七 御触書

文字数 1,539文字

 翌朝。
 日野道場を訪れた唐十郎は、伯父の日野徳三郎に妖刀を見せた。徳三郎が妖刀を見ている間、唐十郎はいつになくすっきりした気分の己に気づいた。昨夜は妙な夢を見ずに眠れた。ここ数日、晴天が続いているためとも思えた。

「母上は健在か」
「はい。昨日、会って来ました。元気です」
 徳三郎は世間話をしながら不動明王の護符の封印を剝がして、ゆっくり妖刀を鞘から引き抜いた。妖刀は刃毀(はこぼ)れも曇りもなかった。
「名刀と呼ぶにふさわしい・・・。(つか)と鞘は、たいした造りではない・・・」
 しばらく刃文(はもん)を見ていた徳三郎は柄から目釘を外して、(なかご)を柄から抜いた。思ったとおり銘はない。徳三郎は茎を柄に納めて目釘を打った。刀を鞘に納め、唐十郎の手に戻して呟いた。
「銘はないが(たぐい)まれな名刀だ。これなら昨夜の押し込みもあのように斬れるだろう」
「讃岐屋の一件は、賊が刀で殺されたとお考えですか」
「如何にも・・・」
「実はこの刀、・・・」
 唐十郎は徳三郎に妖刀を得た経緯を話した。

「もし、我らと(えにし)があるとすれば、戸隠か・・・」
 徳三郎は何かを思いだしたらしいが、語ろうとせず、
「ところで、こたびの検視中に、つかぬ事を耳にした。
 与力の藤堂八郎様に寄れば、奉行所を通じて、公儀(幕府)から、江戸市中改築造工事の御触書きが出るらしい」
 と言って触書きの内容を説明した。

『御触書き草案。天下普請の事。
 諸国繁栄の折、この期に、江戸市中を整備し、火災、嵐に耐え得る江戸市中を造るため、改修工事を奨励するに当り、幕府が費用を云々・・・』

 近年、五代将軍徳川綱吉の治世は善政として「天和の治」と称えられ、各藩の財政は安定している。豊作の年が続き景気は至って良い。しかし、この好景気がいつまでも続くとは思えず、幕府勘定方である勘定奉行所には、これからの財政を懸念する声もあると言う。
 そこで幕府は、天下普請と称し、各藩の土地開発と江戸市中の改築造を行い、さらなる財政安定化を図るとの事である。これらに要する資金は各藩から調達するか、豪商たちから借りる予定だと言うが、本音は、各藩の蓄財を減らすのが目的だ。

「そうなると、物の値が上がるのではありませぬか」と唐十郎。
「事が運べば銭金(ぜにかね)が出まわる。物の値は上げさせぬ、と奉行所は話しているらしいが、商人たちが物不足を装って、物の値を上げるやも知れぬな・・・」
 徳三郎は世情を懸念している。

「各藩の新田開発は良しとして、江戸の町人にとって良き事があるのですか」
「堀や川を直して街道や道を直す。そのあいだは百姓町人の仕事が増えて、年貢が増える。
 工事が終れば街道を行き交う物の流れは良くなり、商人からの御用金、上納金も増える。また、堀や川や街道の管理と補修の仕事があるから、人々の暮らしは今より良くなる。
 公儀はそう考えている。
 工事中に投入される資金は、一旦、工事請負人の懐に入る。
 資金を豪商たちから借りた場合、返さねばならぬが、勘定方は投入した資金の回収方法をまだ考えておらぬらしい・・・」
 徳三郎は、そうなれば回収方法をめぐって不正がはびこると思っているらしく、良い顔をしない。

「昨夜の賊も、讃岐屋の抜け荷を知って、その不当な儲けを狙ったのだろう。
 幕府の政策が進めば、物の値を吊り上げる談合や、資材の横流しのような抜け荷の不正が増える。
 その折は、事実を見極める隠密のような者が、じかに将軍に物事を伝えるようでなければ商人たちが私腹を肥やすだけだ・・・」
 そう話しながら、徳三郎は讃岐屋で殺害された賊の太刀筋から流派を考えていた。
 刀刃による斬り口は微妙に異なる。徳三郎は長年の鍛錬で、その違いをはっきり見極めているが、賊を鮮やかに一刀両断したこたびの太刀筋に、徳三郎は見覚えがなかった。
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