五 推察
文字数 2,137文字
話は昼過ぎに戻る・・・。
神無月(十月)二十二日の昼九ツ半(午後一時)。
唐十郎は神田横大工町の藤兵衛の長屋で、茶碗を盆に置いた。
藤兵衛と正太は桶を作っている。天下普請で職人や人足が増えて様々な桶が必要になった。桶屋も夜なべ仕事をしているがまにあわない。それで大工の藤兵衛と正太に桶製造の依頼が舞いこんだ。橋の架け替えの依頼もあったが、天下普請の他の現場に大工と鳶が駆りだされたため、橋の橋の架け替えは先伸ばしになっていた。
「どこでも人足不足で、段取りどおりに事が進まねえってもんですぜ。
ところで、最近、亀甲屋に新大坂町の廻船問屋、吉田屋吉次郎が出入りしてやす。
吉次郎が藤五郎の甥を騙って香具師の縄張りを継いだのは確かです。
妙だと思いませんか」
唐十郎が断言する。
「藤五郎は他界したが、咎人藤五郎の身内はみな責めを受ける。
吉次郎は藤五郎の身内としての責めを負っていない。藤五郎の甥ではない・・・」
商家の主が罪を犯して御店取り潰しの沙汰が下っても、店その物が潰されるのではない。その店で、奉公人や主の身内や親戚の商いが禁じられる。建物として店は新たな主が借りて様々な用途に使う。
吉次郎が藤五郎の身内でない証を示せば、亀甲屋の店を借りるか入手するかは可能だが、それでは、吉次郎が裏世界で藤五郎の甥を名乗って香具師の元締の跡目を継いだ言い訳が立たない。
「吉次郎は、藤五郎の甥を騙って藤五郎の跡目を継ぎ、香具師の元締の縄張りを得た。
こんどは藤五郎の身内ではない証を御上に示して、亀甲屋の借家権を手に入れようって魂胆だってことですかい・・・」
早くも藤兵衛は犯罪の匂いを嗅ぎつけた。
「吉次郎を藤五郎の甥と認めぬ者が多々いる。
吉次郎は香具師の元締の縄張り全てを得ていない。藤五郎の全ての跡目を継ぐために、藤五郎の一家を消すつもりだろう。
辻売りたちを挨拶に行かせて様子を見よう」
唐十郎はどのように探索を進めるか考えている。
唐十郎が師範代補佐をする日野道場に、特使探索方の探り専門の小間物売りの与五郎、飴売りの達造、毒消し売りの仁介が寝泊まりしている。三人は、徳三郎の配下となる前、香具師の元締藤五郎の世話になっていた時期がある。亀甲屋の奉公人とは顔なじみだ。三人が特使探索方の探索方に加わって、藤五郎の罪状を明らかにしたのは、亀甲屋の奉公人に知られている。
「奉公人が辻売りたちに何をするか心配です」
藤兵衛は辻売りたちの身が心配になった。亀甲屋の奉公人が、藤五郎の世話になっていた辻売りたちを袋叩きにするかもしれない。
「心配するな。辻売りたちが藤五郎の仏前に線香を上げるだけだ。奉公人が辻売りたちに手をかければ、御上が奉公人に恩情をかけた江戸所払いではすまなくなる。表向きは奉公人などと言っているが香具師藤五郎の手下だ。その辺を心得ている。」
唐十郎は安心している。
ここまで開きなおった唐十郎に、藤兵衛は返す言葉がない。
「では明日、辻売りたちを亀甲屋へ行かせて、あっしと正太が辻売りたちを見張ります」
「桶の仕事が急ぎなら、私が辻売りたちを見張る」
「特使探索方が先ですぜ。桶屋の久吉からの仕事はそれなりに」
器用な大工として藤兵衛の腕は評判だ。天下普請でどの職人も多忙なため、車屋や桶屋から大八車や桶や樽を作ってくれと藤兵衛と正太に仕事が舞いこむのが常だ。
