十五 始末料

文字数 2,488文字

 長月(九月)六日、宵五ツ半(午後九時)過ぎ。
 三人の浪人が、小梅の水戸徳川家下屋敷を出た。
 三人は大川東岸の通りを南へ歩いて、新大橋を渡った。
 新大橋の西詰めから、大工の印半纏(しるしばんてん)の二人連れが、千鳥足で歩いてきた。そして、若い方が、浪人の一人にぶつかった。
 浪人にぶつかった無礼を詫びて、平謝りに頭を下げる頭領風の大工に、浪人は、
「気をつけて帰って、これでお上さんに土産でも買ってやりなさい」
 と心付けの紙包みを渡して大工たちを見送り、三人の浪人は西詰めへ新大橋を渡った。


 三人の浪人が、日本橋新大阪町の取り潰しになった吉田屋に着いた。
「小金を稼げると聞いた。何をすればよいか」
 浪人の一人が福助に訊いた。
 福助は吉田屋の店先で、煮付けを摘まみに茶碗酒を飲んでいた。店の土間は食い散らした魚の骨や惣菜を包んでいた竹皮、煮付けの竹串などが溜って、酷い匂いがする。

 福助は浪人たちを睨んだ。
「おめえら、何両で人を始末してくれる」
「三十両だ」
 浪人の一人が静かに答えた。
「いいだろう。誰を殺るか、日を改めて知らせる。何処に知らせればいい」
「下屋敷の中間部屋だ」
「名はなんだ」
「俺は水野だ。こっちは伊藤と坂上だ」

「わかった。誰を殺るか決ったら、知らせる。まあ、一杯飲んで行け」
 福助は三人を店の板敷きの敷物に座らせて、茶碗酒を勧めた。

 浪人たちは黙って板敷きの敷物に胡座をかいた。この様子では、誰を殺るか決まっていない、と水野浪人は思った。早々に引きあげて、博打でもしている方がましだ・・・。
 茶碗酒を一杯飲むと、水野浪人は二人の浪人とともに立ちあがった。

「どうしたっ。座れっ。酒を付き合えっ」
 福助が怒鳴った。
「用が無いなら帰る・・・」
「なんだとっ。俺が座れと言ってるんだっ。それが俺の命令だっ」
 福助がそう言うや、一瞬に水野浪人が打刀を抜いて鞘に納めた。

 福助の右手の竹串から鰯の煮付けがゆっくり板敷きに落ちて、左手の茶碗が割れ、左手から手と胡座をかいた左腿に酒が滴った。
 福助の呼吸は止まって両手が小刻みに震え、その後から、早鐘のような鼓動が全身へ拡がった。耳は内部から圧迫されて、鼓動とともに視界が揺れ、こめかみがズキズキと痛みだした。そして、下帯が湿ってくるのがわかった。
 くそっ、漏しちまった・・・。
 三吉も、とんでもねえ使い手を見つけてきたもんだ・・・。

「口の利き方を覚えるには、指の一つも斬り跳ばせば良かったか・・・」
 水野浪人がそう言うと福助が言う。
「すまねえ。一人始末するのにいくらだ」
「三十だ・・・」
「一人始末したら、おめえら三人に三十両か。それなら、腕のたつおめえが十五両で一人を始末しろ。二人は帰れっ」
 先ほどの水野浪人の居合いに肝を冷やしたのも忘れ、福助はそう言って新たな茶碗に酒を注いで飲んでいる。

 水野浪人の横で、伊藤浪人は、こいつは金を渋っている、と水野浪人と坂上浪人に目配せした。
「腕の立つのが三人必要だと聞いた。三人必要ないなら、他を当れ」
 そう言って伊藤浪人と三人はその場から店の入口へ歩いた。

「待て。金が欲しいんだろう。そう見栄を張るな。十五両で人一人を殺れ。三人で十五両を分けりゃあいい」
「三十だ。払えぬなら他を当れ」
「なんだとっ。誰に向って言ってるんだっ。一人を十五両で殺れっ。いいなっ」


 その瞬間、吉田屋の雨戸が打ち壊されて、龕灯(がんとう)が店内を照らした。
「福助っ。今の話、与力の藤堂八郎が、しかと聞いたぞっ。
 辻斬りの主謀者がお前だという証拠も挙がっている。
 引っ捕らえろっ」
 藤堂八郎の指示で、福助は呆気なく捕縛された。殺人教唆は即刻死罪だ。福助の咎は、香具師の三吉と茂平の証言で明らかだ。

「なんだとっ。俺は辻斬りなんぞ、あの仏になった三人に頼んじゃいねえ。
 三吉と茂平が、三人に刺客に頼んだんだっ。
 それに、こいつらが刺客だっ」
 縄を括られて、福助は喚いている。

「三人が刺客だとは誰の事だ。誰が、仏になった三人が刺客だ、と言った。説明しろっ」
「三吉と茂平が・・・」
「三吉と茂平は、公儀が裏で手をまわした草(密偵)だ。お前の動き全てを報告しておる」
 藤堂八郎は、勘定吟味役荻原重秀の名を語らずに、荻原重秀からの指示をそう述べた。
 さらに福助は、その場にいる三人の浪人を示して、でまかせを言う。
「その三人が刺客だっ」

「馬鹿を言うな。
 この者たちは公儀お抱え剣術指南役補佐の日野先生と坂本先生だ。
 そして、こちらは水戸徳川家下屋敷留守居役の後藤伊織様じゃ。
 お前の悪事を曝くために、一肌脱いでもらったのだ。
 茅場町の大番屋へ引っ立てろっ。
 こやつの一味全員を捕縛しろっ」
 藤堂八郎の指示で、吉田屋にいた福助一味は捕縛された。
 その後、逃げた者たちはお尋ね者になった。


 福助捕縛の知らせは、藤兵衛と正太によって、ただちに、両国橋西詰めの担い屋台にいる藤吉に伝わった。

 夜四ツ(午後十時)。
 藤吉は仲間を使って、深川の元締め末吉と神田の元締の権助に、。
 そして、藤吉はみずから本所の香具師の元締め押上村の又三郎に福助捕縛を伝え、馬を借りて隅田村の肥問屋仁藤屋へ駆けた。

 藤吉は肥問屋仁藤屋の座敷で福助捕縛を伝えて尋ねた。
「姉ちゃん。これで荻原重秀様の言うとおりになった。
 あの黒装束の侍と言い、荻原重秀様と言い、いったい、どういう人たちなんだ」

「藤吉、口の堅いお前だから話しておく。
 親、姉弟、仲間にも、口外してはならぬ。他言は無用だよ」
 お藤は仁吉とともに藤吉を睨んだ。藤吉は思わずぶるっと震えた。
「わかった。決して他言しないっ」

「荻原重秀様は町奉行のさらに上の方だ。
 ここからは、私と仁吉の推測だ。
 荻原重秀様は裏で、町方と特使探索方の采配を振るい、あの侍たちを使って天誅を下している・・・」
 お藤がそう言うと仁吉が頷いている。

「もしかして、鎌鼬が・・・」
「親、姉弟、仲間にも、口外してはならぬ、と言ったはず」とお藤。
「口外したときは、黒装束の侍によって、あの世夜へ行くときと思え・・・」
「わかった・・・」
 仁吉の低い声に、藤吉はぶるぶる震えた。
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