十八 薬種吟味

文字数 2,591文字

 大伝馬町の自身番を出て半時ほどで、神田佐久間町の医者竹原松月宅に着いた。まもなく正太と太助が到着した。

「雨の中をご苦労様でした。昼餉はすませましたか」
 竹原松月は穏やかに訊いた。
「まだでございます」
 太助はこれから診察を受ける患者の如く緊張している。
「ならば、まずはみな様と昼餉にしましょう。なあに、一汁一菜にて、遠慮はいらないですよ。ささ、こちらへ・・」
 竹原松月は笑顔で太助を座敷へ招いて、徳三郎たちに目配せした。太助の緊張を解きほぐすよう気遣っている。

 竹原松月の妻と弟子たちが用意した質素な昼餉を食べて、片づけがすんだ。
 竹原松月は畳の上に七つ小壺を並べた。
「さて、太助さんが嗅いだ匂いが、どんなであったか話してください」
 竹原松月は、患者を診るように穏やかに訊いた。
「甘ったるい匂いで、頭がぼおーっとなるみてえな、痺れるみてえな、それていながら心が和むような・・・」
「なるほど・・・」
 竹原松月は並べた壺の一つを選んで、蓋を取って太助に匂いを嗅がせた。
 太助は首を横に振った。
 竹原松月はその壺に蓋をして脇へよけ、他の壺の匂いを太助に嗅がせた。
 太助は首を横に振った。

 七つの壺で太助が首を縦にふったのは二つだった。
「松月先生。この薬は何でやすか?六助は薬を配達をしてたんですかい」
 太助は藤兵衛に語ったように、六助がとんでもない物を配達して、その正体を知ったために死んだと勘ぐっている。竹原松月は太助の思いを察した。
「この薬はな、痛み止めですよ。ほれ、太助さんが怪我して痛くてたまらぬ時に渡した、あの煎じ薬です。
 おそらく菓子に薬を仕込んで、子供に食わせようとしたのでしょう」
「なるほど、子供は薬が嫌いだ。菓子なら食うわなあ。大店の商人は考える事がちがうなあ」
 太助は独り納得している。

 本来、薬は、薬種問屋を通してのみ商いが行われる。他の問屋が薬を商うのは御法度である。さらに、禁制の薬物であれば薬種問屋にあらずとも商うわけにはゆかない。従って米問屋の山形屋吉右衛門が薬を扱う事自体が御法度なのを、太助は思ってもいなかった。

「さて、ご足労いただき、ありどうございました。
 ついでと言ってはなんですが、ちょいと診ておきましょう・・・。
 酒は飲んでいますか。
 頭がぼおーっとする事はありますか。
 夜は眠れますか」
 竹原松月は太助を問診しながら、手首を取って脈診した。

「丈夫でなりよりです。今日はありがとうござました」
 ひととおりの診察が終ると、竹原松月は徳三郎たちとともに、太助に礼を言った。
「とっつぁん。家まで送るぜ。なあに、雨もあがってきた。六助に線香をあげてえのさ。菓子折りの報告もある。正太。行くぜ」
 藤兵衛は正太を誘って太助を送っていった。太助をいち早く竹原松月の下から離そうとする藤兵衛の気遣いだった。

 太助たちが去ると、徳三郎は竹原松月に訊いた。
「松月先生。この薬は何でござろう」
「芥子の汁を煮詰めた痛み止めです・・・」
「阿片ですか」
「御存じでしたか。阿片です。出まわっているとなると大変ですな」
「ところで、松月先生は、如何にしてあれを」
「ここだけの話です」
「心得ました」
「御上からの特別な沙汰がありましてな。市中において非常の際には駆け付けるようにとの由にて・・・」
 神田佐久間町の町医者竹原松月は、御上のお抱えの隠れ寄合医師だった。
 寄合医師は家業の医術に熟達した者が選ばれ、平時は登城せず、不時の時に備えた。持高のみで役料は無い。

「では、小石川ですかな」と徳三郎。
「いかにも・・・。
 六助が運んだ菓子折りの中身は、特定の医者だけが御上から許された阿片の痛み止めでしょう。おそらく国内で集められた物でしょう」
「それを、何処かの者が手に入れて、米問屋を通じて商っていた・・・。
 今後は、他の問屋を通して商いますな・・・」
 こたびの米問屋は単なる運び屋の一人だ、と徳三郎は思った。

「日々の配達に紛れこませても、他人に気取られない卸問屋でしょう」と竹原松月
「では、薬種問屋ですかな」
「薬種問屋は御上の吟味が厳しいゆえ、他の問屋でしょう」と竹原松月。
「わかり申した・・・」
 いずれ、阿片の抜け荷も探らねばならぬ、と徳三郎は思った

 竹原松月の表情が変った。
「日野先生。私は、仏たちの後頭部の傷痕を鍼の痕と診たが、いかがでしょう」
「儂もそう思う。なれど、鍼より太く長い物を、如何にして作ったものか」
「おそらく金や銀など、鋼より柔らかな物を使っていると思われます。そうすれば刺しても血の管を避けて・・・」
 竹原松月は鍼治療の針がいかなるものか説明した。徳三郎と唐十郎の見立てどおり、竹原松月は、仏となった者たちの後頭部首筋上部の傷痕は、鍼師が作った特殊な鍼によると断言した。

 日本橋室町の小間物屋平助が特殊な二本軸の簪を作ったのだから、心得ある者なら今回の事件に使われた鍼を作れる・・・。特殊な鍼の出所を探っても、作った者は堅く口を閉ざす。あるいは幻庵のように口封じされているとも考えられる。
 唐十郎は
「鍼の出所を探るより、仏となった者たちの繋がりが気になります」
 と言って説明した。
 小舟町の米問屋の山形屋吉右衛門が六助に薬の配達を依頼した折に、吉右衛門はうっかり薬の効能を六助に漏した。六助は薬の届け先でその事を話した結果、六助と山形屋吉右衛門は口封じされた。二人の仏と幻庵も繋がっていたため、幻庵の口も封じられた。
 三人は酔って堀に落ちたように見せかけて殺害された。薬を扱っていたのは山形屋吉右衛門ではない。山形屋は六助に薬の配達を手配しただけだ。山形屋を通じて幻庵に薬を売らせた者がいる。

 説明を終えて唐十郎は続ける。
「藤五郎を探りたいが、六助が亡くなった日、私たちをつけていた辻売りの三名は、その後、現れていません。藤五郎が何か指示したのは確かです。
 亀甲屋は廻船問屋です。今回の事件の裏で、藤五郎が動いていると思われます」

 唐十郎の説明に、竹原松月は納得して頷いている。
 徳三郎が唐十郎の説明を引き継ぐように言う。
「何とかして、亀甲屋を探らねばならぬな。
 ところで、松月先生。痛み止めの事を詳しく教えてくだされ」
「わかりました。あれは暖かい土地で栽培した・・・」
 それから半時ほど、徳三郎と唐十郎は竹原松月の説明を聞き、竹原松月に礼を言って松月宅を出た。
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