第42話 1/3条項

文字数 2,294文字

 この春、ライン・モーゼル軍(わが軍)と連携したサンブル=エ=ムーズ軍では、オッシュ将軍が指揮を執っていた。


 オッシュは、有能な若い将軍だ。俺より2歳上、ドゼ将軍より2ヶ月、年上だ。
 
 オッシュには、ヴァンデ蜂起を制圧した実績がある。それを見込まれ、去年カール大公にいいようにあしらわれて辞任した、ジュールダンの後任として、古巣のライン河流域に戻ってきた。





 オッシュの軍もまた、ボナパルト将軍が結んだ和約のせいで、停戦を余儀なくされた。その後、どこだかへ転出したはずだが……。


 オッシュは、4年前も、ライン方面で戦っていた。わずか一週間ライン軍の指揮を執っただけで、ライン方面軍全体の手柄を独り占めした将軍だ。

 「大喰いの隣人」。
 ドゼ将軍が、忌み嫌っている男である。(*1)





 俺は、軍列半ばにいた馬車に連れていかれた。
 司令官が馬車で移動とは、どうしたことだろう。きっと、大喰いのあまり、太り過ぎて、馬に乗れなくなってしまったに違いない。いったいどんだけ巨漢なのかと、興味津々で、俺は、馬車に乗り込んだ。

 案に相違して、オッシュは、ひどく痩せた男だった。しかも、顔色が悪い。


「君が、ダヴーか。一度、会いたいと思っていた」
 掠れた声で、オッシュは言った。この声では、指令を出しても、隊列全体に、到底届きはすまい。
「君は、ドゼのお気に入りだと聞いた」

「……え?」
「部隊を与えられ、ケール3師団に入っていたそうじゃないか」
「……」


 俺は、ドゼ将軍のお気に入りなのか?
 全く、心当たりがない。むしろ、逆なんじゃないかと思う時が、時々ある。
 しかし、オッシュに、このような誤解をさせたのは、俺の人徳によるものだろう。彼は、俺の徳を理解できる、稀有な軍人なのかもしれない。


「ドゼは、俺を恨んでいるかな?」
「ええ、そりゃあもう」

 俺が保証すると、オッシュはひどく咳き込んだ。苦しそうに言い募る。

「俺は、彼のことを良く知らなかった。だから、言ったのだ。『銃剣とパンさえあれば、ヨーロッパ中の敵を倒すことなんて、たやすいことだろう?』って」
「そりゃまた、思い切ったことを言いましたね……」

 あれだけ、勇敢で、かつ、清廉なドゼ将軍に。
 ようやく咳の発作が去り、オッシュは声を絞り出した。

「もう、4年も前のことだ。俺には、ライン軍が、充分に動いてくれなかったという、憤りがあった。だから、カイザースラウテルン(ライン河西側、国境付近)を、オーストリアに奪取されてしまったのだと。その怒りから、自ら、ライン軍を指揮しようとした。それで、ピシュグリュと仲違いをし、彼は、オランダへ転出してしまった」


「ダヴー准将は、パリへ、ピシュグリュに会いに行くつもりだそうです」
傍らから、派遣議員のプシエルギュが口を出した。

「君は止めたんだろ、プシエルギュ。パリは、危険だ」
オッシュの口から、再び、「危険」という言葉が飛び出した。
「はい」
プシエルギュが頷く。


 サンブル=エ=ムーズ軍の、司令官と派遣議員、2人で頷きあっているから、俺は口を挟んだ。
「さっぱりわからないんですが。なぜ、パリへ行ってはいけないんです?」

「パリは今、クーデターの最中だからだ」
「クーデター!」

 俺は絶句した。
 せっかく戦争が終わったのに、今度はクーデターか!


「順を追って話そう」
 声の細いオッシュに代わって、プシエルギュが口火を切った。
「春の選挙で、王党派の議員が、330名に激増したのは知ってるな?」


 曖昧に俺は頷いた。

に関しては、あまり気にしていなかった。というか、ホテルの前で、全能なる存在に、俺の上官(ドゼ将軍)の回復を拝み倒すので精いっぱいで、それどころじゃなかったし。


五百人会(下院)では、王党派のピシュグリュが議長になった。君が会いに行こうとしている、元ライン軍司令官だ。その上、5人の総裁のうち、2人までが、王党派に占められた……」


 総裁政府は、毎年の選挙で、1/3の議員と、総裁の一人が、改選される。だから、いつの日か、王党派の政府が誕生する可能性が、ないわけでもない。

 しかし、王党派のやつら全員が、気が長く、平和的であるわけではない。反対だ。国外へ逃げた貴族たちは、困窮していた。国内に残してきた家族もまた、財産を奪われてしまった。王党派には、焦りがあった。

 2/3が改選されないのでは、議会で王党派が多数を占めるのは、いつになるかわからない。それは、公正な選挙では、ないのではないか。
 不満を抱いた王党派による蜂起が、総裁政府の成立直前(95年10月)に起きた(*2)。が、すぐに鎮圧され、この1/3条項は生き残った。

 この時、すぐに総裁になるバラスの副官となって、パリの街中で葡萄弾(散弾)をぶっ放し、王党派の蜂起を鎮圧したのが、ボナパルトとかいう痩せたチビだと聞いたが、あれ? それって……。





 とまれ、王党派の蜂起は鎮圧された。しかし彼らは、1/3条項を遵守し、ちゃくちゃくと、議員数を増やしてきたのだ。それがついに、この春(97年)の選挙で実を結びつつある、ってわけだ。


 まったく、涙ぐましい努力ではないか。
 もちろん俺は、共和派だ。だが、こうした地道な努力は、嫌いではない。完全に合法で、しかも、民意で選出されているのだから。







───・───・───・───・───・

*1
26話「大喰いの隣人」参照

*2
ヴァンデミエール(葡萄月)の蜂起
チャットノベルで解説しています
https://novel.daysneo.com/works/episode/905fcb14c3fa8b31a10f2d6ab808f4f0.html



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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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