十一 香具師の藤五郎

文字数 2,360文字

 亀甲屋の表向きはあらゆる品を商う廻船問屋であり、運脚から車馬や人足を斡旋する手配師である。そして裏家業が香具師(やし)である。

 昼八つ半(午後三時)頃。
 与力の藤堂八郎と徳三郎と唐十郎は亀甲屋に着いた。
「これはこれは、みな様。よう、いらっしゃいました」
 店先で算盤(そろばん)を弾いていた主の藤五郎は、与力の藤堂八郎と徳三郎と唐十郎を愛想笑いで迎えて、唐十郎の背後から現れた毒消し売りと飴売りと小間物売りを睨みつけて手代に、
「これ、みな様に茶菓をご用意しなさい」
 と言いつけた。

「いや、そのような事は不用じゃ」
 藤堂八郎は、手代が奥へ走るのを止めた。
「この三名に日野先生がずっと尾行されていてな。いろいろ問いつめたら、主の指示だと言うから、事情を聞きに来たのだ」
 藤堂八郎は店の上り框に腰を降ろして、淡々と話している。徳三郎と唐十郎は立ったままだ。長居するつもりはない。

 藤五郎は三名を鋭く睨みつけて藤堂八郎に愛想笑いした。
「六助が亡くなって、なんと言っていいやら・・・。
 今、番頭が親元へお悔やみの品など届けにまいっております。当方としても、腕のたつ者を亡くして困っているしだいでして・・・。
 つきましては、この者たちに、六助が亡くなった訳を、それとなく探るように命じたしだいでして。
 日野先生たちから事情を聞けとは申しましたが、つけろとは滅相もございません」

 藤堂八郎はわかっているが、藤五郎に裏家業をそれとなく訊いた。
「この者たちは、主とどういう関係か」
「手前どもはあらゆる品を商います。また人の手配もします。商いをしたいと申す者がいれば、商いに必用な品も、商う場所も手配します。その代りに、商いの三割は諸費用としていただくしだいでして」

「車引きも同じか」
「へえ、さようでして」
「ずいぶん儲かるではないか」
「道具の修理やら、独り立ちする時の積み立てやらで、それほどではありません」
「独り立ちさせるために、積み立ててやっているのか」
「へえ、六助の積み立て分も、番頭が親元へ届けましてございます。
 と言いますのも、いつまでも手前どもに頼っていては、当人の商いの気持ちが薄れます。
 たとえば、小間物の辻売りから、店を構えて独り立ちするようにと、そういうしだいでして」

「車引きも、独り立ちさせるのか」
「自分の車を持って、得意先からじかに仕事を受け、ときには手前どもに加勢してもらうしだいでして」
「この者たちのような者が多く独り立ちしたら、亀甲屋の実入りが減るのではないか」
 藤堂八郎は、藤五郎が適当に作り話をしていると思った。
「商いの才ある者は手前どもに取り入らなくても、伝手を頼って独り立ちします。
 伝手の無い者が手前どもを頼り、手前どもは、そういう者に商う場所を手配して、その手間賃をいただくしだいでして・・・」
 聞こえの良い事を並べているが、実態は、手下が独り立ちしても、藤五郎は手下を自分の縄張りで商わせて、所場代を要求するのである。
「ですが、ひとたび人を頼ると商いの気力が萎えて、なかなか独り立ちできるものじゃござんせん。そういう者がいる方が、手前どもの実入りが増えます。
 独り立ちしても、また舞いもどる者もいますし・・・」
 藤五郎は毒消し売りと飴売りを睨んでいる。
 案外この藤五郎は本音を言っているのかも知れない、と唐十郎は感じた。

「ところで、六助の件を、主はどう思っている?」
 藤堂八郎は本題に切り込んだ。藤五郎がどう答えるか、唐十郎はそれとなく藤五郎を見つめた。
「六助はあの人柄と力ですから、他の者より商いが上手でございました。独り立ちの気力も、人より優れておりました。
 その事を店の若い者からやっかまれ、私も何度か若い者を叱りつけました。それで剣術を習って自分を守るように話しました。
 その後の事は、日野先生もご存じかと思います・・・」
 藤五郎が穏やかな皆差しで徳三郎を見つめた。徳三郎は藤五郎に頷き返している。
 藤五郎の話に嘘はなさそうだと唐十郎は思った。

「六助と酒を酌み交わすような間柄の者を知らぬか」
「六助は酒を飲みません。仕事一本の生真面目でしたから、そう言う者は聞いた事がありません。飲んで堀に落ちるなんて考えられません。それで、この者たちに探るように命じたしだいでして・・・」
「親元へ届ける米や味噌など、六助はどこで仕入れていたかわかるか」
「米は小舟町の山形屋、味噌と醤油は小網町の河内屋ですが・・・」
 藤五郎が、なぜこんな事を訊くのかという表情になった。近くの米問屋や味噌問屋は山形屋吉右衛門と河内屋庄三郎だ。どちらも六助の馴染みの客だ。

 田所町の亀甲屋と西の方角の小舟町の山形屋は近い。さらに南の方角に小網町の河内屋がある。
 小間物屋平助が六助を見かけた日本橋本町三丁目と室町三丁目の辻は亀甲屋がある田所町の西方で、河内屋がある小網町とは方向違いだ。
 なぜ、六助は荷を積んで室町三丁目の辻に居たのか。もし、六助が他の問屋から米や味噌を買い求めたなら、いずこの問屋であろう。そこで酒を飲まされたのか・・・。唐十郎は不思議に思えた。

「六助の事で何かわかったら、じかに、私に知らせてくれ」
 藤堂八郎は藤五郎にそう言った。
「旦那は、六助が酔って堀に落ちたのではないとお考えですか」
「私の思いは、主と同じだろうよ・・・。
 忙しい時にすまなかった・・・。
 ところで、この者たちに、お上の仕事を手伝ってもらいたいが、如何か」
 何か手厳しい事を言われるのを覚悟していたのか、藤堂八郎の態度に藤五郎は思わず笑顔になった。
「お上のお役に立てるなら、なんなりと使ってくださいまし」
 藤五郎は笑顔でそう言った。
「そうしてもらえると助かる。ではこれにて。三名は私について来てくれ」
 藤堂八郎は立ちあがって、藤五郎に深々と御辞儀した。
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