第5話 ライン軍総司令官ピシュグリュ

文字数 3,990文字

 

 「君らは、配下の兵士の略奪を、許したはずだ」

 ピシュグリュの言葉に、アンベールと俺は、思わず顔を見合わせた。
 食糧不足は、敵軍だけではなかった。わが軍も、あらゆるものが不足していた。
 中央からの補給が、途絶えがちだったからだ。
 補給がなければ、兵士たちは、飢えるしかない。兵士が地元から略奪するのは、それをしなければ、生きられないからだ。


「ドゼは、君らと同じように、マインツを包囲していた」

 俺達が包囲したルクセンブルクと同じく、ライン河中流域に残された、最後の敵の要衝だ。マインツには、今現在、クレベール将軍が援軍に行っている。本体のサンブル=エ=ムーズ軍を弱体化させる危険を犯してまで、彼は、マインツ包囲の応援に向かった。結果、モーゼル=エ=ムーズ軍は、ラーン川の南まで、後退を余儀なくされた。

 不意に、ピシュグリュの目が鈍い輝きを帯びた。
「ドゼ……去年、あいつ、マインツ包囲の指揮官になれというのを、拒否しやがって」

「へ?」

 俺とアンベールの声が重なった。
 忌々し気にピシュグリュは、舌打ちした。

「この冬の話だ。俺はまだ、オランダにいたがね。ドゼが嫌がったから、代わりに、モーゼル軍のクレベールが暫定指揮官になった」

 ピシュグリュの目が、さらに冥い光を放った。

「なのに、クレベールめ。途中でヘソを曲げやがって。かわいそうに俺の前任者は、ドゼとクレベールの間を、行ったり来たりして、ついに落馬して、大腿部を骨折する始末さ。おかげで、俺にお鉢が回ってきちまった。ライン=モーゼル軍の総司令官などという、厄介なものがな! オランダ戦の勝者のこの俺に! こんな貧乏くさい、一度も決定的な勝利を収めたことのない、ライン方面軍の総指揮が。ここには、物資も人員も、全然足りてないじゃないか」


 再び、俺とアンベールは顔を見合わせた。
 俺達もまた、勝利目前のルクセンブルクから、このライン=モーゼル軍に回された身だ。
 はあはあと、ピシュグリュは、肩で息をしている。よほど、ライン・モーゼル軍の司令官になったことが気に入らないらしい。

「だから、君の気持はよくわかる、ダヴー。俺をこんなところへ呼び戻した(*1)のは、煎じ詰めればドゼだからな。やつの悪口なら、俺だって、いくらでも言いたい気分だよ」

「でも、ピシュグリュ総司令官は、俺が悪口言うのを、止めたじゃないですか」
 
 俺は反論した。
 確かに、ドゼ将軍には、人気がある。兵士共は、将軍の悪口を言うなと、食って掛かってくるし……。
 全く不思議だ。
 俺なんか、配下の兵士どもに嫌われまくっているというのに。

 ずばり、俺は言ってやった。

「今回のサンブル=エ=ムーズ軍の敗走も、遠因は、ドゼ将軍にあるのではないですか?」

 ……わが軍の、ハイデルベルク攻略の失敗は、上アルザスで、ドゼがヴルムザーの陽動作戦に失敗したせいだ。
 は、さすがに口にするのを慎んだ。隣から、アンベール将軍が、つついてきたからだ。体を捻ってアンベールの手から逃れ、俺は糾弾を続けた。

「去年から、ドゼ将軍が、マインツ包囲の指揮を執っていたら、今回の軍事行動で、クレベール将軍も、マインツに執着しなかったのでは?」


「いや、クレベールも……。あれはあれで、アレな男だ。クレベールよりかは、俺は、ドゼの方が好きだね。クレベールを押し付けられたジュールダンより、運が良かったと思っているよ」

 ピシュグリュが言う。
 「あれ」の中身については、説明はなかった。
 ピシュグリュは、俺達の目を交互に覗き込んでから、話を元に戻した。


「この冬、マインツもまた、酷寒だった。だがドゼは、配下の兵に、略奪を許さなかった。将校用に配布された物資を部下と共有し、他の将校もそれに倣った。ドゼはいつも、一番最後に、兵士らの食べ残しを食べていたそうだ。その上、」
 特徴的などんぐり眼を、ピシュグリュは、ぎろりと見開いた。
「その上やつは、広場の大理石の上に陣取って、困窮した地元の住民に、なけなしの食料を、分け与えたという」

「信じられない……」
思わず声が漏れ、アンベールが慌てて口を塞いだ。

 無理もない。
 ルクセンブルク包囲戦の司令官モロ(*2)は、酷寒の中、熱病に罹った。栄養も医薬も不足し、彼はそのまま、帰らぬ人となった。
 後を継いで、モーゼル軍右翼の司令官となったのが、アンベールである。
 1794年から95年にかけてのこの冬は、誰にとっても、生きるか死ぬかの、地獄だった。


「ドゼは、敵の兵士にも寛大だ。捕虜を人間として扱い、無駄な殺戮は許さない」
「それはまた……」
 稀有な将軍だ。俺なんか、捕まえた敵兵は、滅茶苦茶、いじめてやる。将校にだって、気晴らしは必要だからな。


