二十六 死人に口無し

文字数 1,686文字

 昼九ツ(正午)前。
 徳三郎と唐十郎たちが日野道場に戻った。
 今頃、室橋幻庵の子息和磨は昼飯を食っているだろう、と唐十郎は思った。同心たちは、藤堂八郎の下で人の扱いを教えられている。罪人といえど、心のこもった対応をすれば心を開き、罪を素直に悔い改めて話すようになる。同心たちはそれなりに和磨に接して、和磨の心を開こうとしているだろう・・・・。

 唐十郎の思いを察したように徳三郎が口を開いた。
「室橋幻庵は和磨に跡目を継がせたかった。女房のおさきを思って、己亡き後も、おさきと和磨と義二の暮らしが困らぬようにしたかったのだろう。
 しかし、和磨は幻庵の厳しい指導に耐えられなかった。実の親の言う事と巷の噂の板挟みになって、『実子がいるのに、なぜ、義理の子に跡目を注がせるのか』と思いこんで、理解できずにいたのであろう。和磨と幻庵の関係は、親の心、子知らず、だったのだろうよ・・・」
 唐十郎は徳三郎の話し方が気になった。
「では、和磨は、幻庵が実の親ではないと思っていたのですか・・・」
「おそらくそうだろう。
 藤五郎には女も女房もいない。もし、和磨が藤五郎の子なれば、藤五郎とて、おさきを手放しはすまい・・・。 
 己が幻庵の義理の息子だと思いこんでいた和磨は、菓子に仕込んだ薬の事で、幻庵が六助と山形屋吉右衛門を殺害したと勘違いして、幻庵を殺害した。
 家宅改めで薬入りの菓子は見つからなかった。藤五郎が死んだ今、どのような薬が、何処からどのようにして運ばれたか、死人に口無しじゃ。
 明日から、藤五郎殺害の下手人と、御禁制の阿片の流れを探らねばならぬな・・・」
 徳三郎は呟くように唐十郎と藤兵衛たち特使探索方に言った。


 夕刻。
 大伝馬町の自身番で、藤堂八郎は穏やかに訊いた。
「和磨さん。夕餉を食べましたか」
「はい・・。岡野さんが届けてくれました。ありがとうございます・・・」
「もう一度話しておきます。
 六助が亡くなった夜中と、山形屋吉右衛門が亡くなった夜中、藤五郎が二人といっしょに居たのを見たという証人がいます。藤五郎の手文庫から、錆びた二本軸の平打簪と玉簪が見つかっています。六助と山形屋吉右衛門を手にかけたのは香具師の藤五郎と見てまちがいないでしょう」
「そうでしたか・・・」
 藤堂八郎の書き物机の前に正座している和磨は、安心したように肩の力を抜いて目を伏せた。幻庵が六助と山形屋吉右衛門を殺害したと疑いつつも、そうあって欲しく無いとの思いが、和磨の中に有ったのは確かだった。

「日野先生がな・・・」
 藤堂八郎は、この自身番で徳三郎が密かに語った事を和磨に伝えた。
「幻庵先生は和磨さんの実の親だと日野先生は話しておった。
 それで、実の父が御禁制の薬を使っていた所業を許せなくなったのだと・・・」
「はい。日野先生のお見通しのとおりです」
「和磨さんは、幻庵先生が御禁制の薬を使っていたのを知っていたのか」
「父から何も聞いていませんが、あの菓子折りの匂いから、中身が何か気づいていました。
 父が菓子折りの匂いを気にする六助さんと、菓子折りの事を六助さんに話した山形屋吉右衛門さんを手にかけたと思ってました。
 それで私が父を殺しました・・・」
「幻庵先生を手にかけたのはわかった。詳しく説明してもらう前に言っておく。
 この後、和磨さんは茅場町の大番屋へ送られて再び詮議され、その後、奉行所で、詮議に相違ないか、吟味与力の取り調べを受ける。
 そこでだ。日野先生がこう伝えて欲しいと話しました。
『今は亡き幻庵先生に助けてもらいなさい・・・。
 幻庵先生が二人を手にかけたと思い、許せなかった、父に悪事をさせたくなかった、と言うのです。
 そうすれば、奉行所も恩情をかける可能性があります。
 良いですな』
 その事をふまえた上で、私に幻庵先生を殺害した経緯を話してください」
「わかりました・・・」
 和磨は涙ながらに語りはじめた。

 その後、奉行所の温情により、和磨は島送り、家族は江戸所払いになった。
 また、廻船問屋亀甲屋は阿片の抜け荷を摘発されて、駿河の芥子栽培人ともども捕縛された。

(二章 大八車 了)
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