八 手筈

文字数 2,401文字

 朝五ツ半(午前九時)
 二階の部屋に、女将が、飯と酒の膳と文を書く道具を運んできた。
「すまないが、飯を食ったあと、昼前まで、静かに寝かしてくれ」
「わかりましたよ。ごゆっくりしてください」
 女将が部屋から去った。

 女将が階下へ下りると三吉は口を開いた。
「ゆんべの男は、なんだと思う。俺は只者じゃねえと思ってる」
 三吉はそう言って、茂平の盃と自分の盃に酒を注いだ。
「と言うと、誰なんですかい」
 茂平は、三人の刺客を始末した昨夜の男に見当もつかない。
「三人は、手練(てだ)れと気づかずに襲ったんだろう・・・」
 三吉は杯を空けた。
「・・・いやあ、空きっ腹に酒が沁みるぜ・・・。
 まあ、飲め」
 三吉は茂平に盃をを空けろと仕草で示した。

「あの野郎、飯も食わずに動いてる兄貴と俺を、犬っころみてえに扱いやがって・・・。
 で、あの男は誰なんですかい」
 茂平は福助の名を出さずに盃の酒を飲み干した。

 三吉は茂平の盃と自分の盃に酒を注いだ。
「江戸の剣術道場の手練れだろうぜ」
「そんな凄腕が江戸にいるんですかい」
「ああ、いるだろうぜ。公儀お抱えの・・・」
 以前、三吉は、江戸城曲輪内で行われた剣術試合で、公儀お抱えの剣術指南役の目にとまる凄腕が現れた、と噂を聞いていた。
「・・・そいつなら、どんな奴も倒してくれる・・・」
「奴を片づけてもらいてえもんですぜ」
 茂平は福助を奴と呼んで舌打ちした。
「そうだな・・・」

「だけど兄貴。なんで奴に従ってるんですか。あっしらは藤五郎の頭の手下ですぜ。
 福助が吉次郎の遠縁だって言うんなら、俺たちは、もっと近い、藤五郎の頭の遠縁ですぜ」
 藤五郎の甥を騙った吉次郎が藤五郎の跡目になったが、悪事がばれて一味は咎人になった。その後、吉次郎の遠縁と言う福助が、日本橋界隈の香具師の元締を名乗りだした。
 だが、これを認めた香具師仲間は誰もいない。なのに、脅しと強請(ゆすり)と殺しで、福助は日本橋で香具師の元締としてのさばっている。

「なあに、偉そうにできるのも、今のうちさ。
 酒もなくなったことだ。さあ、飯を食って寝ろ」
「へい」
 三吉と茂平は漬け物と煮付けと味噌汁で朝飯を食った。
「ところで・・・。まあいい。ひと眠りするか・・・」
 三吉は食い終えた朝飯の膳を部屋の入口に寄せて、ごろりと横になった。
 まだ、蝉が鳴いている。
 今日は、長月(九月)六日だ、外は晴れている。
 茂吉が寝ると、三吉は文を書いた。


 昼九ツ(午前十二時)前。
 三吉は茂平を起こした。飯代の払いをすませて居酒屋を出た。
「なあ茂平・・・」
 三吉と茂平は両国橋を渡って本所へ歩いている。
「へい」
「おめえ、押上の親分に、この文を渡して、福助のこれまでの事と、これからの事を伝えろ。俺は外で待ってる。いいな」
「・・・」
「心配するな。香具師仲間にゃ、おめえの女が押上にいる、と言ってある。
 福助は、押上の親分の家は本所にある、と思ってる・・・」

「俺のことを知っていなすったか・・・」
「あたぼうよ。何年おめえに付き合ってると思ってるんだ。
 おめえと同じに、俺も姐さんの舎弟よ。姐さんとは親しかった・・・。
 姐さんがいねえ今、頼れるんは藤吉と又三郎親分だけだが、藤吉の縄張りの馬喰町は、福助が拡げようとしている縄張りだ。又三郎親分を頼るのが賢明だが、今は直接会うわけにはゆかねえ・・・」
 そうこうするあいだに、三吉と茂平は昼前に、茂平の女が居ると言う、押上の又三郎の家に着いた。


 昼九ツ半(午後一時)
「茂平。ご苦労だった」
「へい。実は・・・」
 茂平は又三郎の家の上り框で、これまでの経緯を説明して、三吉の文を又三郎に渡した。
 又三郎は文を読んだ。

『藤五郎の頭の亡きあと、あいさつにも現れず、まことにあいすみません。
 姐さんは藤五郎の頭の養女なのを何も話さず、黙って江戸所払いになった。おかげで、御上は、俺と茂平を藤五郎の頭の一家ではないと認めた。
 こうして香具師として江戸にいられるんは、姐さんの機転のおかげだ。その事は忘れちゃいません。一日も早く福助を討って、日本橋を姐さんの手に戻してやれてえ。そう思って、吉次郎や福助の言うことを聞いて、機会を待っていました。
 福助はこれまで、水戸徳川家上屋敷の足軽を刺客に雇い・・・・・。

 ・・・・福助は、今後は、水戸徳川家下屋敷の中間部屋にたむろする浪人に刺客を依頼するつもりです。刺客は吉田屋で福助から、誰を殺るか指示されます』

 三吉の文には、これまでの又三郎たちに対する三吉の非礼の詫びと、福助一味の動きを詳しく書きつづってあった。

 文を読み終えた又三郎は茂平に言った。
「儂ら元締は、福助が刺客を雇って、藤五郎の頭と親しかった者を斬殺しているのは知っている。福助はお前たちに、藤五郎の頭と親しい者を殺れとは言っていない。
 今は、三吉とともに福助の指示通りに動いて、状況を知らせろ」

「はい。それにしても、又三郎の親分は、なぜ福助一味を討たないんですか」
「争えば、福助と同じ立場になる・・・。
 福助が悪事を重ねれば、捕縛される機会が増える・・・」
 又三郎は、藤吉が伝えた勘定吟味役荻原重秀の指示を、誰からの指示とは言わずに、そう説明した。

「では、あっしはこれで失礼します」
「気をつけて動け」
「へいっ」
 茂平は御辞儀して又三郎の家を出た。


 この事を姐さんと荻原重秀様に伝えねばならぬ。事は急を要する・・・。
 茂平が去ると又三郎は、茂平と三吉を咎人にせぬよう、茂平と三吉の知らせを文にしたためた。さらに三吉の文の写しをしたためると、それらを息子の又五郎に持たせて馬で、隅田村の仁藤屋のお藤に届けさせた。

 町方が探りをかけているはずだ。こっちからしかければいい。儂らが探った事全てを町方に知らせればいい。儂らは何も悪事を働いていないのだから・・・。
 又三郎は屈強な腹心の手下二人を連れて、神田の香具師の元締、権助の家へ向った。
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