二十五 家宅改め

文字数 3,780文字

 鍼師室橋幻庵の葬儀の翌日。朝五ツ(午前八時)。
 秋晴れの空の下、与力の藤堂八郎は配下の者たちと、徳三郎たち特使探索方を引き連れて、鍼師室橋幻庵宅を訪れた。

「これより家宅改めと吟味を行う。座敷を使う。
 幻庵先生の葬儀がすんだばかりにあいすまぬ。これもお役目ゆえ、勘弁してください」
 藤堂八郎は幻庵の妻のおさきに奉行所の書状を見せて、座敷へ上がった。

「お梅さん。おさきさんと和磨さんと義二さんの部屋へ案内してください。
 おさきさんと和磨さんと義二さんの三名は、ここに居てください」
 打ち合せどおり、藤堂八郎の指示で徳三郎と唐十郎は無言で座敷の隅に座った。
 下女のお梅に案内されて、同心たちと藤兵衛と正太と辻売り三人が、家の奥へ消えた。

「岡野。松原。おさきさんと和磨さんと義二さんの三名を、別室で待機してもらえ。
 松原は別室に詰めて、三名が口裏を合せぬように見張れ。
 岡野は私の指示に従って、各々をここへ連れて来い。
 松原。三名を別室へ連れてゆけ・・・」
「はっ!」
 松原は、おさき、和磨、義二の三人を連れて座敷を出た。

 藤堂八郎はしばらく家宅改めの結果を待ったが、早々に何かわかるはずもない。
「おさきさんをこれに・・・」
 藤堂八郎の呼びかけに、岡野が別室へ行って、幻庵の妻おさきを連れて現れた。
 おさきは、藤堂八郎が座っている書き物机の前に正座した。心なしか震えている。
 座敷の隅には徳三郎と唐十郎が座っている。岡野はおさきの斜め背後に控えて座った。

「さて、おさきさん、こたびは、お悔やみを申し上げる・・・」
 藤堂八郎は丁寧に御辞儀した。
「いろいろ訊きたい事があってな・・・。
 先日、小間物売りの与五郎が、幻庵先生に簪を買って頂いたと申して、幻庵先生とおさきさんの夫婦仲が良かったのを褒めておった・・・。
 幻庵先生は、簪について詳しかったのか」
「はい。私の身の周りのそうした物を、いろいろ揃えてくれました・・・」

「おさきさんは、いろいろな種類の簪を持っているのか」
「以前はそうでしたが、最近は年相応に、平打簪と玉簪だけになりました。
 この夏も幻庵は、古くなった平打簪や玉簪を新しいのに換えろと言って、新しい二本軸の金の平打簪と玉簪を手に入れて、古いのを全て処分してくれました。
 簪はあの二つだけになったのに、幻庵が亡くなる前から、平打簪が見当たらなくなって・・・。今となってはあの二つだけが、幻庵からの大切な品になりました・・・」
 とおさきは涙ぐんでいる。

「潜り戸や松の梢に触れて、どこぞで落としたのではないか。
 届け出があれば、まっ先に知らせようぞ」
 おさきの態度が変った。
「ありがとうございまする。
 ところで、私に訊きたい事と言うのは、何でござりましょう」

「幻庵先生の事を訊きたいと思ってな。
 亡くなった夜、幻庵先生は何処へ出かけたかわかるか」
「用があると言って、薬箱を持って一人で出かけました。馴染みの往診なら和磨がお供をします。馴染みの往診ではないと思います」
「その前の夜は、何処ぞへ往診に出かけたか」
「いいえ、出かけませんでした・・・。
 実は、腹を下して、二晩、厠にこもっておりました。酔ってそのまま眠るものですから腹を冷やして・・・。人様を治療する鍼師なのに不用心な事です・・・」
 とおさきは故人を偲んで涙ぐんだ。

「では、幻庵先生は、二晩、家に居たのだな」
「はい、出かけたくても、出かけられませんよ・・・。鍼治療も休みましたから・・・」
「その事を知っている者が居るか?」
「先ほどのお梅が、薬や手水(ちようず)を用意しましたから、お梅が知っています」
「そうか・・・」

 おさきの説明を聞いて、唐十郎は思った。
 おさきの説明に嘘は無いだろう。六助と山形屋吉右衛門が亡くなった夜、幻庵は家に居た・・・。
 幻庵は銀の平打簪と玉簪を香具師の藤五郎に渡して、金の平打簪や玉簪をおさきに与えたが、幻庵が亡くなる前に、おさきは金の平打簪を無くしている。この事は何を意味するのか・・・。

「つかぬ事を訊くが、気を悪くせんでくれ」
「なんなりと訊いてくださいまし」
「和磨さんの父親は誰か、教えてくれぬか」
「幻庵です。亀甲屋に奉公しているあたしを幻庵が見初め、和磨ができました。
 和磨が藤五郎の子供だ、と噂になりましたが、藤五郎は女にも男にも関心がなく、金儲けしか頭にない男でした」
「その事、和磨さんは知っていたのか」
「はい、幻庵もあたしも、和磨に話しました。
 でも、和磨は巷の噂を聞きつけてきて、和磨なりに考えこんでいました。
 幻庵は、和磨が大きくなるに連れて幻庵に似てきた事から、いずれ、真実を理解するだろうと思っていました・・・」
「いや、いろいろ、すまぬな。では、また、控えていてください。
 岡野。お梅さんをこれに・・・」
「はっ」
 岡野はおさきを連れて別室へ行って、下女のお梅を連れて戻った。