夕刻、夕七ツ半(午後五時)。
日野道場の座敷で、唐十郎は、廻船問屋吉田屋吉次郎が亀甲屋に出入りしている件を特使探索方の面々に説明した。
「伯父上、吉次郎が何かを企てているのは明らかです。探りたいが、如何か」
「探ってくれ。唐十郎が話すように、吉次郎は、藤五郎の全ての跡目を継ぐ気だろう。
吉次郎の素性について、与力の藤堂様が・・・・」
徳三郎は、与力の藤堂八郎が語った、吉田屋吉次郎に関する町奉行所の記録を説明した。
亡き藤五郎は亀甲屋の主で、日本橋界隈の裏世界を牛耳っていた香具師の元締だ。
幼い時に母を病で亡くし、その後、藤五郎の父は、幼い娘を連れた女を後妻にした。連れ娘 は藤五郎より年下だった。藤五郎の父はこの連れ娘の行く末を思って養女にしなかったため、藤五郎はこの娘を義妹と呼んだことはなかった。
藤五郎の父が亡くなると後妻は遺言に従って遺産を受けとり、娘をつれて藤五郎の元を去った。
その後、娘は吉次郎を生んで母になった。母は自分の素性をありのままに語り、吉次郎に、藤五郎は伯父のような存在だ、と話して聞かせた。
亀甲屋は今月で取り潰されて店は借家権を競売される。吉次郎が、御上の管理下にある亀甲屋を得れば、香具師仲間は、吉次郎が藤五郎の甥ではないと知って、吉次郎を香具師の元締から引き下ろす。吉次郎はそうはさせまいと香具師仲間を口封じするだろう。手始めは亀甲屋の元奉公人だ・・・。 唐十郎はそう推察して告げる。
「伯父上は香具師同士で争いが起るとお思いか」
「藤五郎の甥ではない吉次郎は、いずれ香具師の元締の座から蹴落とされる。
あるいは、吉次郎が先手を討って、藤五郎の手下と香具師仲間を始末するやもしれぬ。
そのつもりで、探りをかけるのじゃ」
「わかりました」
唐十郎と藤兵衛、辻売りたちは納得した。
神無月(十月)二十二日の昼九ツ半(午後一時)。
唐十郎は神田横大工町の藤兵衛の長屋で、茶碗を盆に置いた。
藤兵衛と正太は桶を作っている。天下普請で職人や人足が増えて様々な桶が必要になった。桶屋も夜なべ仕事をしているがまにあわない。それで大工の藤兵衛と正太に桶製造の依頼が舞いこんだ。橋の架け替えの依頼もあったが、天下普請の他の現場に大工と鳶が駆りだされたため、橋の橋の架け替えは先伸ばしになっていた。
「どこでも人足不足で、段取りどおりに事が進まねえってもんですぜ。
ところで、最近、亀甲屋に新大坂町の廻船問屋、吉田屋吉次郎が出入りしてやす。
吉次郎が藤五郎の甥を騙って香具師の縄張りを継いだのは確かです。
妙だと思いませんか」
唐十郎が断言する。
「藤五郎は他界したが、咎人藤五郎の身内はみな責めを受ける。
吉次郎は藤五郎の身内としての責めを負っていない。藤五郎の甥ではない・・・」
商家の主が罪を犯して御店取り潰しの沙汰が下っても、店その物が潰されるのではない。その店で、奉公人や主の身内や親戚の商いが禁じられる。建物として店は新たな主が借りて様々な用途に使う。
吉次郎が藤五郎の身内でない証を示せば、亀甲屋の店を借りるか入手するかは可能だが、それでは、吉次郎が裏世界で藤五郎の甥を名乗って香具師の元締の跡目を継いだ言い訳が立たない。
「吉次郎は、藤五郎の甥を騙って藤五郎の跡目を継ぎ、香具師の元締の縄張りを得た。
こんどは藤五郎の身内ではない証を御上に示して、亀甲屋の借家権を手に入れようって魂胆だってことですかい・・・」
