6■  ジ・アース・プログラム

文字数 9,110文字






これは、アニメ「ぼくらの..」のOPにおける出だしのシーン。この、地球より伸び上がってる赤い..オレンジの光って、

?。これの正体は、はたしてなんなのか?。それはどうして、どうやって生まれ、そしてまた地球から放射されたそのあとは、

向かってゆくのか?。物語設定におけるあのロボット、ジ・アースそのものが、システムとしてのもの、その一環、その一要素だった…。

今回のこの稿は、トロゴオートエゴクラテックにおける、これが保証してある永遠性について…。あまり踏み込んでの解説はやらない。概要どまり。皆さんの頭の整理のためとして。

基本的に、永遠性に関してを学ぶなら、知るのなら、

永遠なるものを、それとして機能、存在している、らしきものを、観察して、そしてそれらを熟考すればいい。ことの前提となるのは、それは、ときの流れに沿っての変化としての

指し示しているあること。違う言い方をすれば、それは、ときの流れのよっての侵食に、

、晒されてしまってあること。*だからこそ、未だそれがあること

矛盾なのだ。

だから地球クラスのものは、でかすぎてモデルにはならない。もっと身近にあるもの、
より日常生活における親和性ってやつが高いものがいい。河と海をセットと見立ててで十分さ……。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」方丈記
「大河としての流れが途絶えることはまず絶対にない。されど、しかしながらもじゃ、
 かってそに流れてあったおった同じ水としてでは、まったくないんじゃ……」改稿版

とりあえずにはなるのだが、地球環境としてのそれのエコシステムは、一種永遠性永劫性としての特質を、獲得してしまっていると言える?。いえると思う。では、それは何故なのだ?、なにを根拠として、それとしての永劫性は、支えられているのか?。



基本、永遠に止まない、止まらない、水の流れ、それの

においてだ。
気体、液体、固体としての様相変化を含む。←各相としての違いは分子としての振動数による。



この絵はウロボロスって云って、永遠性を表すシンボルになる。何故にヘビなんだ?どうしてこの表象が選ばれたるのか?。他にもいろいろとあり得ただろに…。その答えは簡単。真に永遠なるものとして実在するものにおいて、直感を働かせて、何処からか解を得たからだ。

ヘビは、龍/ドラゴンとして表されることもある。それも手足付きのもある!。非常にバイタルであることと、それが神性に預かってあるってことってのがモチーフだったのだろう。クンダリーニとしてのものも当然に検討として含まれてしまってあっただろう…。

ときの歯車、それの回転において引き起こされる変化は、とんでもなくダイナミック…。存在するあらゆるすべてにおいて、それによっての影響が発生する。前へ前へと物事は進み行き、決して元へとは戻らない…。このこと単独においては、

見通される。一切が灰燼へと帰することになる。エネルギーゼロの状態へと。このことにおいて、ヘビが自身の尾を喰らう、己が生み出したその最下層、末端としての

/

尾を喰らうことにおいて、円環としてのフィールドが完成させられているってことが分かる。これが永遠性の、その根拠になっている…。ではこのことは、なにを意味し、なにを表しているのか?。「還流だ!」。かって自分から外部に向けて放出したそのすべてを、

、ものへと、引き寄せる、回帰させる。もしかしたらゼロサムじゃなくって、結果、増大としての実り、より洗練された高次化された霊妙なるものとしてってのも、期待できるのかも知れない……。

結局は、恒常化システムにおいてのその理解を深めるにしかない。でも実際に現存してある、あった、生物相としてのその豊かさは、それの機能があったればこそ。それの永遠性に支えられて、ものごとが豊かに、より複雑になっていったことの、証しになるのではないだろうか?。

ダイレクトにては、神としての、その存在が、研究の対象だったんだろさ。これもまた、わたしたちが生きてこの世界にて存在しているの

、当然に知るべきものとしての前提となってきてしまう。すべての原因たるその根源たる存在として…。

そんで、辿り着いたのが、辿り着いてあったのが、全一者であるってこと。一なるものとしてのその存在。これは直感ベースなんだ。ただ、この方、お一人のみが、いらっしゃるっと…。なので、この彼に備わってある特質として、永遠性ってのが課題になってきちゃった。そのことの根拠を、理解してあることが、その必要性が、生まれてきちゃったのだ…。このことは結局は、人間においての、自分自身ついての理解、自分として、いま生きてある状況に対しての理解、これへの道でもあった訳さ。*下手にマインドってやつを手に入れちゃったもんだから…。

