38.  とある回想録より...

文字数 3,195文字

「おまえたちは、生まれてはじめて、真剣な話を耳にしている。」

 この挑戦を前に、
 おまえたちは自分らが空っぽの人間であることをあからさまにした。

 これは重大な話であり、だからおまえたちはそれを嫌がる。
 軽いコルクが水に弾き出されるように、おまえたちは弾き出される。


「去りたい者は去れ! いますぐに去れ」

「だれもここを出られないよう扉に鍵をかける」

「その前に出て行け!!!」


彼は、われわれのひとりに、扉のところに行き、
出入りのできないように閉鎖するように言った。
聴衆の大多数が立ち上がり、会場から出て行った。


彼は煙草を点け、静かに吸った。
会場に沈黙が戻ると、彼は立ち上がり、次のように言った。


「他に出て行きたい者はいないか? 君たちは皆ここに残るのか?」


残った人たちは、沈黙をもってこの問いかけに答えた。
すると彼は、完全に声のトーンを変え、とても快活な声で、
みんなそばに来て坐るように言った。

それまで椅子席や会場の隅にいた人たちはステージに昇り、
ひとかたまりになって坐った。

彼は、このようにして選ばれた聴衆に対し、明瞭な声をもって、
自分が話したいと思っていることは万人向けではないのだと宣言した。


「馬鹿者どもが去った今、われわれは深く話すことができる。
 問題の根底まで掘り下げるのだ」


聴衆は、非常な注意と関心をもって彼の言葉に耳を傾けた。
彼による英語の発音の奇妙さをだれも気に留めなかった。
彼らは彼の言葉を飲み干しているかのようであった。
彼は大量に話した。
たまに話を中断し、他の教えとの矛盾に関する質問に答え.....。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「ミスター***、あなたは私の内面世界をかき乱した。
 私の意見、私の見解は、揺れ動いている。
 おそらくそれらは長くは持ちこたえられないだろう。
 やがて私には、これまでの人生が私のなかに培ってきたものすべてが
 信じられなくなるだろう。だから私は恐れている。
 空っぽのままで留まるのが恐ろしい。
 あなたの教えのなかに、新しい基盤を作るための素材を
 私は果たして見つけられるのか、私には心配だ。

 大事なものを失った人間のように、自分の不運を呪い、苦しみに耐える
 はめになるのではないかと予感している。
 かつて私は、自分の足が地面を踏みしめているのを感じていた。
 今、その地面は消えた。
 あなたはどんな権限をもって、私や他の人々に、
 われわれの心理的/精神的なバランスを乱すような、
 そんな仕打ちができるのか?」

さらに彼は、
彼の内面世界が被った破壊的な影響の数々について述べ、
***を非難した…。



「あなたの恐怖、あなたの心配を、私はよく知っている。」

 私の教えはあなたの意識に急速に浸透したが、あなたはまだ、
 人が現実にどのような状況に置かれているかについての厳密な知識を欠いている。

 だれもが、その時が来るまで(多くの人間は死ぬまで)、
 自分は人生で堅い地面の上を歩いていると信じている。

 だが、自分にはバランスなどないこと、
 自分の心理的/精神的な安定は
 スピリチャルな意味での盲目性を土台にしたものであること、
 自分の知人にも自分自身にも何をする力もないこと、
 すべてが無に消えていく流れに沿って自分たちは常に歩いていることを
 確信したならば、あなたはおそらく、今の道を歩き続けるなら自分は、
 どこに行くのかを知りたいと思うかもしれない。

 私はそれがどのような道なのかを知っている。
 そしてあなたがその道を避け、苦しんだり歯ぎしりしないですむことを願っている。

 私が話すことを理解しだした人間が恐怖を予感する、
 そして本当に恐怖を感じるというのは、まさにそのとおりだ。
 しかし、この恐怖は、彼らが主体的に感じるものではなく、
 彼らのなかに機械的に生まれてくる、湧いてくる、ものなのだ。

 だから、あなたの言っている恐怖は、あなたの存在に関わる本当の恐怖ではない。
 あなたが捨てなければならないすべてのことが、あなたが言うような恐怖を
 あなたに抱かせ、あなたにこれまでどおりの道を歩ませようとする。

 人のなかには大勢のつまらない『私』がいて、当人が現実を見始めた瞬間、
 それらは存亡の危機に直面する。

 だからそれらは当人のなかに恐怖を作り出し、
 私が話すようなことはすべて『悪魔に食わせたい』という衝動を当人にもたらす。

 あなたは、不運への嘆きと苦しみを予感していると言う。


「それは正しい。」


 自分の状況について何も知らない者は幸せだ。
 自らにふさわしい進化を遂げた者も幸せだ。
 だが、いくつかの基本的な真実を知ったばかりの者、
 良心が目覚めたばかりの者は、幸せではありえない。

 目覚めたての良心というのは
 犯罪人の前に現れた警官のようなものだ……。

「粗末なベンチに座ったままでいるなら問題はない!」

  客間の安楽椅子に座るのは、それよりはるかに快適だ。
 不幸せなのは、ベンチから立ち上がったはよいが、
 安楽椅子までたどり着いていない者だ。

 カラスというのはそれなりに美しい。
 クジャクはもっと美しく、はるかに賞賛に値する。
 尾に二本だけクジャクの羽を生やしたカラスは不幸せだ。

 そんなカラスは、他のカラスを苛立たせるから、
 仲間のカラスにいじめられる。
 このクジャクのなりかけは、クジャクの仲間にも入れない。

 本当のところを言うと、
 これはクジャクが意地悪をしているのではない。
 このクジャクのなりかけは、一部のクジャクから言われたことを
 すべて自分への悪意と解釈し、自分で群れを離れるのだ。


「いつの日か、百万人がこの苦しい状況を体験するだろう。」

 だが、それで終りではない。
 百万人が失敗し、自分の責任において百万人が苦しむ。

 しかし、たった一人でも、
 <自然>に対する自らの義務を果たすことに失敗した
 すべての人間を待つこの悲しい運命を逃れることに成功したならば、
 それがこの百万の苦しみの埋め合わせをする。


彼は、ほほ笑み、慈愛に満ちた声で、次のように語った。


「一人が救われたならば、その一人は百人を救う。」

 それら百人は千人を、千人は百万人を救う。

 この百万人の幸せは、百万の苦しみと百万の不幸せの埋め合わせをする。

 そして数億の人間が、彼らのなかに現れた
 この新しい人類のプレゼンスから幸せを感じる。

 権限について言うならば、この権限は、客観的良心に基づくものだ。

 何の自覚もなしに、どこにもたどり着かない道を歩む人間が体験する
 喜びや生理的な幸福感と、自分が破滅の方向に向かって動いていることを
 自覚するに至った人間の苦しみと不運とを天秤にかけるため、
 この二つを比較するなら、

 一方は何も自覚していないのに対し、

 もう一方は自分が自分にしたことを後悔し、それに苦しんでいる。

 だが、この二つを比べ、

 どちらを大切にしなければならないかという問題は、客観的には存在しない。

*(親からも、世間からも、誰からも、
  そんな[選択/課題/義務]があることを知らされたことはない。)



「庭師は苗を植えるために、何の呵責も感じずに雑草を抜く!」。


 これは花を咲かせる可能性を増やすために必要なことだ。

 苦しみの原因は、

 用意された状況を利用しないことにある。』  



〈終〉




出典:チェスラヴ・チェコヴィッチによる回想録より


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