 「良い将軍(bon Général)
ピシュグリュは言った。
「地元の奴らは、ドゼのことを、そう呼ぶ」

「フランス語ですね、それ」

 思わず俺は口を出した。だって、地元の人間が言ったのなら、ドイツ語のはずだ。
 ピシュグリュが笑い出した。

「俺は、ドイツ語がからっきしなのでな」
「自分もです!」

 思いもかけず、このギョロ目の司令官に親しみがわいた。ついさきほどまで、ネッカー川沿いで放置されていたにもかかわらず。

「だが、ドゼは、ドイツ語が堪能だ。彼は、元貴族だ。きちんとした教育を受けている。君もそうだろう、ダヴー准将」

 しぶしぶ、俺は頷いた。認めたくない血筋だ。

「貴族だったドゼは、投獄されたこともある。君にも、逮捕監禁された過去がある」

 断定だった。
 再び、俺は頷いた。アンベール将軍の下に付いてから日が浅いのは、オセールの監獄に収監されていたからだ。


 本格的に恐怖政治が始まる前から、貴族出身者は、様々な難癖をつけられ、密告され、投獄された。たとえ軍籍にあっても、いや、軍人であれば、諸外国との密通容疑が加わり、一層、危険は増した。
 裁判など、無いに等しかった。それでも、俺や母のように、テルミドールのクーデター(*3)まで処刑が遅れれば、生きてシャバに帰ることができた。もちろん、クーデターが間に合わず、ギロチンにかけられた者は、大勢いる。

「だが、ドゼは、貴族だから捕らえられたわけじゃないんだよ。職を解かれた貴族の上官についていこうとしたからだ」
含みのある言い方だった。

「なんですって?」

「軍人として彼は、上官に忠実だったから、どこまでも上官についていこうとした。だが、共和国を裏切る意志は、毛頭なかった。彼は、誰よりもこの国(フランス)を愛している。逮捕され、憤激したドゼは、工兵出身のカルノー議員に手紙を書いた。ところでカルノーは、優秀な軍人を探していた。志願兵を束ねる将校が必要だったのだ。そういうわけで、ドゼの手紙はカルノーの心を射抜き、彼は、自らの力で、牢獄から出てきた」

 ピシュグリュは、にやりと笑った。
「ドゼは、そういう男だ」


 胸が、ざわざわした。
 自分の力で、自分を助ける……、
 それは、人として、あるべき姿である。
 特に、俺のように、他人から嫌われる人間にとっては。


「カルノーの介入で、ドゼは釈放されたが……翌年、もう一度、逮捕されそうになった。故郷から訴状が出てな。理由は、何だと思う?」
「……さあ」


 俺の母の場合は、エミグレ(亡命貴族)との通信容疑だった。証拠となる手紙を、俺は焼き捨てた。証拠不十分で母は釈放されたが、数ヶ月後、母と俺は、揃って、逮捕(母は再逮捕)された。


 不意に、ピシュグリュは笑い出した。

「ドゼが、貧乏だというのが、その理由さ。貧乏ゆえに、ピットやコーフブルク(*4)の誘惑に乗りやすいという

だった」


 あまりのことに、俺もアンベールも、呆気にとられた。
 ライン軍の司令官達が、次々と逮捕、処刑されたことは、俺も知っている。
 貴族であれば、最初から目をつけられる。戦争で負ければ、軍の士気を下げたと、即、逮捕命令が出る。
 だが、貧乏だからという理由で、ギロチンにかけられた将校の話は、聞いたことがない。


「それで、彼はどうなったんです?」

 いつまでも笑い止まないピシュグリュに、痺れを切らし、俺は尋ねた。
 ドゼ……黒衣の軍神の危機が、猛烈に気になった。

「ドゼは優秀だから、捕まえないでやってくれと、俺からも政府に、手紙を書いた。だが、全く相手にされなかった」
ピシュグリュは、右眉を上げてみせた。
「すぐに、ジャコバンの委員どもが、ライン軍の駐屯地まで押しかけてきた。ドゼを、捕えにきたのだ」

 軍人であったにもかかわらず、文民に逮捕された日のことを思い出し、思わず俺は、息を詰めた。

「だが、ドゼは捕まらなかった。部下の兵士どもが、楯となったのさ。彼らは、自分たちの大切な将軍を囲み、ジャコバンの公安委員を、一歩も、彼に近づけなかった」

「……」


 それは、何だったろう。
 その時俺の心を満たした感情は。
 温かく、感動的で、若干、涙腺が緩みさえした……。
 俺の隣では、同じくアンベールが、神妙な顔をしている。


「まあ、そういうことだ。俺なら、ライン軍の兵士の前で、ドゼの悪口を言ったりしない。君もそうすることだな、ダヴー」

 わが意を得たりとばかり、ピシュグリュ司令官が言い渡した。






───・───・───・───・───・

*1
ピシュグリュは、オランダへ赴く前の93年、短い間、ライン軍の司令官だった。

*2
Jean René Moreaux。後から出てくるモロー将軍とは別人

*3
1794年7月、ロベスピエールが処刑された。これにより、恐怖政治下で収監された多くの囚人たちが、処刑を免れた。ナポレオンの最初の妻、ジョゼフィーヌもその一人。

*4
「ピット」は、小ピット。当時のイギリスの首相。「コーフブルク」は、ドイツ諸侯。オランダ戦における、フランスの強敵。「ピットやコーフブルク」というのは、当時、フランスの敵を表す時、常套句のように用いられた







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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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