目が一つだけってのは、それが、絶対の一者のみであることと、認知認識としての働きを。これが備えて持たれているってことでしかない。彼は、なんだって知っている、気づいておられる。彼の体内としてのそのすべての事柄、事象に関しては、その変化に対しては…。



この円環の中には、神を表すべくしての中央には「鳩」がいる。これは聖霊だ。つまりは、純粋なる愛としての思い、それとしてのエネルギーの塊。実際、自分としての見解も、これにしかならない。体験においての総合に於いて、ではだ…。この絵一枚が究極の秘密の開示になってる。



永遠を表すべくしての輪は後退し、なにやら明確な三角形が、目を取り囲むようにして配置されてる。



これを参考するならば、彼としての存在が、三位一体としての構成であることの強調であるのではないかなって推測することが適うだろう。グルグル渦巻きともなれば、これはトリアマジカムノとしてのものの、その一種の表現かな〜っと…。



これになればもう三原理のみをクローズアップしてる。



あらゆるすべての事象の背景においては、これら三種のみの力が働いてある。
いろんなものに、この原理を当てはめて考えてみるのが、理解における、その最短の道だ。



日本文化においても似たものがある。三和銀行だとか、三本の矢だとか、八咫烏だとか、
「心・技・体」だとか…



儒教、孔子によっての持ち込みならば、三徳「智・仁・勇」、五徳としての「仁・義・礼・智・信」、八犬伝なら「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」!。なにやら、どんどん細分化、ややこしくなっていってしまってる…。各漢字の意味を、よっく考察するならば、三つの霊的センター(単独にて一種の生命体、生きているものになる)らにおいての担当領域に、すべて分類することが適う!。*連携においてのものであれば、どれに、どちらに、ことにおいての比重が、あるのか、傾いてあるのか、置かれているかを考えれば良い。



なんじゃこれ?!としてのデザインになってきた。まっコーディネーターたる彼の顔を立てるの意味で、これはそれぞれが(各センターが)関係、連携をもって、機能してるってことに、とりあえずはしといてください。とてもややこしく、またバイタルにしーーて〜、絡まりあいしながらに、関係し合って、機能、

。*これにおいての問題は、癖としての

準拠してるってな状態。臨機応変としての最高のパフォーマンスは、やはり、よっくトレーニングを積んだ操縦者ってのが

のことになる。当然に、彼は機体構成のそのすべてを熟知しているはずさ…。



また全知全能の不死者としての神の元へと還ってきてしまっただが、この円盤においての表現においては、それが回転するもの、動的に活動運動してあるものだとの理解ができる。そのことを訴えている。いやいや、彼ご自身、その存在が〜っと云うよりも、彼においての彼にとっての肉体、この宇宙全体、それそのものが〜ってことになる。……とりあえず、そうした表現であるかな〜っと思って観て、取っといてください。早く終わりたいんで。もうやめたいんで…www。


追記兼補足:
それとしてのもの、存在は、おぼろげに〜なるんの、そのマナーにて、人間等は察しては、感じてはいるのだが〜、いかんせん観念としてのものに、それのみにてで、落ちて、落ち着いてしまっている。そんで、地下の彼の波動に染まって影響されて誑かされて、これはこの地上における億万長者らのことになるのだが、自分たちで、この自分たちこそが〜、その神なるものであると、あろうと、それになろうと、してしまって、いてあるのだ。そんで、なにやるかって云うと〜、聖書における預言、ハッキリ云って〜、それは黙示録のことになるんだが〜、それを、強引に、力付く、金の力、暴力武力をもって、実現しようとしてる。そのときの、そのこと、その目的においての神を表してあるのがフリーメイソンのいてのプロビデンスの目。これの場合は、その神は、当然に地下におられる彼だってことになる。成り代わりとしての詐術が執り行われようとしてるんだ。終わり




