六 検視

文字数 3,185文字

 翌早朝。
 日本橋新材木町の堀に六助が浮かんだ。見つけたのは新材木町の材木問屋木曽屋の手代の小吉だ。町方配下の岡っ引きが、六助を枝垂れ柳の下の船着き場に引き上げる間、
「陽が昇る前だったので、首の手拭いから、人が浮かんでるとわかりました」
 小吉は涙ながら、与力の藤堂八郎に、六助を見つけた経緯を話した。

「藤堂様。胴巻きに巾着があります。中身は取られていないようです。酒の匂いがします」
 同心岡野智永が六助に顔を近づけて、怪訝な面持(おもも)ちである。
「酔って堀に落ちたなら妙です。六助は酒を飲めないんですよ」
 小吉は、田所町の亀甲屋に奉公している六助を知っている。

 藤堂八郎は、六助が酔っぱらって堀に落ちたと推測した。
「亀甲屋の付き合いで飲まされたのだろう」
「六助は持病があって酒を飲むと心の臓に負担がかかって、止まっちまうと聞いてます。だから、酒は絶対飲まねえんです」
「どういうことだ。ならば、なぜ、水に浸かっても酒の匂いが残っているのだ・・・」
 藤堂八郎はそう呟きながら、もう一人の同心松原源太郎に、
「六助を番屋へ運べ」
 と指示し、小吉に、
「小吉さん、六助の実家を知っているか」
 と訊いた。

「ふた親が浅草元鳥越町の長屋にいると聞いております。父親は藤兵衛の棟梁と顔見知りと六助が話してました」
「岡野。日野の旦那と松月先生に、検視依頼の使いを出せ。途中、六助の実家へ、六助が亡くなったと知らせろ」
 わかりました、と同心岡野智永の指示で、岡っ引きの鶴次郎が使いに走った。
「小吉さん。忙しいのにすまなかった。気づいた事があったら、また知らせてください」
 藤堂八郎は丁寧に手代に礼を言った。
 六助は、荷を積んだまま堀端に停めてある大八車に乗せられて、大伝馬町の自身番へ運ばれていった。大八車には米俵と味噌樽が乗っており、六助、と名札がある。六助が愛用している大八車だ。手代の小吉の話から、明らかに殺しだ、と藤堂八郎は思った。


 半時(はんとき)余り後。
 日野徳三郎と唐十郎、神田佐久間町の町医者竹原松月、そして藤兵衛と正太が大伝馬町の自身番に現れた。途中、浅草元鳥越町の六助の実家に知らせた事もあり、六助の父太助も自身番に来ていた。

 自身番の奥の間に寝かされた六助の検視が終り、町医者竹原松月は怪訝な顔で声を潜めた。土間に居る六助の父、太助に事実を聞かせて良いものか思いあぐねて言った。
「酒を無理に飲まされたのだろう。水は飲んでおらぬ。日野先生はいかが思いか」
「いかにも。竹原先生の見立てどおり、これですな・・・」
 徳三郎も竹原松月の意を解して声を潜め、六助の首筋上部の後頭部、髪の生え際にある蜂に刺されたような傷痕を示した。二人の意を解して、与力の藤堂八郎も声を潜めた。
「殺られたのですな・・・。酒による事故と見るのは如何か」
 竹原松月は首を横に振った。酒に酔って心の臓が停まったとしても、首筋の刺し痕が死因だと声を潜めた。徳三郎も竹原松月と同じ検分だった。
「では、酔って堀に落ちて仏になったとして・・・。真相を探りましょう・・・」
 藤堂八郎は後半の声を潜めて、徳三郎と竹原松月の意図を呟いた。

 徳三郎たちが奥の間から土間へ移った。
「酒を飲んで堀に落ちた・・・。六助は泳げなかったのか」
 そう話して藤堂八郎は六助の父太助を見つめた。
「へい、何事も苦手でして・・・。酒も、飲めば憶えがねえくれえ酔って暴れやがるんで、心の臓が止る病があると言って、飲ませねえようにしてました・・・。
 やっぱり飲みやがったんだ・・。こんな日が来ると思ってやした・・・」
 太助は涙ぐんでいる。
「そうか・・・。では、今日はこれから・・・」
 真っ昼間の遺体の移動は忌み嫌われる。藤堂八郎の指図で、六助は太助とともに夕刻まで自身番に居て、夕刻、浅草元鳥越町の長屋へ移して、通夜を行うことになった。

