十 探索

文字数 2,311文字

 日野道場で、徳三郎は唐十郎たちを座敷に呼んだ。座敷に穣之介も居る。
「讃岐屋は抜け荷で儲けていたため押し込みに入られた。甲州屋と紀州屋の一件は、讃岐屋の賊殺しと同じ下手人だろう。
 下手人はともかく、なぜ殺められたか調べたい。
 まだ、発布されておらぬゆえ、御触書きの細部がどのようのものかわからぬが、天下普請のために幕府から助成金が出れば、暴利を貪る商人も現れる。甲州屋と紀州屋が出かけた寄り合いはそうした談合だったのであろう。
 御触書きの事を、与力の藤堂八郎様が私に話すくらいだから、御触書きの内容はすでに江戸市中の商人たちに知れ渡っておろう。商人たちは不当に儲ける手立てを考えていると見てよい」
「先生は、談合した商人たちに、下手人が天誅を下したとお思いですか」と藤兵衛。
「うむ、下手人が不正の芽を摘んでいる、そう思えてならぬ」
 徳三郎は藤兵衛の問いにそう答えた

「父上。与力に任せておけば良いではありませぬか」
 徳三郎の子息の穣之介は、父の徳三郎が、なぜ事件を気にかけるのか、疑問視している。
「今の町方に、あの下手人ほど腕の立つ者はおらぬ」
「ならば父上。次に殺られる者に見当をつける方が良いのではありませぬか」
「それも考えたが、下手人の意図が掴めぬゆえ、何とも言えぬ・・・」
 徳三郎は、小間物屋の平助から昨夜の一件をもう一度詳しく聞きたいと思ったが、藤堂八郎に話した平助の様子では、何も見ていないか、見たとしても、黒装束の下手人が闇に紛れて大店の主二人を斬殺しただけで、下手人の特徴は聞けそうになかった。

「伯父上は、例の隠密のお役目を言いつかったのですか」と唐十郎。
「そうではない。このあいだの話は、仮の話じゃ。本音は単なる興味本位の人助けじゃ。
 これ以上、死人が出ては、儂が多忙になっていけない、それに江戸市中が物騒では、夜もおちおち歩けなくなっても困るではないか」
 と徳三郎は言うが、実際は、下手人と立ち合える剣客はこの日野道場にしかいないと考えているらしかった。


 徳三郎の話が終った。唐十郎たちは日野道場を出た。
 藤兵衛と正太を伴って長屋へ向う道中、唐十郎はそれとなくお綾の身寄りを藤兵衛に訊いたが、お綾の実家は、唐十郎が母から聞いた事と同じで、お綾が反物問屋の次女だとの他、新たな事はなかった。
「旦那、女房が何かしましたか」
「母を訪ねた折、お綾の身寄りの話が出て、皆様、御健在かと訊かれたのだ」
「いたって、元気なもんでさあ。
 あの母親は病が逃げだすくれえ強い気性だし、父親もまだ若いから、後継ぎが安心しちまっていけねえ。跡継ぎはこのところ謡に凝って天下泰平な様子でして」
 藤兵衛は、若旦那であるお綾の兄の染太郎を苦笑した。

「母方は確か信州の・・・」
「そうです。上州と信州の絹織物を一手に商う地方問屋の娘で、気が荒いって言うか、なんかこう、気が強ええって言うか・・・」
 藤兵衛はお綾の母親が苦手らしく口を閉じた。唐十郎もその事は母から聞いていた。

 唐十郎が知りたかったのは、昨夜、長屋の天井裏から現れた、お綾に似たもう一人のお綾である。忍びのお綾から妖刀を受けとった翌日、徳三郎が、忍びが関わっているとすれば戸隠かと言った。もしやして、お綾の母の在に縁があるのではないか、と思えた。

 昼四つ半(午前十一時)過ぎ、長屋へ戻った。
 昼餉の膳で藤兵衛が言う。
「正太。明日、一席設けて給金を払う。
 今日は飯を食ったら、家に戻ってゆっくり休め。
 何かあれば知らせる。家に居てくれ」
「へい、わかりました・・・。親方たちは、これからどうするんですか」
「夕刻、小間物屋へ行くつもりだ」と唐十郎。
「わかりやした」
 昼餉がすむと、正太は竪大工町の長屋へ戻っていった。


 夕七つ半(午後五時)。
 唐十郎と藤兵衛が日本橋室町の小間物屋平助に着いた。商いから戻ったばかりの平助は藤兵衛を見ると笑顔になり、部屋の道具箱を片づけて座布団を出し、唐十郎と藤兵衛を上り框に座らせて、お茶をいれた。
 唐十郎は日野徳三郎の甥の日野唐十郎と名乗り、挨拶した。
「そうですか。日野先生の甥子様で・・・」
 平助は唐十郎の素性を知ると安心した。

 藤兵衛の問いに、昨夜、障子に映った人影は商人たちだけで、下手人の影は映らず、人の気配がしただけだったと言った。
「大店の主たちが夜更けまで出歩くのは、よくあることでして。
 おおかた謡なんぞの手習いだろうと、あっしも気にしなかった。
 ところが、二度目は人影が映らなかったのに、足音っていうか気配がやたらに大きいんで・・・」
 平助は、大風が吹く前や、祭りの後の人の気配など、人の姿は見えぬが気配を感じる時があると言う。しかし、この小間物屋が、藤兵衛のように、人の気を感じるか否か、唐十郎は疑問だった。

「商人たちは何か話していたか」と藤兵衛。
「へえ、なんでも御触書きがどうのとか、みんなで決めれば儲けが増えるとか話しておりました。いつも商人たちは手習いの帰りに儲け話するもんですから気にもしませんでした」
 やはり、下手人は鎌鼬でしょうか」
「まだ、何とも言えない」
 鎌鼬がばっさりと人を斬るなど無い、下手人は人だ、と言いたかったが、唐十郎は口を閉ざした。

「ありがとうよ。夕刻の忙しい時に、手間を取らせてすまなかったな。これで肴でも買ってくれ」
 藤兵衛は紙に包んだ心付けを平助に渡した。口調はお綾の実家の母親の口調だ。
「忙しい折にすまなかった。お礼を申します」
 唐十郎は平助に頭を下げた。
「唐十郎様、頭をお上げください。何か思いだしたらお知らせしますので・・・。
 親方、すみません。ありがたく頂戴します」
 平助は紙包みを懐に入れた。
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