なんじゃーこの絵は〜ってことには、なんのでしょうが、これはね、本一部、至極限定された範囲としてのものでしかないが、いろんな、外部としての存在と、この地球は、密接に関係を持ってるのだ〜〜ってこととして。関係なんてなまやさしいものなんかではなく、強引に、ダイナミックに、半強制的なるをもって、いろんな物質の交換ってのが実際に起こってはあるんだ。この連動が()むことはないんだ。()むときは、すべてが、宇宙全体が、終焉に向かってあるときのみ。



もう一回、この絵を持ってきておこう。じゃないとこの稿おいてのその結論が、見失われてしまうんで…。あの作品において、

このジ・アース・プログラムとしてのものが、そのアイデアが、あったのかは知らない。

…。だが、アニメ版においては、きっちりとそれは

!。特筆すべくしてのその事態だったのだ…。この自分にとっては驚愕としてのまさに驚嘆感嘆そのものとなっていた。そんで自分は思ったのさ、これの作者は、間違いなくグルジェフの講話録にあたる、ウスペンスキーによるあの「奇跡を求めて」を読んでるなっと…。

でも実際の表現におては、わかりやすさを優先するがあまりに、現実、実際とは、違った、ある意味、曲解としての解釈が、挟まれてしまっていた。間違った、あり得ないことまでもを、含んでしまっていたのだ…。それらに関してはもうやんない。だがだ、一つだけ、これに、この事態において、終わりがくることは、絶対ない、絶対にあり得ないんだ!。ジ・アースを解体破壊することは、人間には絶対にできない!。たとえ、そうした、そうすることができたとしても、

、全体機能の保守メンテナンスの働きにおいて、間違いなく、再誕生、再構成、再出現がされてくる。

また、人間サイドにおける善悪の観念なんか、これは人格エゴにおいての文化大系コードに基づいてのものでしかないんだが、そんなもん、この地球たるもんにおける、その条件下においてでは、個人としての都合、思いなんて、歯牙にかけられることもない。誰に?。この宇宙の全体システムからにとってはだ!。他に、真に為すべきことが、あんだ…。そのことに、まったく人類は、未だ、気づいてない、未だ、まったくもって自覚していない。*繰り返しになるが、自死を絶えず思ってあることと、つまりは、寿命ってのが人にはあるんだってことを、絶えずこころに刻んでおくことと、自分を創造された根源としての存在がおられるってことの理解。それを絶対の上位に置くってことからしか正道ってやつは起こらない、始まってはこないんだ。すべてをこの二点において発想しないと気づくことは無理!。*両方共に、どうしたものなのか、ピンとこない、できないってことにこそ、真の問題は表されてある。*ここに、人類にとっての共通としてある”呪い”ってやつが、横たわってある。催眠操作としての作用が働いてしまっている。*これを、この力から脱することのできるものは、あくまでも稀なのだ…。単にある意味、幸運にも、スピンアウト、フリークアウトできてしまってあったまで…。導きがあった、白羽の矢が立てられて、しまって、あったんだろさ……。

それは、おそらくは、疲弊消耗蕩尽されつくしてゆく中においての、その最後の到達点として、自死の間際、その

、もし愛としての思い、感謝の思いのみにてで、いられたならば、もうそれだけで

なのだ。彼は、きっと、二度と、この地球たる環境下において、人間として、再誕してくることはないであろう…。これが唯一の救い、救済の道になる……。

何名かの登場人物たちにおいてでは、年端もゆかぬあの年頃でありながらも、これが完璧に達成されていた。そのこと、その事実が、

、表現されていた。たいへん厳しいお話だが、ちゃんと理解して観れた方は、感謝するべきだと思う。よくぞ、ここまでのものを、それもアニメで、やってくれたものだと!。


                     了








これはおまけとして。いろんな素数における、その関連において。どうしたものなのか、こういった波紋(?)が、浮かび上がってくるんだ。見りゃ〜分かるだろうが、法則性が背後にては確実に潜んでいる。おそらくは、これが、素数が、

