七 小間物屋平助

文字数 4,306文字

「これはこれは日野先生。唐十郎様ともどもおいでいただき恐れいります。
 ちょうど昼餉に帰りましたところでして。
 お願いしたい事もありますので、昼餉をごいっしょしていただけますでしょうか・・・」
 徳三郎と唐十郎が訪れた日本橋室町の小間物屋平助は、こんな所ですみませんと断って、間口一間半の店先の上り框に座布団を敷いて、徳三郎と唐十郎に茶をいれた。

「平助独りで昼餉の支度も大変であろう。女房をもらわぬといけぬな。どこぞに、いい人はおらぬのか」
「それで先生。あっしのお願いと言うのは、あっしの祝言に、ぜひ・・・」
「何だ。おるのか。是非とも出席させてもらますよ」
「それは・・・。おーい、おゆき。先生たちにご挨拶して、昼餉を支度してくれっ」
 平助がそう言うと、奥から、はーい、と声がする。
「なんとっ。女房ができたのかっ」
「ヘイ、唐十郎様の祝言の後に。棟梁の知り合いの鍛冶町の娘でして。ここでもなんですから、奥へお入りくださいまし」
 平助は鰻の寝床のような店の奥へ、徳三郎と唐十郎を招いた。

 店の奥の畳の間に昼餉の膳が用意されて、さらにその奥にある炊事場から、平助の女房が現れ、徳三郎と唐十郎の前に正座して挨拶した。
「ゆきです。日野先生。ご無沙汰しております」
「鍛冶鉄の娘さんではないかっ」
 徳三郎と唐十郎は驚いた。おゆきはふたたび徳三郎たちに御辞儀している。
 唐十郎が横大工町の藤兵衛の長屋で暮すようになった折、徳三郎は同じ長屋や周囲の長屋へ挨拶にまわった。鍛冶町の鍛冶職人鉄次郎もその一人で、大工の藤兵衛と親しい間柄である。


「藤兵衛の棟梁に話してはあったのですが、おゆきの事は、近々、日野道場に伺った折に、私からじかに話そうと思っておりました」
「そうかそうか。女房が決まってなによりじゃ、なによりじゃ」
「つきましては、日野先生に仲人をお願いしたく・・・」
「なに、そうか、そうか。わかった。引き受けたぞっ」
 徳三郎は満面の笑みを浮かべて、平助の依頼を承諾した。徳三郎は、平助が日野道場に商いに来て以来、平助をひいきにしている。

 初めて日野道場に商いに来た平助に、徳三郎は興味を持った。たいていの小間物屋は、男所帯と判断して、剣術の道場などに商いに来ない。だが、平助は道場に接した住まいの裏口に現れて、たまたま用足しから戻った徳三郎と顔を合せて、小間物の細工などを徳三郎に語って、髪飾りの金細工や銀細工、櫛や白粉入れや香合など、自分の手で作れる物は試行錯誤しながら自分で作り、漆塗りの仕上げや化粧筆作りはその道の職人に依頼すると商売上の裏話を語った。
 平助は商いの話をしなかった。商いの品を作るのが何よりも好きらしく、商いを忘れていた。それでは商いにならぬだろうと徳三郎が話したが、品を作る方法などを聞いてくれたのは日野先生が初めてだと平助は言い、今度来た時、お内儀様に品をお目にかけますと言って帰っていった。徳三郎は、平助が素材を見分ける時の説明が、剣術の試合で相手を見極めるのと似ている気がしていた。

「鉄次郎さんは健在かな?」
 徳三郎は昼餉を食べながら、おゆきに訊いた。
「はい、元気です。このところ天下普請に絡んだ注文が多くて、忙しいやら、うれしいやらと申しております。
 ときには日野先生も、父にお顔をお見せくださいまし。日野先生のお顔を見れば、父も喜びます」
 おゆきはそつなく徳三郎に話した。
「忙しくて何よりじゃ。帰りに寄ってみましょう・・・」
 祝言の打ち合せと世間話に華を咲かせた昼餉が終り、平助はおゆきに茶を運ばせた。

