十三 下屋敷

文字数 2,992文字

 長月(九月)六日、昼八ツ半(午後三時)。
 三吉と茂平は小梅の水戸徳川家下屋敷に着いた。三吉は留守居をしている足軽頭に、心付けの一分金の紙包みを渡して話を通した。

「この刻限は、用心棒になるような腕の立つのはおらぬ。一応、中間部屋に案内いたす。
 夜に、もう一度顔を出されよ。しからば、そちたちの意にかなう者も来るやもしれぬ」
 留守居の足軽頭はそう言って、三吉と茂平を中間部屋に案内した。

 足軽頭の説明のとおり、中間部屋に居るのは、夜に開かれた賭場にたむろしていた無頼漢(ごろつき)風の者たちばかりで、昼過ぎの今も隙だらけで眠りこけていた。こんな者たちでは、用心棒にもならない・・・。
「手間を取らせてすまなかった。また、夜、来る、いつが良いですか」
「宵五ツ半(午後九時)過ぎかと・・・」
「わかりました。では、また来ますんで」
 三吉は足軽頭に礼を述べて、小梅の下屋敷を出た。


 宵五ツ半(午後九時)まで三時(みとき)(六時間)もある。
「刺客を雇って始末してもらうにゃあ、金がかかる・・・」
「雇主を始末できねえもんですかね」
「待てよ・・・。仏の三人は上屋敷の足軽だったな・・・」

 仏となった三人の足軽は足軽頭の手引きで、紋付羽織袴と外出宿泊手形を盗んで外出して辻斬りの凶行を働いた。嫌疑をかけられた足軽頭は、主謀者は水戸徳川家上屋敷留守居役後藤織部の嫡男の後藤伊織だと供述したが、それを示す証拠は無かった。
 上屋敷留守居役後藤織部は、嫡男伊織に向って、
『留守居役のお役目をせずにぶらぶらしているから、濡れ衣を課せられるのだっ』
 と叱責して下屋敷の留守居役を命じた。
 しかし、お役目嫌いな後藤伊織にとって、この役目は渡りに舟。昼寝と博打と酒。これほど楽で楽しい役目はなかった。
 三吉は、後藤伊織を使う手はないだろうか、考えた。


 夕七ツ(午後四時)
 町方と特使探索方が日野道場の座敷に集った。探りに出ていた辻売りの与五郎と達造と仁介が、辻斬りに遭った者たちの身元を報告した。
 斬殺された煮売屋は藤吉の弟分に当る腹心で、ゆくゆくは馬喰町の香具師の元締をする予定だった。
 駕籠舁きは藤五郎お抱えの駕籠舁きで、仕事がてら四方八方の香具師の元締の探りを担当していた。最近は、藤吉と本所の元締又三郎に探りの結果を報告していた。
 商人(あきんど)は、藤五郎一家に味噌と醤油を商っていた小網町の河内屋弥兵衛だ。この者も、香具師のあらゆる噂を藤五郎に報告していた。
 御用聞きは、藤五郎一家に出入りの、届け物をしていた者だ。この者も、香具師の噂を、逐一、藤五郎に報告していた

 藤堂八郎は、岡野智永たちが聞きこんだ、居酒屋で文をしたためていた香具師について説明し、岡野と鶴次郎と留造の推測を述べた。
「その一。福助一味に潜入した、藤五郎一味の香具師が、刺客が始末されたと藤五郎一味に知らせた。香具師は下手人を知らないので、のんびり飯を食っていた。下手人は藤五郎一味とも福助一味とも無関係だ。
 その二。福助一味の香具師が、新たな刺客に、これまでの刺客三人が仏になったと知らせた。香具師は下手人を知らないので、のんびり飯を食っていた。
 ということになります。
 いずれにしても、刺客を始末した下手人は、香具師仲間とは無関係です。鶴次郎の推測のように下手人は辻斬りに天誅を下した」