としてのななにかなのかもしれない。つまりは、いろんな変化としての事象が起こる、その各領域を、接続してある、繋いでいるもの…。

こういったことができてあるのが、ただの数字としてのもの、それによって表されているなんかなんだ……。



おまけとしての考察:

Re: エマネーション【流出説(りゅうしゅつせつ )

最高位の根源的一者から、一切の万物が段階的に創造されていった、出現していったことを、
泉から水があふれて流れ出るのイメージに例える形而上学的思想。

古代ローマ時代に生きた、プロティノスって人を起源としての学説。
完全なる一者(ト・ヘン)から、段階を経て世界が流出して生み出されたとする思想。

*当然に彼はこれを頭においてひねり出した訳ではないんだ。ビジョンにおいてこれを把握、
 理解、してしまってあった、までなのだ……。

    これを、この事態においての展開を、簡単なモデルにしたものがこれら。


              こんな感じとしてのものも、

....



この最後の、おまけとしての考察におけるその対象、その内容を、ここでお話しておこう。

Re: 

、はたして、

、あるのだろうか?…。


この彼ってのは、一番最初の絵における右端二枚において描かれてある彼だ。三つの頭と一つの胴体であることを特徴としての、それで構成されているもの、その存在。あの二枚においては一つ謎がある。何故に、あれの胴体は、自身の身体としてのその最終部を、その尻尾を、最上位界たる天の縁に、留められたある事を表してあるのか?。ご丁寧にも輪をもってで、表されている。また全階層を貫いて、すべての階層に渡っての形で、その全体としての体を横たえて、あるのか?。ここにおいてはただ単に、天界からの放逐、墜落としての意味だけではないような気が自分はするのだ...。それとしての意志を意味する

の形をもって、ここ地球にて存在している。つまりは、これの意識としての部分は、それの在処は、

、制限されて、しまって、い〜るーー!。

ここ、この地球におけるその三位は、サタン、ルシフェル、クンダリーニとしてのなにかだと、自分としては整理してる。もしくは、キングギドラとゴジラとクンダリーニでもいいんだが…。
とにかく今の彼は、この地球上においてでしか、其処においてでしか、考えたり、知ったり、観たりはできないんだ。何かをするのであれば、この地球上においての、

でしかない!。

この地球上における、おいての干渉によって、

天界に対して効果があるのか?。その絶対の最上位としてある彼の居城たる中心世界を、害する、攻める、壊す、破壊することを目的とするならば。

回帰としての

止める無効化変質化汚染、してやれば、「いい!」、それだけ、なのだ!。

つまりは、全宇宙規模における、その全体にとっての

、亀裂を入れる、

混ぜ込む!。

やがてにおける天使等によっての魂の分別は、このことにおいてが為なんかもね。
汚染まみれの、有害であるばかりの、魂を、元に戻すわけにはいかないと。
即座に、焼却処分が、なされなければならない、まさにそのもの、その核心なのだと…。

意外と卑小なれども、見かけは、この地球たる

におけるこれの

、大きいものなのかも知れない…。なによりも、我ら人の子らが、生存してある地と、なったからは、なってしまったが為に!故に!!。*鍵は分け御霊の所有にこそある。これが、本体そのものとのリンクを、果たしてしまってるものだから。これを、ごちゃごちゃ、なにやら、ややこしいことすれば、いきなり奥の院に、到達することも、彼ならば、できてしまう、そんな可能性をも、ことは、秘めているのかも、知れない……。












この自分は、上の垂直軸における表現ってのがあまり好きではないんだ。知性センターに偏りすぎてのその表現なんで。どうもスッキリこない…。ならば、自分としてはどんなのがピンとくるのかというと、水面においてのその波紋なんだ。順次創造されてゆく世界ってのは、外に向けて広がってゆく波紋としての世界なのだと……。

このモデルともなれば、一つの面白い現象、その事実もイメージとして掴むことが容易になる。それは、衰えながらも、外へ外へと広がってゆく波紋としてのモメンタム、そのムーブメントは、最果てとしてのボーダーにおいて、そこにぶち当たってからは、

