第8話 上官に向けて、発砲!

文字数 3,889文字

 ふっと息を吐き、彼は、違う話を持ち出した。
「ベルギーの人々は、フランスの一部となる(*1)ことに、賛成なのだろうか」
「革命の果実、自由と平等を手に入れることができて、彼らは喜んだはずです」

 ヨーロッパの、未だ領主に虐げられている民の解放こそが、革命戦争の理念だ。俺が、俺だけじゃなくて、フランスの市民が、命を賭けて戦っている理由だ。


 なおもドゼ将軍がつぶやく。
「デュムーリエの軍もまた、物資の供給が途絶えがちだったという。政府は、地元からの徴収を許可したというが、それは、フランス軍による略奪に他ならなかったのではないか」

「中央政府はまったくなってない! 死に物狂いで戦っている軍を、なんだと思っていやがるんだ!」

 怒りに燃えて、俺は叫んだ。中央からの補給が途絶えがちだったのは、どこも同じだった。武器弾薬はおろか、医薬、食糧の補給もない。食わずに戦えるか! 俺らはもう何ヶ月も、給料をもらってないし、徴兵されて来た兵士どもも同じだ。だ。いったい政府は、何を考えていやがるのだろう!

「だが、略奪はダメだ。地元の住民には、必ず対価を支払うべきだ」

 理想だ、と俺は思った。
 この冬のマインツ包囲で、ドゼ将軍は、配下の軍に、略奪を許さなかったという。それは素晴らしいことだ。素晴らしいことだけど、略奪をしなければ、生き残れない場合だってある。

「生かさぬように、殺さぬように、です」

「なんだって?」
ドゼ将軍が目を剥いた。初めて、俺の顔をまともに見てくれた気がする。

「だから、やりすぎはいけません。でも、兵士らも生き残らなくちゃならないんだ。そこは、住民の皆さんにもご理解、ご協力を頂いて」
 得意になって俺は、将校としての心得を述べる。

「ダヴー、君自身も略奪に加わったのか」
厳しい声が遮った。

「まさか」
俺は即答した。
「そんなの、部下の上前をはねたのに、決まってます」
この冬の、ルクセンブルク包囲は過酷だった……。


 そろり。
 ドゼ将軍が後退した。
「君はその後で、戻ってきたデュムーリエの馬を、取り上げたよな」

 本当によく知ってるな、と俺は思った。ドゼ将軍は、俺のことが大好きなのに違いない。いや、大好きは言い過ぎとしても、少なくとも、俺という人間に、興味を持ってくれている筈だ。さもなければ、こんな些細なことまで知りはすまい。
 自信を持って俺は、将軍が後ずさった分、彼に向けて一歩、前進した。

 だが、ここはひとつ、慎ましくあるべきだと、思い直す。ドゼ将軍自身が、控えめな人だとわかったからだ。
 目を伏せ、俺は答えた。

「偶然です。任地への行軍中、偶然、デュムーリエ一行と出くわしたものですから」



▼――

 俺の軍、第3ヨンヌ軍は、新しい任地、サンタマン=レゾー(ブリュッセルより西。現在のフランス領、国境付近)へ向かう所だった。デュムーリエが裏切りやがったので、配置換えがあったのだ。
 そこへ当のデュムーリエが帰ってきた……。

「裏切り者、待てーーーーっ!」
「げ、ダヴーだ」

 俺を見るなり、デュムーリエは、一目散に逃げだした。疚しい気持ちの表れだろう。
 物凄い勢いで逃げ去るデュムーリエを、連れの一行が、あっけに取られて見ていた。中の数人は、白い軍服だった。オーストリア将校だ。

「逃がさんぞ! この売国奴が!」
 憤怒して、俺は追いかけた。
 デュムーリエの奴、本気で、オーストリア軍をフランスに差し向けるつもりなのだ。あろうことか、オーストリアの将校(マヌケ)どもに、神聖な母国の土を踏ませるとは!

 俺の剣幕に恐れをなしたか、先頭に取り残されたフランス人の貴族が、回れ右をした。デュムーリエの後を追って、一目散に逃げだす。つられて、オーストリア将校どもが、後を追った。

「逃がさぬぞ。待てーーーーっ!」

 わらわらと、俺の後から、兵士どもが続く。
 なにせ俺の部隊は、義勇軍の歩兵部隊だ。使える騎兵は、指揮官の俺くらいのものだ。だが、俺はひるまなかった。歩兵どものはるか先頭を、裏切り者の一団を追って、全速力で馬を駆った。


 「しめたっ!」

 運命の女神は、俺に微笑んでくれたかに見えた。デュムーリエの馬が、溝を飛び越えることを怖がり、立ち止まってしまったのだ。軍人の馬にあるまじき、躾けの悪さだ。だから、デュムーリエはダメなのだ。デュムーリエは馬を下りた。徒歩で溝を渡っている。

 一方で、後から続いてきたオーストリア将校の馬たちは、軽々と溝を飛び越え、走り去っていった。さすが帝国将校の馬だ。手入れが行き届いている。

 「将軍!」
 最初にデュムーリエを追って引き返したもう一人の裏切り者(フランス貴族)が、溝を渡ったところで立ち止まった。自分の馬に、靴を濡らして溝を渡ってきたデュムーリエを引き上げた。(*2)