「ところで日野先生。今日は、どのような事でおいでいただいたのでしょう」
「お前様に、教えて欲しい事があってな・・・」
「何なりと訊いてくださいまし」
「二本軸の簪の先端はいかように作るのであろうか」

 平助が怪訝な顔になった。二本軸の簪は殺しの凶器になる。特使探索方が簪に興味を持つからには、それなりの事が起きたのを平助は察していた。
「二本軸の簪の先は鋭くしますが、さりとて、肌を傷つけぬように作ります」
 異な事を、と唐十郎は思わず呟いた。
「妙に聞えますがほんとうでして。いつもはかんたんには肌に刺さらぬように作るんですが、なかには護身用にと言う客もいますんで、それなりします・・・。
 と言っても、ちょいと先を鋭くするだけで、かんたんに肌身に刺さるような代物じゃござんせん」
「それでは、特別な事は無いのだな」
 徳三郎は、二本軸の簪の先端の形について念を押している。
「そうは言いましても、たまには特別な物ができますんで・・・」
 平助は道具箱から、布に包んだ二本軸の銀の平打簪を取りだした。

「こいつは先が鋭くなってますが、ちょっと肌身を突っついても痛くねえし、肌身を傷つけません・・・。見てくださいまし・・・」
 平助は簪の二本軸を拡げて、火鉢にかけてある鉄瓶の煮え湯をかけて消毒し、唐十郎が、待てっ、という間に、二の腕の皮膚に突き刺した。
 唐十郎は平助の所行に驚きを隠せぬまま、思わず訊いていた。
「痛くないのか」
「へい、痛くないです。血も出ません」
 平助は二の腕から簪を引き抜いて、また煮え湯をかけて簪を洗った。

「先端の形は、特別か」
 徳三郎は簪の二本軸の先端形状が気になった。
「これはあっしが二本軸の平打簪を作っていて、たまたま、腕に刺さっても痛くねえのがあって、わかった事でして。痛くねえのに加えて、刺さっても血が出ねえんです。
 護身用になる造りにしてくれと言う客のために細工しているうちに、腕に刺さっても痛くねえのかあったんで、商わずにおきました」

「この事を知っているのは?」と徳三郎。
「あっしだけです。この代物は、表には出せません。
 先生。こいつが刺さっても、血も出ずに痛みもねえわけを教えてくださいまし・・・」
 平助は、疑問に思っている事を訊いた。

 唐十郎は鍼治療を思いだした。治療で使う鍼は刺されても痛みはなく、血も出ない。
 徳三郎も唐十郎と同じに考えているらしく説明した。 
「特別に作られた鍼は、肌の間へ入っても血の管を避けるため血は出ぬと聞く。痛みもあまり感じぬと言う・・・。そのような物を平助が作ったのであろう・・・」
「あっしは、知らぬまに鍼治療の鍼と同じ物を作ったって事ですか・・・」
「たまたまでなく、達人の域に到達したのであろう・・・。
 ところで、平助と見こんで話しておくが、他言無用にできるか?」
 徳三郎は、神田佐久間町の町医者竹原松月と同様に、客の私的事情を他言しない平助を信頼している。
「わかりました。他言はしませぬ」
 はっきり断言した平助に、徳三郎は六助の死についてありのままを説明した。

 平助は驚いた。しばらく口をきけなかったが、俯いたまま涙ながらに語り始めた。
「そうでしたか・・・。ゆんベ宵五ツ(午後八時)くらいに六助に会いました・・・。
 あの時、連れてきて泊めてやればよかった・・・・」