早くも藤兵衛は犯罪の匂いを嗅ぎつけた。
「吉次郎を藤五郎の甥と認めぬ者が多々いる。
吉次郎は香具師の元締の縄張り全てを得ていない。藤五郎の全ての跡目を継ぐために、藤五郎の一家を消すつもりだろう。
辻売りたちを挨拶に行かせて様子を見よう」
唐十郎はどのように探索を進めるか考えている。
唐十郎が師範代補佐をする日野道場に、特使探索方の探り専門の小間物売りの与五郎、飴売りの達造、毒消し売りの仁介が寝泊まりしている。三人は、徳三郎の配下となる前、香具師の元締藤五郎の世話になっていた時期がある。亀甲屋の奉公人とは顔なじみだ。三人が特使探索方の探索方に加わって、藤五郎の罪状を明らかにしたのは、亀甲屋の奉公人に知られている。
「奉公人が辻売りたちに何をするか心配です」
藤兵衛は辻売りたちの身が心配になった。亀甲屋の奉公人が、藤五郎の世話になっていた辻売りたちを袋叩きにするかもしれない。
「心配するな。辻売りたちが藤五郎の仏前に線香を上げるだけだ。奉公人が辻売りたちに手をかければ、御上が奉公人に恩情をかけた江戸所払いではすまなくなる。表向きは奉公人などと言っているが香具師藤五郎の手下だ。その辺を心得ている。」
唐十郎は安心している。
ここまで開きなおった唐十郎に、藤兵衛は返す言葉がない。
「では明日、辻売りたちを亀甲屋へ行かせて、あっしと正太が辻売りたちを見張ります」
「桶の仕事が急ぎなら、私が辻売りたちを見張る」
「特使探索方が先ですぜ。桶屋の久吉からの仕事はそれなりに」
器用な大工として藤兵衛の腕は評判だ。天下普請でどの職人も多忙なため、車屋や桶屋から大八車や桶や樽を作ってくれと藤兵衛と正太に仕事が舞いこむのが常だ。
夕刻、夕七ツ半(午後五時)。
日野道場の座敷で、唐十郎は、廻船問屋吉田屋吉次郎が亀甲屋に出入りしている件を特使探索方の面々に説明した。
「伯父上、吉次郎が何かを企てているのは明らかです。探りたいが、如何か」
「探ってくれ。唐十郎が話すように、吉次郎は、藤五郎の全ての跡目を継ぐ気だろう。
吉次郎の素性について、与力の藤堂様が・・・・」
徳三郎は、与力の藤堂八郎が語った、吉田屋吉次郎に関する町奉行所の記録を説明した。
亡き藤五郎は亀甲屋の主で、日本橋界隈の裏世界を牛耳っていた香具師の元締だ。
幼い時に母を病で亡くし、その後、藤五郎の父は、幼い娘を連れた女を後妻にした。連れ
藤五郎の父が亡くなると後妻は遺言に従って遺産を受けとり、娘をつれて藤五郎の元を去った。
その後、娘は吉次郎を生んで母になった。母は自分の素性をありのままに語り、吉次郎に、藤五郎は伯父のような存在だ、と話して聞かせた。
亀甲屋は今月で取り潰されて店は借家権を競売される。吉次郎が、御上の管理下にある亀甲屋を得れば、香具師仲間は、吉次郎が藤五郎の甥ではないと知って、吉次郎を香具師の元締から引き下ろす。吉次郎はそうはさせまいと香具師仲間を口封じするだろう。手始めは亀甲屋の元奉公人だ・・・。 唐十郎はそう推察して告げる。
「伯父上は香具師同士で争いが起るとお思いか」
「藤五郎の甥ではない吉次郎は、いずれ香具師の元締の座から蹴落とされる。
あるいは、吉次郎が先手を討って、藤五郎の手下と香具師仲間を始末するやもしれぬ。
そのつもりで、探りをかけるのじゃ」
「わかりました」
唐十郎と藤兵衛、辻売りたちは納得した。