 さらに藤堂八郎は、同心野村一太郎と松原源太郎が探った二人の香具師について述べた。
「松原と野村たちの探りで、神田の元締の権助が福助一味の香具師から聞いた話です。
 福助一味の香具師によれば、刺客として雇っていた水戸徳川家上屋敷の足軽頭三人が仏になったので、下屋敷にたむろしてる浪人から新たに刺客を雇うとの事です。誰を始末するかは、吉田屋で福助が指示するとのことです。
 福助が刺客を放っていたのはまちがいありません。
 この事から、先ほどの岡野たちの推察をまとめると、
『福助は、縄張りを得るため、水戸徳川家上屋敷の足軽頭を刺客に雇って藤五郎一味と親しかった者たちを始末した。刺客が仏になったので、下屋敷にたむろする浪人の中に新たな刺客を探して放とうとしている。
 香具師二人が、福助から刺客を探すように命じられている。
 今回刺客を始末した下手人は香具師とは無関係だ』
 と言う事になります」

 徳三郎が言う。
「福助は刺客を放って藤五郎と親しかった者を始末し、藤五郎一味を脅している。
 噂どおり、福助は欲のために殺しも厭わぬらしい。
 藤五郎一味が縄張りを渡すと言っても、福助は藤五郎一味が壊滅するまで、藤五郎一味を始末するであろう。
 権助の話を聞いた二人の香具師の証言だけで、福助を捕縛できますかな」

 徳三郎の問いに、藤堂八郎は困っている。
「ちと、難しいかと。香具師の証言に加えて、新たに雇われた刺客が、殺害を頼まれた、と証言すれば良いが、その者たちを捕えれば、我々がどう動いているか福助にばれてしまう・・・」
「そうは言っても、これ以上、仏を増やしてはなりません。
 いっそのこと、福助を仏にしては如何か」と子息の穣之介。

「福助一人を始末しても、一味の香具師が逃亡する。
 刺客が仏になったため、福助が刺客に命じて人を斬殺させた証拠が挙がっておらぬ。
 権助が香具師の誰から話を聞いたかわからぬ。誰が刺客に話しているのかもわからぬ。
 福助を咎人とする証拠が権助の話だけでは、確証にはならぬ」
 徳三郎は、探ってきた同心の松原と野村を見ずに、そう言った。

「となれば、誰が刺客に話を持ちかけたかを探り、証人にしますか」と唐十郎。
「話を持ちかけたのは福助の息がかかった香具師であろう。証言はせぬかもしれぬ」

 唐十郎は策を思いついた。
「ならば、私が刺客を請け負って、福助の悪事を曝きましょう。如何ですか」
 水戸徳川家下屋敷の留守居役は、上屋敷留守居役後藤織部の嫡男、後藤伊織だ。水戸徳川家上屋敷へ出稽古の際、唐十郎は家臣たちに剣術指南している。後藤伊織は唐十郎の教え子だ。今宵、あかねとともに、下屋敷と福助一味を探ろうと思っていたが、じかに乗り込んでみよう・・・。

 座敷が一瞬に静まりかえった。唐十郎の言葉に皆が口を閉ざしたまま、茫然としている。
「うむ・・・。やってみろ・・・」
 徳三郎は、後藤伊織が下屋敷の留守居役を命じられたことを思いだしていた。
 下屋敷の警護を口実に、後藤伊織は、夜な夜な下屋敷中間部屋で賭場を開かせて、そこに顔を出していると唐十郎は話したが、建前であろうと、留守居役は後藤伊織だ。後藤伊織が賭場を開いていると言って過言ではない。

「打ち合せしましょう。こたびは、右近にも協力を願いたい」と唐十郎。
「わかりました」と坂本右近。
「では、説明しましょう・・・」
 唐十郎は策略を述べた。

「・・・下屋敷に現れた香具師から、私が刺客を請け負った場合、下屋敷から日本橋の吉田屋へ行って、福助と直談判するはずです。ですから、藤堂様は・・・・」。
「あいわかった。手筈を整えておく。いずれの場合も知らせてくだされ」
 藤堂八郎は、唐十郎が刺客を請け負うか、それとも、他の者が刺客を請け負うか、気にしている。

「わかりました。藤兵衛と正太は新大橋の西詰めで待機して、私の連絡を待て・・・」
「承知しました」と藤兵衛と正太。
 さて、下屋敷留守居役の後藤伊織に話をつけねばならない・・・。
 唐十郎はそう思った。
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