 平助は昨夜、宵五ツ頃、日本橋本町三丁目と室町三丁目の辻でふらついて車を引く六助に出会った。酔っていたので、酒を飲んで心の臓はだいじょうぶか、と声をかけたら、これから浅草元鳥越町の親元へ給金を届ける、と言うので、気をつけて帰れよ、と声をかけた。六助は、剣術の稽古のおかげで、給金を店の若い者にピン撥ねされずにすんだ、と言って喜んでいたので、やっと一人前の稼ぎを親元に届けられるようになった、と平助なりに喜んでいた。それなのになんてこった、と平助は気持ちを抑えられずに俯いて肩を振るわせた。

 徳三郎はうち沈んでいる平助に訊いた。 
「辛いであろうが、六助はどっちの方角へ向っていたか、教えてくれぬか」
「堀留町の方角でした・・・」
「連れはいなかったのか」
「独りでした。車に荷を積んでました。親への土産だと言っておりました」
「車で運ぶほどの土産なのか」
「六は親思いでして、味噌やら醤油やら、給金が入るたびに、親元へ運んでおりました」
 平助は涙ながら徳三郎に語って、俯いてしまった。
 唐十郎は、祝言を控えた平助にすまぬ事をしたと思い、
「すまなかった。六助の事は知らせずにおこうと思ったが、これも御用のためゆえ、許してくれぬか」
 平助に頭を下げて素直に詫びた。
「唐十郎様。気にしねえでくださいまし。六の事はいずれ耳にへ入ります・・・」
 そう言ったものの平助は、六助が酔ったあげくに溺死した、と知らされた方が、気持ちが穏やかでいられたと思った。

「六助は誰かに恨まれていなかったか?」
 徳三郎は平助の思いを害さぬよう、穏やかに訊いた。
「強いて上げれば、奉公先の若え者が悪すぎました。その辺りの無頼漢のように、給金を目当てに、六助にたかっておりましたから・・・」
 平助は、六助が奉公先の若い者たちになんらかの事をされて堀へ投げこまれた、と思った。ひとつ探りをかけてみようとの気持ちが湧いた。

 唐十郎は平助の気持ちを察していった。
「六助が事故でないなら、相手はその筋の者。危険だ。探りは入れぬと約束してください」
 唐十郎は平助の身を案じてそう言った。
「その代り、六助に関する事で、見聞きした事は全て知らせてくれぬか」と徳三郎。
「わかりやしたが、それなら探りと同じでは・・・」
「いや、酔ったあげくの事故と噂になるはずだ。いろいろ話が出るだろうよ。探りをかけずに、噂に耳を傾けて、逐一それを藤兵衛に知らせてくれぬか」
 平助を危険に晒さぬように、さりとて平助を特使探索の蚊帳(かや)の外に置いたのでは平助の六助に対する気持ちを無視してしまう。藤兵衛と連絡を取らせる方が、平助の動きもわかるし、平助の身も安全だ。徳三郎はそう踏んでいた。
「わかりやした。六のためだ。噂を残らず知らせます」
「くれぐれも注意してくれ」と唐十郎。
「へい。承知しました」

「この件とは別に、祝言の話は進めようと思う・・・。
 平助、お前さんのふた親は亡くなって久しいのかい」
「へえ、もう五年になります。先だって、おゆきと二人して墓参りに行ってきました」
 平助の親の菩提寺は神田湯島の円満寺だ。この寺で藤兵衛の女房お綾が手習いを教えている。
「祝言を知らせる親戚は居るのかい」
「いえ、おりません。おゆきの親戚が多ございます」
「わかりました。鍛冶鉄さんに話して、事を進めましょう」
「無理なお願いを、あいすみませんです」
 平助は畏まっている。
「なあに、言葉に気を使わなくてけっこう。これから、いろいろ知らせてもらうのだから、畏まっていては手間暇かかると言うもの。儂らに、気楽に話していいのだよ」
 徳三郎の言葉は、祝言の喜びと友を亡くした傷心の平助に優しく響いた。
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