くんだ。つまりは、来た道とは違う、それの逆に向けての、

、獲得することになる。

って呼ばれているね…。この余りに、ささやかすぎるまでの、この力の波が、これとの縁が、遭遇、感知が、回帰においての推進力、助け、ガイドになるのかも知れないっと。終わりっと……。いや、もう一つ、この波に感応してあるものが、ものたちが、鍵になる。両者共から関心を向けられる。ひとつには真に襲う、狙うべき最優先のターゲットとして……、もう一つからは、真に愛を注ぐべき対象として。そうだ、そうなんだ、彼は、これに乗って、感応して、彼の元へと戻らんとする魂にしか、興味はないんだ。そうでないものたちにおいては、そう大した関心は持たれていない。十把一絡げとしての、歯車の一個ぐらいにしか考えては、おあられない……。*例とするならば、自分は、自分の中の

一番に、特に大切なるものとして意識するのか?、大事にするのかを、考えてみれば良い。爪は爪で大事は大事さ。絶対に必要なものにはなる。だがだ……。

一番上がご本体の出現。そんで二番目が彼に使えることを最初から定められてあった熾天使セラフィムとして。そんで三番目が関係者の降臨と至聖絶対太陽としての領域権限の創造と宇宙の創造の前段階(つまりは準備/助走)が、

行われている、行われたのものとして。そんで最後から二番目が本格的な創造の開始のシーンとして。最後の一枚は、あとは、自動的に、弾み、勢いにおいて、各領域、各階層を創造すべく、生成としての作用力が伝搬してゆくその様としてのもの。









プチ情報:


回帰、この言葉に関する英語ともなれば:
「circulation 」「resurrection」「resurrection」「revolution」「tropic」「recurrence」等々ってのがある。みんなどれもニュアンスにおいてやや程なれども違ってる。「tropic」なんて、惑星の公転を原因としての、いろんなものごとのの切り替わりになる。元に戻ってきたってやつ。

さて、英語の単語ってやつには、それが背景において含んである意味を追跡、追求するならば、どえらい真実としての意味が、含まれてしまってることに気づく。いたって客観的な事実においての意味、その総括がだ!。やっぱ、言語ってのは、ときの流れに従って、結晶してきたるものだからなのかも知れない。

さて本稿における回帰としての意味は、我々人の子としてものが、元の最初に生み出されてあった、創造されてあった、いたとされるエデンの園への帰還においてになる。そこが〜本来我々人類が生きるべきところとして定められてあった場所!。そこの環境に合うように、我々は、本来創られてある。だから、そこへと、戻らなければ、ならないんだ……。

でっ其処はどうやら我等が今いる底辺としての階層からすれば、遥か上方の階層であるらしいんだ…。落下としての事態にあることから、上昇としての努力が必要になってくる。

最後に、ことにおいての、そのことの、その努力たるものにおいての意義が、「revolve」としての、そのニュアンスにおいてが一番的確にして最適であることをお伝えしときたい。

これは、

次点においてでは、「revolution」としての「革命」に、つながっていってしまう。では、なんにおいての、なににとっての、革命なのか?。

現在のトレンドとしてのものは、科学技術/テクノロジーの発達に軸足をおいた、更に物質性としての色合いを濃くしてゆく、ある、そういった領域への侵入となってる。問題は、このことにおいて、愛としての聖霊が、まったく介在/介入して、いないってこと。だから、これから先ますます人類は物質性としての、その色合いにおいて、囚われていってしまうであろうってことになる。

このベクトル、トレンドから、脱しましょうとしての意識革命が、現実において必要になる。

更に下方への、進捗、没入としてではなく、上方を目指することこそを、真の価値としての
行動へと人類進化を導いてゆかなければならないっと。終わりっと。wwwっと。







「resurrection」は、キリストの蘇りのことを表す言葉で、Re + Sure そんで名詞化、
これは、もう一回、もう一度、生きるに於いて、真に立脚すべき真実/事実へと、
立ち帰るって意味も、埋め込まれているんだと、自分なんかは、考える、思うんだ……。


最後の一枚は、これ掲載しなさいって届けられてきたんだ...。






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