八 六助の父

文字数 1,715文字

「六助は酒乱の気があったのか・・・。供えてやってくれ・・・」
 そう言って藤兵衛は、お盆の茶飲み茶碗四つに酒を注いで六助の近くに置いた。
「そうなんで・・・。すまねえ・・・」
 六助の父太助はお盆の茶碗を取って、六助の枕元にある小机に置いた。
 藤兵衛は六助の顔を見ながら呟いた。
「六助も、今となっちゃ、飲んでも暴れられねえな」
「まったくだ・・・。ばかなやつだ・・・」
「六助は家へ帰るついでに、日野道場で稽古してると聞いたが・・・。
 とっつあん、飲んでくれ。正太も飲みな」
 へい、と返事して、正太は茶碗を取って静かに飲みはじめた。
 ありがとうよ、と言って、太助も茶碗を取って話した。
「毎月の給金で、味噌や醤油や米を運んで来やがった。孝行息子よ、六は・・・」
 太助は茶碗の酒を喉に流し込むようにあおった。

 六助を亡くした太助の悲しみが酒とともに太助の腹の中へ流れて、そのまま心の奥底へ染みこんでいくように藤兵衛は思った。子を亡くした親は、こうして悲しみを記憶に刻みつけるのだろう・・・。
 藤兵衛は口元へ運んだ茶碗を止めた。六助の枕元にある巾着袋を見て言った。
「昨日は六助の給金の日だったのか」
 六助を新材木町の堀端から運んできた、六助と名札がかかった大八車は、荷を積んだまま、自身番の外に停めてある。
「そうなんで・・・。いつもなら、ゆんべは、荷を積んであるあの車を引いて帰ってくる日でした・・・。巾着袋の中をあらためたら、中身はいつもより多いくらいで・・・」

 亀甲屋の給金は、二十日締めの一日払いだと太助は説明した。六助は酒さえ飲まなければ気は優しくて力持ち。力があるから他の車引きの二倍の荷を運んだ。どこへ行っても重宝がられた。おかげで六助をひいきにする雇主は多く、亀甲屋でも一目置かれていたと太助は言った。
「車は亀甲屋の物だし、亀甲屋に荷運びの仕事が来るんだから、亀甲屋に口利き料やら、車の借り賃やら損料やら取られるのは納得できるが、店の若えもんのピン撥ねは許せねえからとっちめると言って、剣術を稽古してた。
 おかげで若えもんも手出ししなくなったと喜んでたのによう・・・・」
 太助は悔しそうに唇を噛みしめて茶碗酒をあおった。

「ひいき筋が多いんなら、なんで、てめえの車を持つ気にならなかった・・・」
 藤兵衛は何気なくそう呟いていた。
「亀甲屋が界隈を仕切ってるから、六は気をつかってた・・・」
 廻船問屋亀甲屋の主は、日本橋界隈の裏世界を牛耳っている香具師の藤五郎だ。亀甲屋での藤五郎が香具師そのままかと言うと、そうではない。他の大店の主たち同様、どこから見ても腰の低い屈託ない商売人なのだから、藤五郎と古くからの縁が無い者は、藤五郎が香具師の元締めなどと知る由もない。

「独り立ちをじゃまされたか・・・」
「俺もそう睨んでる・・・。だけんど、どうしたもんか・・・。
 なあ、親方。本当の事を探ってくれねえか。溺れて死んだとは思えねえ」
「おめえ、まさか、仕返しを考えてんのか」
「そんな気はねえ。独り立ちをじゃまされても、六は仕返しなんぞ考えなかったはずだ。
 本当の事を知りてえだけだ。六の前で嘘は言わねえ・・・」
「わかったぜ。とっつぁん。
 と言っても、御上も酔ったあげくの溺死と認めたんだ。それとなく探るだけだぜ」
「それでいいさ・・・。頼んだぜ」

「とっつぁん。六助に、良い相手はいなかったんか」
「女の話は、聞いた事がねえ・・・」
「そうか・・・」
 相手は香具師の藤五郎一味だ。ここ日本橋界隈であからさまに聞き込みすれば、六助の死が事故死ではないと広めるのと同じだ。与力の藤堂様や日野先生や松月先生の思惑が無駄になるばかりか、真の下手人を警戒させて、逃亡させる結果になるのは否めない。なんとか亀甲屋への手蔓はねえものか・・・。
 それとなく探ると言ったものの、どうやって探るか、藤兵衛は考えあぐねていた。

 その夜。浅草元鳥越町の長屋で六助の通夜が行われた。
 藤兵衛は通夜に現れた人たちに、六助の知り合いをそれとなく訊いたが、これといった知り合いも、最近親しくなった者もいなかった。六助は父の太助に、亀甲屋の事と剣術の稽古の事しか話していなかったのである。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み