 「あっ、こら、くそっ! 待ちやがれ!」

 俺は地団駄踏んだ。溝を渡ったら、歩兵どもがついてこれない。

 「大の男が、二人乗りなんぞするなーーーっ!」

 重そうに去っていく馬に、俺は罵声を浴びせかけた。


 溝の手前で、途方に暮れている男がいた。デュムーリエの秘書だ。徒歩でついてきた彼は、逃げ切れなかったのだ。仕方がないから、俺はそいつをひっ捕まえて、溝の前で立ち往生していた馬と共に、司令部へと連行した。秘書なら、主の裏切りの証言くらい、できるだろう。


 この功績で、俺は、大尉の地位を与えられ、同時に、3つの半旅団の指揮権を与えられた。

▲――



 「さ、行こうか」

 ドゼ将軍が立ち上がった。俺の副官希望に、返事を寄こさない。
 デュムーリエの一件の、あまりのインパクトと、俺の活躍への称賛で、忘れてしまったのだろう。
 彼は既に、服を着終えていた。繰り返すが、召使の手も借りずに。全く見事な手際だ。
 しかし、俺は、本気だ。
 本気でこの人についていきたい。


「ドゼ将軍。俺を副官にして頂きたい」
「できない」
短く答えた。
「なぜ!」

 絶望にかられ、俺は叫んだ。俺より優秀な軍人がいるはずもないのに!
 そしてドゼ将軍には、優秀な副官こそがふさわしい。
 やはり、薄々感じているように、俺の人間性が問題であると、ここは理解すべき……。

 だが、彼の返事は、意外なものだった。
「ヴァンデ(*3)制圧に派遣された後、君は、師団長に任命された。俺と同じ階級だ。そんな人材を自分の補佐官になんて、できない」

「こっ、断りました!」


 断ったのは、政治的な理由だ。
 戦争に負ければ、司令官初め高級将校は、処罰されることが多い。処刑されることすらある。士気を下げた、あるいは、敵と密通してわざと負けたと、言いがかりをつけられるのだ。そうでなくても、身の回りでは常に政府からの派遣議員が目を光らせ、あることないこと、中央へ密告する。
 そんな息の詰まるような環境は、いやだった。

 実のところ、後悔がなかったわけではない。師団を与えられるからだ。それにより、作戦遂行の自由度も、大幅にアップする。
 だが、今ほど、師団長拝命を断ってよかったと思ったことはない。俺はまだ、准将のままだ。ドゼ将軍より、下の身分だ。
 まさに俺は、ドゼ将軍の副官になるために、師団長を断ったのだ。


 「駄目だ」
だが、ドゼの拒絶は、にべもなかった。
「君は勇敢で、優秀な人間だ。人の下についているべきではない」
「……」

 「そんなことはありません」と言いたかった。だが、どうしても言えなかった。嘘をついてはいけないからだ。

「アンベールの元へ戻れ。彼がいいようにしてくれるだろう」

 ドゼ将軍は、俺の能力を認めてくれている……。
 不意にそのことに気がついた。

「いっ、一生、ドゼ将軍。あなたについていきます!」

 思わず頬が紅潮した。掠れた声で俺は、決意を述べた。だって、初めて、俺の真価を理解できた人だよ? ここで逃がすわけにはいかない。

 ドゼ将軍は、怪訝な顔をした。

「君は今の話、聞いてたか?」
「もちろん!」
「ダヴー、君は、いずれ、アンベールに代わって、師団を率いるようになるだろう。それは、時間の問題だ」

 褒めてる! 
 ドゼ将軍が、俺を褒めてる!
 こんなに純粋に、下心なく、人から褒められたのは……母以外から……、生まれて初めてだ。

「だが……」
不意に彼は言葉を途切らせた。
「だが、ピシュグリュ司令官には気を付けるんだ。必要以上に、彼に近づいてはならない」
「え? それは、どういう……」

 ピシュグリュ司令官は、ドイツ語ができない。俺と同じだ。
 そこに、大いに共感できたというのに……。

「言葉のままだ。彼とは距離を保て。それが、君の身を守る」
「……」
曖昧に、俺は頷いた。







───・───・───・───・───・

*1 ベルギーはフランスの領土
ダントンの自然国境説(「第2話 二つの軍事行動」参照)によれば、ライン川左岸(西側)はフランスの領土になる。下流域では、ベルギーと、ネーデルランドの一部が、これに該当する。ここは当時、オーストリア領。


*2 もう一人の裏切り者
当時19歳のシャルトル公ルイ・フィリップ。間もなくオルレアン公を継ぐ。(ここに描いた事件で、息子の革命政府への叛意が疑われ、また、父エガリテをフランス王へ擁立する意図があったとも解釈され、エガリテは処刑された)
ルイ・フィリップは、1830年、7月革命の後、王位に就くも、1848年2月革命で、イギリスに亡命、その地で客死する。この後出てきたのが、ナポレオン・ボナパルトの甥、ナポレオン3世。


*3 ヴァンデの乱
フランス西部の農民と王派の蜂起。
詳しく↓
https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-34.html








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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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