36.  Archangel Jophiel そして Sphinx。

文字数 3,125文字

スフィンクスのハンドラーである『ゾフィー』。
この智天使(ケルビム)に関して、知り得た内容を先に少し公開しておきたい。

このことをするのは、組み合わせには必然性を感じるからだ。
偶然にしては出来すぎていると思う…


◇ケルビムの描写が旧約のエゼキエル第1章にある。
それの特徴を挙げてみよう:

*見かけは、それの姿は人間のよう。
*四つの顔がある。
 一つは『人間』の顔、右に『ライオン』、左に『牛』、後ろに『鷲』である。
*四枚の翼を持つ。
*一対の翼は大空にまっすぐ伸び、他の一対の翼が体をおおっている。
*その翼の下に、人間の手のようなものがみえていた(神の手だという)。
*体内には燃える炭火のようなものが見える。これが行き来(運動)している。
*火が輝くと、その火の中から稲妻が出てくる。
*移動する速度は稲妻の閃きのように速い。
*全身、すなわち背中、両手、翼と車輪には、一面に『目』がついている。


注:同書10:20でやっと、描写がケルビムについてであることが言明される。

◇次にベルゼ(Book1)において、Gによって語られるスフィンクスの描写:
同じく特徴を挙げてみます:

*この架空の生き物の身体を構成する大部は、『牛』と呼ばれる生き物の胴体だった。
*この胴体は、『ライオン』と呼ばれる生き物の四本の足で支えられていた。
*背中からは、『鷲』が持つのと同じ二枚の巨大な翼が伸びていた。
*頭のところには『琥珀こはく』を介して、『乙女の乳房』と呼ばれるものが固定されていた。

共通項が、 『人間』 『ライオン』 『牛』 そして 『鷲』 であること。

これら象徴が含有する内容については、続くGによる説明が参考になる...。

このスフィンクスの像を見ることにより、特別な刺激/連想/衝動が湧き起こる。
それらは人間の体内にある三つのセンター、
すなわち肉体、思考、感情にショックを与える…。

*「雄牛」の胴体……それが意味するところは、

われわれの内に結晶化してしまっている、有害な衝動を引き起こすもろもろの因子は、
倦むことを知らない長期の努力、つまりは牛の如くワークすることによってのみ
取り除くことができる。

*胴体は「ライオン」の足において支えられ、そして安らぐ……それが意味するのは、

終わる当てのない長期のワーク、単調な作業/労働/努力…
こういったことが実を結ぶまでには信じられないぐらいの時が必要となる。
よって、これを選ぶ自分に対する〈自信〉〈信頼〉〈誇り〉が必要になる。
勇気と自己の信念において、ことを貫徹するが力となるのだ。
このような誇り高き存在を最高度に表しているのがライオンなのである。

*胴体から伸びている翼。
最強の翼、そして空高く飛ぶ鳥たちの中で最も高く舞い上がるを可能にするもの。
この鷹の翼……これが意味するところは、鳥瞰図的視点の重要性にある。
日常生活とは直接関係しない事柄においても目を留めれなくてはならない。
社会に共に暮らす、他の人々のことも絶えず心に慮れなくてはいけない。
言われた仕事を果たす間においても。
そして上で語った心理的な特質としての自尊心から、
それらをも絶えず問いにおいては深く考えることが必要である。


The wings of strongest and the highest soaring of all birds, the eagle,
attached with bull trunk, constantly remind the member of the society,
that during the said labors and with the said inner Psychic
properties of self -respect, it is necessary to meditate continually on
questions not related to the direct manifestations required for ordinary
being-existence.

どこに何がどう付いていようが関係ない。
両者は=であるとみなしていいだろう。
必然性が自然と出来上がっている事を伝えたかった。

こりゃ、アーメンものだろう。

++++++++++++++++++++++++++++++

以下は、スフィンクスのみの大注目ポイント。

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**これの頭の部分は奇妙なことに、「乙女の乳房」の形をしている。
処女の乳房……それが意味するところは、

《愛》が絶えず、すべてを支配する根本原理となってなくてはならない。
内面において、そして外界に向けて、意識的になされるすべての自己の働きにおいて。

ここで語られる《愛》とは、(上記で語られた)責任を担って、行われる
すべてる奮闘/努力/活動の結果として、法則に則って、内部に結晶化される”ある物質”の
蓄積によって初めて発現し、存在することができるものなのである。
こう言った人間たちにおいてこそ、我等共通の『父なる神』は期待や希望をおかれている。

そして、この「乙女の乳房」は「琥珀」を介して牛の胴体に固定されている。

琥珀……これが意味するのは、

この《愛》は、厳格に『公正』であるべきだということ。

言うならば、その責任ある存在としての、あらゆる総体的機能から、完全に切り離されて、
判断を行うというこよにになる。(一切の主観的な偏り、好悪/得不得、があってはならない)。


And as regards the strange image of the head of our allegorical being, in
the form of the Breasts for virgin, this expresses that love should
predominate always and in everything during the inner and the outer
functions evoked by one’s consciousness such a Love as can arise and be
present only in the presences of concentrations formed in the lawful
parts of every whole responsible being in whom the hopes of our Common
Father are placed.And that the head is fixed to the trunk of the bull
with “amber” signifies that this Love should be strictly impartial, that
is to say, completely separated form all the other functions proceeding
in every whole responsible being.

強意訳が多いので原文つけた。

こういった要素も織り込みつつ本体の内容を考えています。

まだ色々と消化しなきゃならないことも多い。

このケルビムは特殊だ。


追記:三女神の一人なのかも知れない。


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