十九 小間物売り

文字数 2,480文字

 昼過ぎ。雨が小降りになって、そして止んだ。
 神田佐久間町の竹原松月宅から日野道場へ向う道すがら、徳三郎が唐十郎に言った。
「しばらく大名などの出稽古は穣之介と坂本右近に任せ、儂の探索を補佐してくれ」
「伯父上から穣之介と右近に口添え頂ければ、そのようにします・・・」
 坂本右近はともかく、穣之介は出稽古と探索のどちらに興味を示すであろうか・・・。唐十郎は穣之介が何を言うか気になった。
「穣之介は、探索より出稽古を好む。心配には及ばぬ」
「はい・・・」
 今のところ、事件は町奉行の範疇で、まだ迷宮入りになっていない。柳生宗在剣術指南役からも、勘定吟味役荻原重秀からも、日野唐十郎、日野穣之介、坂本右近の三名に、特使探索方の要請は無いが、唐十郎は徳三郎を補佐する立場で徳三郎に協力している。

「伯父上・・・」
 唐十郎がそう言うと、
「わかっている。あの小間物売りだ。毒消し売りと飴売りは小間物売りのさら後ろにいるらしい・・・」
 徳三郎は竹原松月宅を出て以来、尾行している辻売りに気づいていた。

 唐十郎は、三日前に唐十郎たちを尾行していた辻売りたちを思った。
 先ほど医者の竹原松月に見せてもらった痛み止めの薬は、飴のような色と形状をしていた。毒消し売りが売っていても飴売りが売っていても、効能を話さぬ限り、許可された医者だけが使うのを許された薬だなどとは誰も気づかいない。鍼師でなくとも、あのような薬は商える。
 そして、日本橋室町の小間物屋平助が、特殊な鍼のような二本軸の簪を作れたのだから、今、尾行している小間物売りも、特殊な鍼を入手できるかも知れない。そうなれば、辻売りたちが禁制の薬を商うのも、人の口を封ずるのも可能だ・・・。


 神田佐久間町から御徒町の通りへ進むと、
「あの・・・、日野先生・・・」
 背後から小間物売りが小走りに近づいて、徳三郎に声をかけた。

 ここは香具師の藤五郎の縄張りではない。当地の香具師に話を通さねば、何かにつけて揉め事を解消できない。
「何か用であろうか。ここでも商っているのか」
 歩みながら徳三郎は訊いた。
「めっそうもございません。地元の元締めがちがいますんで・・・。
 あっしは小間物売りをしている与五郎と言います。実はこれを・・・」
 小間物売りは懐からたたんだ手拭いを取りだして開き、中の物を徳三郎と唐十郎に見せた。二本軸の銀の平打簪だった。
 二本軸の簪は今回の事件の凶器になり得る。徳三郎は知らぬ振りして訊いた。
「平打簪がとうかしたか」
「これで、刺し殺せますんで、はい・・・」
 小間物売りの与五郎は、鍼師室橋幻庵の死から、六助と山形屋吉右衛門が特殊な鍼のような物で殺害された、と勘づいていた。

「刺せば血が出る。痛みも感じる。おいそれと殺されはせぬだろう・・・」
「それが、これは鍼のような物でして、血も出ません。痛みも感じません」
「試したのか」
「へい。あっしの腕に、試しました、・・・」
「お前さんが、独りでこのような事に気づいたのか」
「いえ、鍼師の室橋幻庵先生から、二本軸の金や銀の平打簪や玉簪を注文されまして。
 幻庵先生から、お内儀に買ってやる、と注文を受けました。二本軸の平打簪や玉簪を細く先をほどほどに鋭くして欲しいと頼まれて、方法を教えていただきましたんで、そのように作りました。これはその時に注文された物の予備でして・・・」
 小間物売りの与五郎は、幻庵に教えられたとおりに、二本軸の平打簪や玉簪を仕上げた。その結果、
「・・・痛みも感じませんし、血も出ませんで、はい」
 与五郎は神妙な顔で二本軸の平打簪を徳三郎に渡した。日本橋室町の小間物屋平助が作った物と同じ結果である。

「儂が預かって良いのか」
「ようござんす。幻庵先生の家にも、このような平打簪や玉簪があるはずです」
「幻庵先生に納めた簪は何本だ」
 徳三郎は、二本軸の平打簪を己の手ぬぐいに包んで懐に納めた。
「二本軸の平打簪と玉簪が、金銀のそれぞれ二本ずつ、全部で四本です」
「内儀は後妻だったな」
「へい、さようでして。室橋幻庵先生は、お内儀の連れ子に鍼師の跡目を継がせると言って厳しく指導しておりました」
 与五郎の話に、一瞬、徳三郎の眼光が変った。
「内儀と連れ子の名は何と言う」
「おさきさんと和磨さんです」
 与五郎は、おさきは三十六歳で和磨は十九歳になる、と言った。幻庵は五十歳を過ぎている。
「弟子は和磨さんだけか」
「もう一人、和磨先生の弟の義二さんがいます」
 義二は幻庵とおさきの間に生まれた子で十五歳だ。

「この簪の話を、誰かに話したか」
「幻庵先生だけです。他は誰にも話しておりません」
「幻庵先生が他へ話すなら、誰だと思う」
「お内儀と和磨先生くらいかと。
 幻庵先生は頼まれて往診しますんで、そっちはわかりません・・・」
「亀甲屋も往診するのか」
「へえ、得意先でして・・・」
「そうか・・・。
 ところで、儂らに話した事は、他言無用にしておきなさい」
「へえ、心得てやす。堀に浮かびたくありやせんから」

 唐十郎は訊いた
「なぜ、我らに話す気になったのか」
「あっしの商った簪が使われたなら、まっ先にあっしが疑われますんで・・・。
 先生方は日本橋室町の小間物屋平助をお訪ねでしたから、亡くなった幻庵先生の関係から、鍼を探るだろうと思いまして・・・」
 ここまで先を読むとは、辻売りをさせておくには勿体ない男だ・・・。
 唐十郎はそう思いながら、与五郎に背後をそれとなく目配せした。
「あっしも気づいてやした。どこぞに身を隠しますんで・・・」
 与五郎が話しかけて以来、毒消し売りと飴売りが姿を現して後をつけていた。

 徳三郎は与五郎の身を案じた。
「いま少し先を読んで、儂の道場で働くなりしてはどうじゃな」
 与五郎はそれとなく背後を確かめて、即断した。
「それなら、働かせていただきます・・・」
 渡りに舟である。これで、亀甲屋の内部事情が知れる。唐十郎は徳三郎に目配せして、背後をふりかえり、尾行する二人を呼んだ。
 与五郎はぎょっと驚いて、その場から走り去ろうとしたが、徳三郎に腕を捕まれて、身動きできなかった。
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