は、その適切最適なる混合比率ってやつが、この自分には分からない、それを自分は知らないってこと。誰もこれを教えてはくれることはない。ならばだ試行錯誤において、自分でそれを見つけるにしかない。おそらく化合の工程においては、細心なる注意が必要になってくる。それも、ことの進行中のその進展の渦中において。コントロール、制御、調整、これらもまた、適切なるタイミングにおいて、厳密に、果たされてあらなければならない。モノが行き過ぎたなら、足らずであったなら、それが判明した時点においてでは、すでに、後戻りはできなくなっていることだろう。*ことは、本一時だけの、本短い期間おける、そこのそれの要項になる。残りのほとんどすべての工程は、単に機械的な作業にて足りる。オーブンは大概タイマー付きであろうし……。

ちょっと脱線:Re: 日本語文化圏における関連することわざ:
過ぎたるは及ばざるが如し」「薬も過ぎれば毒となる」「足るを知る」「画竜点睛を欠く」これは一点が足らず、「蛇足」これはいらぬものを加えてだいなしにしてしまうこと。天村が大得意である。

どこで、此処までだと、此処までが適量だと、もう十分だと、区切りをつけ得るのか?。何を恐れて引き返す、行為を止めるのか?、手出しすることを止めるのか?、INとしてのその有り様/その状態を、OUTとするべく、

、方向転換、離脱を果たさすのか?。ギャンブルで、

勝ち続けてあることはあり得

。どっかでは必ず潮目が変わる。さじ加減、操舵は、あなたの手の内にこそある。塩っけは行き過ぎたならもう元には絶体戻せない。適量であればその料理は美味しく仕上がる。塩辛すぎれば、食べることは既にもう拷問だ。人に厳しすぎると、子の教育に厳格すぎると、その人は、その子は、確実に駄目になる。結局、適宜/適量を見極めるのは経験に基づいた知恵にしかない。それに基づいた、紐づいた、直感もしくは感慨でしかないであろう。追加)クリティカルポイントとしての沸点も参考にしていただきたい。1℃、0.0001℃足りなくとも湯は沸騰

。化学反応においてはある適量を加えることで一瞬で色が変わる場合、反応が起こってしまう場合がある。その適量がまた微妙な配合比率なのだ。あと一分頑張ってあったなら、入神としての事態に、その境地に、突入することができてたのに〜…。脱線終わり。

追記:
そもそもからして、

definite new substanceってやつを、手に入れる

?。未知、未体験、未消化としての

、我が内に、取り込む必要があるからだ。本質的には、初めてとしてあるその印象摂取における、その”ショック”が大事なのだ。実際の吟味において、そのなにかが、良きもの、良しと、善いと思われたなら、それに関しては

、以降は、ショックとしてのものとは、なり得ない。いろんなオクターブとしての上昇、進展としてのプロセスが数えきらないほど進行している。その各々において、然るべきタイミングにおいて、然るべくしての

必要となってくる。場合によっては、そのショックは、あくまでも、どこまでいっても、まったく味気のない、砂を噛むよな、まったくもって居所のない、居心地の悪い、そんな時間経過に、その身を晒す、その心を置くことを、要請してくる場合もある。*(何故ならば未知であるが故にだ、どう対処したら良いのかが全く分からない、

、未だ備わってないから)。要は、快を、居心地の良さを志向する、嗜好する、そういった癖の、習慣の集合体、それらの奴隷として、人間はあるんだ、出来上がってしまってる。でもこれではどこかでは確実に行き詰まる。ことが単に習慣におけるその反復ばかりになって、つまらなくなるか、飽きて価値なきものになるか、ことを

にしかなくなるからだ。生において、人間を、より高度、高次に、より進んだものとして…、つまりは進化を促すべくして、自然が、ある種の

、準備してはくれている。あくまでも可能性として

ではあるが…。自分のいつもの生活圏内から出る、旅行ってやつも、ある種のショックの入手の道だってことが言える。要は、誰が、なにが、

活性化される、されてあるのかってことなんだ。そしてそれが、ことを、ことの進行を素直に受け入れることができるのか?ってことも……。*簡単には、新たなる知識、新たなる理解ってことの話で、いいと思う。

The second fundamental cosmic Law - the Sacred Triamazikamuno- consists of three independent forces; this sacred law manifests in everything without exception, and everywhere in the Universe, in three separate independent aspects: "The Holy-Affirming", "The Holy-Denying", "The Holy-Reconciling". A law which always flows into a consequence and becomes the cause of subsequent consequences, and always functions by three independent and quite opposite and characteristic manifestations, latent within it in properties neither seen nor sensed.

基本的な宇宙法則である神聖なトリアマジカムノは、三つの

構成されている。 この神聖な法則は、

すべてのものに、すべてのものの中に、そして宇宙のどこにであったとしても、「聖なる肯定」、「聖なる否定」、「聖なる和解」という三 つの、各個、

側面で、現れていることが分かる。 そして常に、結果へと流れ込み、後続する、してある結果の、

、常に、見ることも、感知することもできない、それとしての性質にて、物ごとに、潜在してある。三つの独立した、全く正反対であることを特徴としての、その力の発現にて、機能する、機能してある法則……。

