六 お綾 

文字数 902文字

 日暮れとともに、長屋に藤兵衛が帰った。
 唐十郎は居酒屋で買った酒を藤兵衛の女房のお綾に渡してあった。もちろんお綾の好物、駿河屋の蒲鉾を忘れなかった。これを渡してあればお綾は機嫌が良いし、ひと月分の賄い代とお綾の手間賃を払ってあるので、なお機嫌が良かった。

 夕餉の膳で、藤兵衛は、聞き込んだ事を唐十郎に話した。
「讃岐屋の件、日野先生が、一刀両断の見事な太刀筋で刃毀(はこぼ)れ一つしていないだろう、と検分したそうです」
 よほどの刀でないと、人一人斬っただけで刃毀れする。四人の賊を斬殺した太刀筋に乱れがなく、賊はみな研ぎあがったばかりの刀で斬られたように両断されており、相当の使い手によるものか、あるいは名刀による太刀筋と日野徳三郎は検視していた。

「今朝、四人の仏さんは讃岐屋にあったのか」
 唐十郎は箸で蒲鉾を口へ運んで酒を飲んだ。
「ええ、あったようです。使い手も凄腕だろうが、刀も名刀に違いありません」
 藤兵衛の言葉で、唐十郎は自分の部屋に置いた妖刀が気になった。昨夜、刀は床の間にあって、今日一日持ち歩いた。藤兵衛が封印した不動明王の護符はそのままになっている。

 こんな話を肴に酒を酌み交わすから、お綾が呆れて箸を置いた。
「唐十郎様。もっと風流な話をしてくださいませ。これでは夕餉が喉を通りませぬ」

 藤兵衛の女房のお綾は唐十郎の母に仕えていた女である。
 一方、藤兵衛の刃物の目利きは右に出る者がなく、大工道具のみならず、鋏から刀まで、刃物なら何でも見極める眼力を持っている。刃物を目利きする際、見えぬ物を見極めようとする藤兵衛には、剣の道を究めた武芸者のような、一種独特の雰囲気がある。
 お綾は上屋敷から、藤兵衛の長屋で暮らすようになった唐十郎へ届け物をする度に藤兵衛と顔を合せ、この得も言われぬ雰囲気の藤兵衛に惚れたのだった。

「話はこれくらいにしますか・・・」
 女房の気配を感じて、藤兵衛は菜の花の和え物を摘まんだ。
「これがうまいんでさあ。これを摘まみに酒を飲むと、初めてお綾に会った、あの夏を思いだします・・・」
 と妙に遠くを眺めた顔になって、女房を気遣いはじめた。
 唐十郎は、お綾に悪い事をしたと思った。
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