第31話 ノイヴィラー・ホテル前にて

文字数 1,416文字

 「うおおおおおおおっ、ドゼしょう、ぐうーーーーーーんっ!」

 ストラスブールに、200年後まで確実に残るであろう建造物、ノイヴィラー・ホテル。川沿いに建てられた堅牢な建物から出てきたニコラス・ルクレール将軍は、あまりに異様な風体の人物を目にし、思わず立ち止まった。


 「ドゥーーッ、ゼーーーッ、しょう、ぐーーーーーーんっ!」
川沿いを散策する人が、奇異な目で見ていく。誰も、決して、近寄ろうとしない。

 「うぉおおおおおおおおおおーーーーーーーーーっ!」
 着乱れた着衣、薄汚れた顔、なにより、道端に倒れ伏せんばかりに泣き叫んでいるその男は……。

 「ダヴー、よせ!」
後ろからついてきたドゼ将軍の副官・レイが、ルクレールの横をすり抜けた。男に駆け寄る。
「迷惑だろ。お前、昨日も一昨日もずっと……」
「だって、レイ。ドゼ将軍がっ!」
「将軍だって、迷惑だ。お前のその大声が聞こえたら!」
「彼が死んじまう!」
「だから、お前の声が、傷に障るんだって!」

 際限もなく喚き合う2人に、ルクレールが割り込んだ。
「昨日も一昨日も来てたのか」
「もう、連日ですよ!」
憤懣やるかたないといった口調で、レイが応える。

 焦点の合わない目で、男はルクレールを見た。
 近寄ると、強烈な垢と埃の匂いが鼻を刺した。顔を顰め、ルクレールは問いを重ねた。
「ドゼ将軍の部下か?」
「ドゼ将軍は、俺の軍神だ!」
男が怒鳴り返す。

「あっ、ルクレール将軍、こいつは、その、ちょっとアレなやつで」
慌てて、レイは割り込んだ。

 なにしろこの副司令官は、イタリアの常勝将軍、ボナパルト司令官から派遣されてきた。その上、彼の義弟だ。
 ボナパルト将軍は、膠着していた対オーストリア戦を、見事勝利に導いた立役者である。ライン河の休戦は、ボナパルト将軍の勝利のおかげだ。
 負け戦(引き分け含む)ばかりだったライン方面軍としては、ボナパルト将軍の関係者(ルクレール)に、悪い印象を持たれたくなかった。

「こいつ、ディアースハイムの戦闘から戻ったばかりで、ひどく気が立っているんです」

「うるさい、レイ! 黙れ」
 ドゼの補佐官・レイに、男は食って掛かった。
「黙るのはお前だ」
すかさずレイが言い返す。

「うるさいうるさい! 失せろ!」
「失せろとはなんだ、失せろとは!」
「邪魔なんだよ!」
「邪魔なのはお前だ! ここには、他の宿泊客もいるんだぞ」

 「君、名前は?」
 再びルクレールは話しかけた。
「ダヴー。”de” のつかないダヴー、ただのダヴーだ」
 男が、きついまなざしを向ける。狂気と紙一重の危うさだ。

 しかし、この男に、ルクレールは、魅力を感じた。その底を流れる、とてつもなく純粋なものに触れた気がした。
「それでは、ただのダヴー君。君はここで何をしているんだ?」

「ドゼ将軍の回復を念じているに決まっている!」
憤然と男は答えた。
「彼が一刻も早く意識を取り戻し、俺達のところへ帰ってきてくれることを!」

「ドゼ将軍なら、今、会ってきたばかりだ」
ルクレールは首を傾げた。
「軍医は安静を命じているが、彼は、全く、いつも通りだったぞ。私が行くまで、パリへの報告書を書いていたくらいだ。というか、ドゼ将軍は、一度たりとも意識を失ってなんか、いないよ」

 ちらりとレイの顔を見た。ドゼの補佐官は、きまり悪そうな顔をしてそっぽを向いている。

「*◇+@×××!」

 奇妙な雄叫びを男が挙げた。
 レイとルクレールを押しのけ、ホテルの中へ突進していった。















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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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