第3話 因縁のマインツ

文字数 2,262文字

 その後。
 急激に、オーストリア軍の数が増大した。どうやら、敵の主力、ヴルムザー元帥の部隊が、合流したらしい。


 「俺らには、大砲がなかったんですよ? その貧弱な部隊で、強敵、ヴルムザーに、どうやって勝てと?」
 兵士共は、最終的には、石で、敵兵の頭蓋骨を粉砕していたのだ。
「おまけに、待てど暮らせど、援軍は来ないし、上官は逃げるし」

 最後の言葉を、アンベールは無視した。彼は声を潜め、囁いた。
「それどころじゃなかったんだ。サンブル=エ=ムーズ軍が、やられた」
「なんですって? ジュールダン軍が!?」


 ありえないと思った。サンブル=エ=ムーズ軍の総司令官は、ジュールダン。アメリカ独立戦争に参加し、フルリュスで素晴らしい勝利を収め、ベルギーを獲得した。

「うむ。ライン川を渡河して早々にジュールダンは、クレベール師団を手放したからな。マインツへ援軍に出した」
「マインツ!」


 今回の軍事行動には、去年から続く因縁がある。
 マインツである。マインツは、ここマンハイムから、ライン川沿いに、少し北上したところにある。
 マインツもマンハイムも、ライン川の両岸に跨る都市だ。いわば、渡河の要衝といえる。
 小さな町、マンハイムと違い、マインツは、大きな都市だ。


 そもそもマインツは、マインツ選帝侯の領土だった。
 1792年、フランス軍はライン左岸(西側:フランス寄り)を占領し、共和国を作った。つまり、傀儡国家だ。
 当然だ。ライン川は、自然国境だからな。ライン川左岸は、フランスの領土であるべきだ。

 が、オーストリアやドイツ諸国はこれを快く思わず、ここを奪還しやがった。

 去年(94年)春の時点で、ライン河左岸(西側)の中流域は、ほぼ、フランスの領土となっていた。しかし、軍事的な要衝として、このマインツ左岸と、ルクセンブルクの要塞が、依然として、敵の手に残っていた。94年の戦いは、この2つを奪還し、ライン左岸を完全にフランスの掌中に収めることが目的だった。

 去年の冬、ルクセンブルクの要塞を包囲した中に、アンベール師団もいた。さっきも言ったように、俺は、途中参加だったが、俺の活躍のお陰で、ルクセンブルクは落ちたようなものだ。残念なことに、俺らアンベール師団は、陥落を最後まで見届けることはできなかったが。

 ルクセンブルクと違って、マインツ左岸はしぶとかった。同じく去年、ライン軍とモーゼル軍が、マインツ左岸を包囲したが、一向に陥落せず、フランス軍の包囲は、今なお、続いている。


 「しかし、マインツ包囲軍へ援軍を出すなら、我々ライン=モーゼル軍の方が、ふさわしいのでは?」

 俺は尋ねた。
 包囲している兵士の大部分は、ライン・モーゼル軍の兵士たちである。距離的にも、ここ、マンハイムから近い。

「うん。だが、サンブル=エ=ムーズのクレベール将軍には、因縁があるからな。去年の包囲戦で、彼は、マインツの臨時指揮官を務めていたんだ。そもそも、93年にマインツ共和国が奪還された時も、クレベールは戦闘に加わって、負けている。さぞや悔しかったろうよ」





「しかし、包囲に師団を送ると、本体軍が弱体化してしまいます」

「その通りだ。すかさず、フランクフルトから、クレルファイ元帥軍が南下してきて、サンブル=エ=ムーズ軍を、蹴散らしてしまったんだ。ジュールダン(総司令官)は今、ラーン川の辺りまで退避している」





 深いため息を、俺はついた。
 旧ライン軍が(モーゼル軍もだが)、大した成功を収められなかったわけが、わかった気がした。
 効率性以外の動機に、動かされているからだ。
 もっともそれは、軍の責任ではない。ライン軍の行動指針は、中央政府からの指令による。現場を無視した指令は、どこも同じだ。


 今、クレルファイ軍に叩かれ、サンブル=エ=ムーズ軍は、南寄り、ラーン川に向かって退却した。
 一方、俺のいるライン・モーゼル軍も、ハイデルベルク攻略に失敗し、デュフォール師団は壊滅、アンベール師団もマンハイムに逃げ戻った。敵のヴルムザー軍は、増大する一方だ。




 思わず俺は叫んだ。
「両軍とも、状況は、絶望的じゃないですか!」

「少なくとも、わが軍にはまだ希望がある。ピシュグリュ総司令官が、彼を呼んだ」
アンベール将軍が鼻を蠢かせた。
「ドゼ将軍を」







───・───・───・───・───・

(表記に関するお断り)

*「サンブル=エ=ムーズ」、「ライン・モーゼル」
原文は、
Sambre-et-Meuse
Rhin-et-Moselle
「-」は、日本語では、並列の「=」だと思います。しかし、どちらも「=」で結ぶと見た目が紛らわしいので、ライン軍とモーゼル軍が合体した方は、「・」で結び、「ライン・モーゼル」としました。


*「général de division」は、「師団長」と訳すのが本来の訳し方だと思います。しかし、この身分のまま亡くなったドゼ(ドゼー)を、日本では「ドゼ将軍」と呼びならわしています。したがって、場合に応じ、「将軍」「師団長」の呼称を使い分けることにしました。

同じ意味で、この時点のダヴーの階級、「général de brigade」は、「旅団長」の他に「准将」も充てることにします。

一般的には、「général de brigade」になった後、「général de division」に昇進します。従って、ダヴーは、ドゥゼやアンベールより、下の階級となります。なお、この時代は、どちらの階級も、手柄を立てなければ昇進できません。







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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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