十八 刺殺

文字数 1,218文字

 葉月(八月)二十八日、晴れの夕刻。
 唐十郎の予感が的中した。
「唐十郎様!義父が刺されて、他界しましたっ」
 あかねが大老堀田正俊の屋敷から長屋へ駆けつけてた。ただちに、唐十郎とともに日野道場へ走った。
 日野道場に集まった徳三郎たちを前に、あかねは涙ながらに、若年寄稲葉正休による大老堀田正俊の刺殺を語った。

 今朝。若年寄稲葉正休は登城後、大老堀田正俊を御用部屋の入口に呼びだして、これまでの政における、数々の非礼を詫びる言葉を口にして大老を油断させ、脇差しで大老の腹部を数度にわたって刺した。
 現場に居合わせた老中たちと子息堀田正仲によって稲葉正休は斬殺され、大老堀田正俊は医師の手当を受けて、江戸城郭内大手門前にある自宅屋敷に運ばれたが、まもなくして死亡した。

 徳三郎と唐十郎はあかねとともに、急いで大老堀田正俊の屋敷へ向った。
 道すがら、あかねは唐十郎に語った。
「今後の事もありますゆえ、私はしばらく義父上の屋敷に留まります。数日は戻れぬと思いますが、お許しください」
 唐十郎と徳三郎が大老堀田正俊の屋敷へ行くのは、あくまでもあかねの夫と、夫の伯父としてである。特使探索方と大老堀田正俊の関係は口外できない。そして、大老堀田正俊が亡くなった今、あかねが唐十郎の元に戻るとは言い切れなくなったのである。

 数日後。
 唐十郎の心配をよそに、あかねは唐十郎の元に戻った。
「妻が夫の元を去って、どうするのですか」
 唐十郎に微笑みながら、あかねは勘定吟味役荻原重秀の伝言を伝えた。

 翌日。
 夜明けとともに、徳三郎と唐十郎、あかね、穣之介、坂本右近、そして藤兵衛と正太は、勘定吟味役荻原重秀の屋敷へ赴いた。
「早朝から、おいで頂き、ありがとうございます」
 奥座敷で勘定吟味役荻原重秀は深々と御辞儀した。

「まずは、大老堀田正俊様からのお言葉をお知らせいたします・・・。
『日野徳三郎は町奉行配下の特使探索方であり、その配下は大工の藤兵衛と正太である。
 また、日野穣之介、日野唐十郎、坂本右近は、柳生宗在剣術指南役の配下で特使探索方ある。
 以上の事は、何があろうと変らぬゆえ、皆が、我が甥、勘定吟味役荻原重秀を通じて、本分を全うするよう励む事を願う。
 また、我が娘あかねは、日野唐十郎の妻として夫に尽くし、日野唐十郎はあかねを妻として、末永く守り慈しむ事をせつに願う』
 これが大老堀田正俊様から言いつかった遺言です。
 こたびの刃傷沙汰を、御上は稲葉正休の発狂によるものと記録しました。
 しかし実際は、発布しようとした生類憐れみの令に、堀田様が反対したため、大坂淀川の治水事業に関する堀田様と稲葉正休の意見対立を利用して、御上が稲葉正休に堀田様暗殺を命じたとの見方が濃厚です・・・。
 大老堀田正俊様の志どおり、これからも皆様には、これまで同様に動いて頂きます」
 とつけ加えて笑みを浮かべた。
 唐十郎は荻原重秀の目にキラリと光る物を認めた。

(一章 鎌鼬 了)
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