 藤堂八郎の問いにお梅は、
「幻庵先生は腹を下して、二日間、厠へ出たり入ったり、寝たり起きたりの日々でした」
 と話して、おさきの説明を裏付ける証言をした。お梅の証言に嘘は無さそうだった。
「岡野。和磨さんをこれに」
「はっ」
 岡野はお梅を連れて退室し、和磨を連れて戻った。


 和磨が藤堂八郎の書き物机の前に正座した。
「和磨さん。幻庵先生が亡くなる前の夜と、さらにその前の夜、幻庵先生はどこに居たか知っているか」
「・・・」
「では、幻庵先生が亡くなったと思われる夜、あんたが何処に居たか話してくれ」
「・・・」
「おさきさんは、幻庵先生が亡くなる前から、二本軸の金の平打簪が見当たらなくなったと言っていた。簪の行方を知っているか」

「・・・」
「話さぬのか。茅場町の大番屋で詮議方に詮議されてもよいのだな」
 吟味方は、江戸の町奉行所の役職の一つ。出入筋(公事 = 民事訴訟)・吟味筋(吟味=刑事裁判)を問わず、裁判を担当する役務で、容疑者の取り調べも行なう。詮議方とも呼ばれた。

「いえ・・・そのような・・・。
 父は亡くなる前の夜と、その前の夜、出かけていたようでした。夜、寝所に明りが灯っていたので、そっと確かめました。すると、母が臥所で横になっていて、父の臥所は空でした。そんな事が二晩続きました・・・」
「その事をどう思ったか話してくれ」
「父が小間物売りの与五郎から、二本軸の平打簪や玉簪を四本買ったのは知っていました。母に渡ったのは金の二本でした。
 二本軸の簪は特別な用途に使えるのを父から聞いてましたから、車引きの六さんが届けたあの薬の関係で、父が六助さんと山形屋吉右衛門を手にかけたと思いました・・・」

「そうか・・・。
 ところで、幻庵先生は、亡くなったと思われる夜の、前の夜とその前の夜、腹を下して、ずっと厠にこもっていた、と、おさきさんが話しておったぞ。お梅さんも認めておる。二日間、鍼治療は休みだったのであろう」
「それは・・・、そうでしたが・・・」
 和磨は驚いた様子だった。

「それに、幻庵先生が与五郎から買った二本軸の銀の平打簪と玉簪が、香具師の藤五郎の部屋の手文庫から見つかった。二本とも、かなり以前に人の汗のようなものに触れたらしく、黒く錆びておった。人を刺したのであろう。ひとたび錆びれば、その後、人を刺しても錆は変らぬ。
 また、六助と山形屋吉右衛門の両名は、殺害された夜中に藤五郎とともに居た事が判明している。藤五郎が両名を殺害したのはまちがいない」
「・・・」
 和磨は言葉を無くした。袴の膝頭を掴んだまま小刻みに震えている。

「岡野。家宅改めを見て来てくれ」
「はっ」
 岡野は部屋を出てゆき、まもなく戻った。

「藤堂様。これが和磨さんの手文庫に・・・」
 岡野は、綿布に包んだ二本軸の金の平打簪を見せた。綿布には薄い血の染みがある。
「和磨さん・・・。ここでは何ですから、後の話は自身番で聞きましょう」
「は・・・、はい・・・・」
 和磨は放心したようにそう呟いた。

「岡野、家人に気取られぬよう、和磨さんを案内しろ・・・」
 藤堂八郎は和磨を自身番へ同行するよう岡野に指示した。今さら和磨がどこかへ逃げるとは考えられない。
「では、私とともに・・・」
 岡野は和磨を連れて部屋を出ていった。

 藤堂八郎は、部屋の入口に和磨が居るかのように目配せした。
「日野先生は如何様に・・・」
「父を手に掛けたのはまちがいなかろう。
 六助と山形屋吉右衛門を殺害したのは藤五郎だ。思い違いをいたしたのであろうよ」
「では、これにて吟味を終了したいが、先生たちは如何か」
「弟さんも吟味するのが筋かと。その間に家宅改めも終りましょう」と唐十郎。
「そうだな。筋を通そう・・・」
 そう言って藤堂八郎は部屋を出て、義二を連れて戻った。
 義二は父の行動も、母の簪についても何も知らず、これと言って新しい事は出てこなかった。
 義二が部屋を退出してまもなく、家宅改めが終った。

 家宅改めを行った同心の野村一太郎が藤兵衛たちとともに部屋に現れた。藤堂八郎の前に仰々しく片膝ついて報告した。
「見つけたのは、あの金の平打簪だけです・・・」
「ご苦労だった。では引き揚げましょう。
 野村、そのように伝えろ」
「はっ」
 野村は部屋を出ていった。
「日野先生。唐十郎さん。引き揚げましょう」
「はい・・・」
 藤堂八郎と徳三郎と唐十郎たちは席を立って座敷を出た。
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