文字数 1,773文字

 皐月(五月)。
 讃岐屋を襲った夜盗が鎌鼬に斬殺されて讃岐屋の抜け荷が発覚した。
 さらに味噌問屋甲州屋と材木問屋紀州屋が鎌鼬に斬殺されて、天下普請に際して物価を上げて儲けようと甲州屋と紀州屋が談合していたことが発覚した。江戸天下普請を前に、幕府は、物価高騰を禁ずるために、問屋の談合を禁ずる沙汰を下そうとしている矢先の事件だった。

 日野道場主の日野徳三郎は内密裏に勘定吟味役荻原重秀の屋敷に招かれて、荻原重秀が伯父と呼ぶ、大老堀田正俊から、特使探索方の特別任務を仰せつかった。

 特使探索方は、大老堀田正俊の命により勘定吟味役荻原重秀を通じて、鎌鼬(かまいたち)と噂される者による惨殺事件など特殊事件解決に設けられた役職である。特使探索方は勘定吟味役荻原重秀の配下である。
 特使探索方を務めるのは日野道場主日野徳三郎、徳三郎の甥の日野唐十郎、子息の日野穣之介、門人の坂本右近、唐十郎の妻あかね、大工の藤兵衛と正太、小間物売りの与五郎、飴売りの達造、毒消(どっけ)し売りの仁介である。
 しかし、建前上、日野道場主日野徳三郎と大工の藤兵衛と正太は町奉行配下の特使探索方であり、小間物売りの与五郎、飴売りの達造、毒消し売りの仁介は町与力藤堂八郎の配下である。
 また、徳三郎の甥の日野唐十郎、子息の日野穣之介、門人の坂本右近はともに日野道場の師範代補佐であり、柳生宗在幕府剣術指南役の配下で、指南役補佐を勤める特使探索方である。そして唐十郎の妻あかねは堀田正俊の義女で忍びである。

 しかしながら、特使探索方を仰せつかるにあたり、大老堀田正俊は、勘定吟味役荻原重秀と日野徳三郎を前にした酒の席で、妙な事を語った。
「日野殿は、こたびの件をいかように思っておいでか。こう聞くのも妙でござるな・・・。
 この甥が言うには、
『鎌鼬に殺られなければ、讃岐屋を襲った下手人は、讃岐屋を皆殺しにしたであろうから、捕縛されたならば死罪。抜け荷や談合をしていた店主はきつい咎めを受けて、市中引きまわしの際に町人や百姓に石礫を投げられて、怪我から病死は免れなかったはず。鎌鼬の出現で、町奉行所と評定所の手間が省けた』
 と申しておるしだいで、喜んでいいものやら、私も途方にくれておる・・・。
 無礼講でござる。手酌でやってくだされ・・・」
 堀田正俊は徳三郎に杯を空けるように示して、また、杯を口へ運んだ。徳三郎の考えを聞こうとしている。
「・・・・」
『鎌鼬の出現で、町奉行所と評定所の手間が省けた』と聞いて徳三郎は何も言えなかった。鎌鼬の出没に目をつぶり、捕縛に手を抜けということか・・・。徳三郎はそう思った。

「日野様。ここでの話はここだけに留め置きくだされ。他言無用にござる」
 荻原重秀がそう言った。
「あまり形式ぶってもいかん。重秀、無礼講じゃ・・・」
 堀田正俊が膝を崩して胡座をかいた。
「はい、伯父上。実は日野様・・・」
 荻原重秀は大老堀田正俊を伯父上と呼んでその場の雰囲気を和め、説明しようとすると堀田正俊が口を開いた。
「私が話そう。実は、こたび、幕府剣術指南役補佐を抜擢する、と称して剣術試合を催し、剣豪を探そうと思っておるのだよ」
 堀田正俊は手酌でぐいぐい飲みはじめた。剣豪ならぬ、酒豪のようだ。
「鎌鼬を炙りだすと」
「巷はそう思うだろうが、そうではない。日野殿のもとに、優れた剣豪がいるであろう。あの者たちが勝つに決まっておるではないか。アッハッハッ」
 堀田正俊は唐十郎と穣之介を調べあげているらしかった。
「それにしても、二人を良き若者に育てましたな・・・」
 昔を懐かしむように、堀田正俊が言った。徳三郎は、鎌鼬に思い当たることがあったが、そのことは話さなかった。

 葉月(八月)二十八日、晴れの夕刻。
 大老堀田正俊は、江戸城内にて、疑惑の政敵である若年寄稲葉正休によって刺され、故人となった。

 その後。神無月(十月)初旬。
 鎌鼬なる者に日本橋田所町の香具師(やし)の元締、亀甲屋藤五郎が斬殺された。
 特使探索方と町方は、目撃者の証言と、香具師の亀甲屋藤五郎の手文庫から発見した血の付いた銀の二軸簪(にじくかんざし)により、亀甲屋藤五郎と番頭吾介の阿片抜け荷を知る米問屋山形屋吉右衛門と大八車引き六助を、藤五郎が口封じしたことを明らかにした。
 その結果、番頭吾介は島流し、亀甲屋は御店取り潰し、奉公人は江戸所払いの沙汰が下った。
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