34. マルタとマリア。
文字数 939文字
イエスとその一行はある村にお入りになった。
そこでは、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。
彼女にはマリアという姉妹がいた。
マリアは主の足もとに座って、イエスの話に聞き入っていた。
マルタは、いろいろの「もてなし」の準備の為にせわしなく立ち働いていた。
「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、
何ともお思いになりませんか?。
手伝ってくれるようにおっしゃってください。」(マルタ)
イエスはお答えになった。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
しかし、必要なことはただ一つだけである。
マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
(ルカ10:38−42)
+++++++++++++++++++++
今日の教会での説教の題材でした。
このエピソードはとてもおもしろい。
マルタはホストとして、てんてこ舞いの有様だったのだろう。
一行とあるので、かなりの人数分のもてなしの準備でおおわらわ。
しかし、ふと見ると、妹のマリアは何の手伝いもせずに、
あっちで、イエス様のすぐそばに座り込んで話に聞き入っているではないか!。
「メチャメチャ腹が立ちましたわ〜」(今田風)
でっ、イエスに溢すわけですよね。
イエスの回答はマルタの気にそうものではありませんでしたというお話し。
毎度ながら神父さんのお話しは あまりサウンドしなかった...。
あれやこれや捏ねくり回し過ぎでした。
でっ、憂さ晴らし。
これって、説話として再構成されてしまっているんだろうなと個人的には思う。
メッセージ性を活かす為にいろいろと割愛されている。
だから下手な解釈は持ち込まないほうがいいのでは...。
マリアが正解ということでもないでしょ。
いや、どちらが正解なのかなど当事者ではなっかった我れらにとってはどうでもいいこと。
最後まで残るメッセージは、
生きるにおける煩い気苦労よりも、神様の方がずっと大事であるということ。
何はさておいても、彼にしっかりと繋がっていなさいよと。
割愛の部分には、マルタへの慰め/ねぎらいの言葉もあったのではないかと思います。
そこでは、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。
彼女にはマリアという姉妹がいた。
マリアは主の足もとに座って、イエスの話に聞き入っていた。
マルタは、いろいろの「もてなし」の準備の為にせわしなく立ち働いていた。
「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、
何ともお思いになりませんか?。
手伝ってくれるようにおっしゃってください。」(マルタ)
イエスはお答えになった。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
しかし、必要なことはただ一つだけである。
マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
(ルカ10:38−42)
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今日の教会での説教の題材でした。
このエピソードはとてもおもしろい。
マルタはホストとして、てんてこ舞いの有様だったのだろう。
一行とあるので、かなりの人数分のもてなしの準備でおおわらわ。
しかし、ふと見ると、妹のマリアは何の手伝いもせずに、
あっちで、イエス様のすぐそばに座り込んで話に聞き入っているではないか!。
「メチャメチャ腹が立ちましたわ〜」(今田風)
でっ、イエスに溢すわけですよね。
イエスの回答はマルタの気にそうものではありませんでしたというお話し。
毎度ながら神父さんのお話しは あまりサウンドしなかった...。
あれやこれや捏ねくり回し過ぎでした。
でっ、憂さ晴らし。
これって、説話として再構成されてしまっているんだろうなと個人的には思う。
メッセージ性を活かす為にいろいろと割愛されている。
だから下手な解釈は持ち込まないほうがいいのでは...。
マリアが正解ということでもないでしょ。
いや、どちらが正解なのかなど当事者ではなっかった我れらにとってはどうでもいいこと。
最後まで残るメッセージは、
生きるにおける煩い気苦労よりも、神様の方がずっと大事であるということ。
何はさておいても、彼にしっかりと繋がっていなさいよと。
割愛の部分には、マルタへの慰め/ねぎらいの言葉もあったのではないかと思います。