たった「三つしかない」ってことが卓見なのだ。それらが、あらゆるすべての事象、現象の背後にて、(不可視不可触なる様相にて)働いてある。YesとNoを見れば分かる通り、二つの力は全く逆、完璧なる対立となるべくしての関係を構築する、構成してある。この対立/断絶において、中和/和解としての一点/一極が持ち込まれ、奇跡としての新たなる状態、次元、統合、バランスされた状態へと至る。全く異なる男女、これが愛において、「汝は我なり、我は汝なり」へと至り、幸福、幸せに思う、覚える、感じるようになって、しまって、いる。おそらくは

、””が、顕現してくるようなってるんだろう。これこそがことを果たすのだ...。秘訣はだ、

、自己を滅却してあることにこそある、そうであってこそ起こる。*ではそれは何故だ?。対立の、分断の、バラバラのままでは、終局的には、共倒れになるにしかないからだ。ならばだ、この自己を、自分としての

の願望は、欲望を、私は、捨てようだ。*夕食にはほんとうは魚が食べたかったんだが、カレーでいいやっとかね。嬉しそうに、そしてまた美味しい美味しいって言って、演技しながらに食べるっと。*子供らの気持ちを気遣って。

The common presence of the planetary body of every being and in general of any other ”relatively independent” great of small cosmic unit, must consist of all the three localized sacred substances-of-forces of the holy Triamazikamno of the substance-forces of the Holy-Affirming, Holy Denying and Holy Reconciling and it must be sustained by them

all the time

in a corresponding and balanced state.

、生存するにおいてまとってある惑星体、つまりは

構成されてある肉体のことだ、それらは

、一般的には、また他の「相対性において独立して在るかに見える/思える」、巨数単位としてのまとまりをもつ小宇宙、星々の群として一括されてあるそのユニット、(単に銀河系/太陽系を念頭に置いているのであろう)、それらのすべては、その各個が、属してあるスケール・ユニット圏内にて、局所化されて存在する三つの神聖なる物質による作用力、つまりはトリアマジカムノ、【聖なる肯定、聖な否定、聖な和解】 、これらの神聖なる力によって、構成され、

。そして、それは、常に

、バランスのとれた状態、バランスこそによって、維持されて、あらなければ、ならない。


各個独立してあるかのように思える人間/個人も、実際は、社会的関係性の元にある。人はただ一人っきりでは生きられないし、生きてはいないのだ。だから、ここはスケール単位を変えて、あらゆるすべては

って、同じ法則下の、三つの力の作用力の元に、それらに影響されて、あるんだって、変遷して、

、あるんだことを言ってるまで。そんで、最後には、すべては、今ある、今に顕現してある、お互いの関係性にこそ基づいて、それとしての状態を絶えず意識して、両者、全員が、バランス、調和を願って、求めて、達成して、あらねばならないんだよっと......。*とりあえず人間の世界を除けて、他のあらゆるすべてのユニットにおいては、このことは、

成功しているようだ。上手く、行ってるんだ。*自然の舵取りにおいてでは......。

パン生地を作るにおいての注意点から始まってる。パンは日本人にとってはお米みたいなものなの。なので生きるにおいての(かて)ベースとしてのものだと、とらまえといたほうがいい。

この法則の理解においては、最初は、外部を観察の対象としてとなる。ニュートラルにして客観的な眼差し、その視座にて、観察することによって。そして、ゆくゆくには、自己の内部においてを、その観察の対象にする。そんときには鳥瞰図的に、物ごとのいての状態を、進展を、成り行きを、ことの結果を、生理的なる感覚において、モニターできなきゃならない。そうする可能性があるにはあるんだ。いろいろと内部の調整が、整いが、同時に、必要とはなってくるんだが…。ここが主眼となるべくしての話なんだろさ。ことにおいての最重要なる課題は、適切なる、最適なるバランスを、はっきりした意識にて、達成せねば、達成してあらねば、ならないんだよって、こ〜〜とーー!。つまりは制御だ。眠ってちゃ〜これができる訳がないのだ。


あらゆるすべての背景にて、おいて、働いている力なので、小さなことから大きなことまで、いろんな現実においての出来事において、その力の発現を見れる、識れる、気付けるよう、ならなければならない。基本的に、すべて、

まとって発現してくるので…、同じ一つの力であったとしても千変万化としてのその様相の違いを、とってきてしまってる!。とりあえず二つの力としてのものが把握できたなら、つぎはバランスを果たすものの正体、それの把握になる。あとはやるべきことは分かるであろう…。問題のすべては

にこそあるのだ。なによりも人格と本質においてのそれら各個の嗜好性の違い、それらの行動方針、行動指針の違いにこそ…。*肉体は娼婦を好み、良心は良妻賢母たれるその可能性ある女性を志向する。

付録:
掛け継ぎというテクニックの秘密はオスとメスとしての

構造的組み合わせにこそある。

では何が中和/和解としての作用力だと捉えられるのか?。ことは強度においてピッタリと

という構造上におけるその達成なのだ。ではこのことを簡単に云うならば、それは何なのか?。

。*(これとしてものを達成するという

、アイデア、また具体的な構造設計、デザイン、それの、実際的、現実的なる達成、実現化なんだってこともまた言える)。釘によっての場合と比較すれば、何か同じ接合、固定、留置でありながらも、決定的に根本からことの達成のあり方が違うのが分かる。結果において、自重によって引き起こる歪が、全体へと、満遍なく、分散されるてあるからだ。その仕組みをもって負荷は、局所的には、まったくの不在となる。だから、これによっての建築物は長持ちする。一種の奇跡、魔術、それの達成なのだ……。


こんな感じて不定期にて連載してゆきますっと。

ここまででだいたい全体の三十分の一程度。

この稿内にておいても、さらに追加されてゆく。



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