 太助は障子を開けて奥の間に入った。六助の横に座り、六助、飯だぜと言えば、すぐにも起きそうな穏やかな死顔の六助を見つめた。
 藤兵衛は、六助の枕元に座る太助の傍に寄った。
「とっつあん、気を落とすんじゃねえ」と言ってやりたかったが言葉が出ずに、黙ったまま太助の肩に手を置いた。こんな事となら太助から六助を弟子にしてくれと頼まれた時、
「六助は不器用で大工の見込みはねえ」
 などと言わずに、無理にも六助を弟子にしておけばよかったと思った。現に六助は日野道場で剣術の稽古に励むだけの器量を持っていた。俺も人を見る目がねえ・・・。藤兵衛はそう思った。

「ありがとうよ。藤兵衛さん・・・」
 藤兵衛の気持ちを知ってか、太助は、肩に置かれた藤兵衛の手に優しく触れた。
「これを使ってくれ。正太。仕度しな」
 正太とともに藤兵衛は、用意してきた六助の枕元に小机を置いた。燭台と線香立てを供えて蝋燭に火を灯し、線香を燻らせた。

 唐十郎は藤兵衛を土間に呼んだ。藤兵衛はまだ検視検分を聞いていないが、徳三郎が呼ばれた事で、すでに六助が殺害されたと推測していた。
「仕事の方は如何にか」
 唐十郎は奥の間を目配せして、六助の首が切られたわけではないが、指で首をかき切る仕草をして、殺害を暗に知らせた。
「いちおう急ぎの大八車の納めが終り、ひと段落です。なんなりと言いつけてください」
「私が言うのもおかしなものだが、藤兵衛さえ良ければ、葬儀が終るまで、太助の傍に居てやってくれ・・・。それとなく、六助の付き合いを聞きだしてくれぬか」
「わかりやした。任せてください。では、通夜と葬儀の打ち合せを」
 藤兵衛は奥の間へ戻って、太助に通夜と葬儀の打ち合せをした。

 これで六助の実家の様子は探れる・・・。昨夜の六助の足取りと亀甲屋の聞き込みを如何様にしたものか。あからさまに聞きまわれば、殺しと見定めた探索が下手人に知れてしまう。探索は外堀から埋めてゆくしかない・・・。
 自身番の奥の間を見ながら唐十郎はそう思った。


 太助と藤兵衛たちを自身番に残して、藤堂八郎は同心たちと徳三郎たちを連れて外へ出た。
 神無月(十月)初旬の曇天の昼の刻とあって、通りに人は少ない。
 大伝馬町の自身番から西へ、堀留町方向に歩きながら、藤堂八郎は同心たちに呟くように言う。
「松原。岡野。酔ったあげくの溺死だ。この事を肝に銘じて裏を取れ。他言無用だ。この意味がわかるな」
「わかりました。仏の足取りを探ります・・・」
 同心たちは配下の岡っ引きを連れてその場を去った。 

「日野先生。松月先生。仏を刺した物を、何とお思いか」
 藤堂八郎は六助を殺害した凶器が何か、考えあぐねていた。
 徳三郎が竹原松月の同意を得て、藤堂八郎の問いに答える。
「針のような特殊な物だが、儂も松月先生も疑問視しておる・・・。
 千枚通しや針や錐で刺せば血が出る。六助が堀に浮かんでいたためもあるが、蜂に刺されたように、首筋上の後頭部の刺された痕跡から出血していた様子がない。
「特殊な物なれば、人に作らせたとなれば足が着く。それなりに口が堅い者が作ったか、下手人本人が作ったか、あるいは作った者はすでに口封じされたかであろうよ・・・」
 殺害に使う物を人に作らせるのは、仏が殺害されたのを触れ回るようなものだと徳三郎は考えている。

「それでは、探索は各々方に任せます。患者が待っておるゆえ、私は失礼しますよ」
 町医者の竹原松月は藤堂八郎と徳三郎たちに挨拶してその場から去っていった。
 竹原松月と徳三郎は奉行所の要請でなんども仏を検視している。医者の立場もあって、竹原松月は事件や患者に関する事を決して他言しない。患者を選り好みしない信頼できる医者だ。
「唐十郎。儂らは探りを気遣れぬよう、特殊な針のような物を手がける職人を探ろうぞ。
 では、藤堂様。これにて」
 徳三郎と唐十郎は藤堂八郎に挨拶して、堀留町から本町三丁目へ歩き、室町方向へ辻を南へ折れた。
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