第2話 1795年、二つの軍事行動
文字数 2,056文字
マンハイムの街中。
軍の司令部に入った途端、がっしりと抱きしめられ、俺は息を詰まらせた。
低い位置に、上官の、アンベール将軍の頭頂部が見える。
ここにいるということは、つまりこの師団長は、俺の部隊を置き去りに、マンハイムに逃げ帰っていたわけだな。
「デュフォールは捕虜になったし、彼の師団は壊滅したし。その上、途中から、君と連絡が取れなくなっちまって。心配したぞ、ダヴー」
「オーストリア兵になんぞ、やられません。誰が、傭兵なんかに」
吐き捨て、俺は、上官を引きはがした。
「そんなことより、アンベール将軍。マンハイムの町の城壁のところにいた、あれは、誰です? あの、」
黒衣の軍神、と言いそうになり、危うく俺は、言葉を途切らせた。
「あの、黒髪の将軍は」
軍服から、師団長であることは間違いない。
「黒髪の将軍?」
「両頬に傷のある」
「ああ!」
即座にアンベールにはわかったようだ。
にっこりと、彼は破顔した。
「ドゼ将軍だ」
「ドゼ……将軍?」
「旧ライン軍の」
アンベール将軍率いるモーゼル軍右翼は、この春、ライン軍と合わさって、ライン・モーゼル軍になった。
その上俺は、ワケアリで、モーゼル軍に加わってから、まだ、1年経っていない。
だから、同僚の将校・兵士含め、知っている奴は、あまりいない。
元ライン軍となると、なおさらだ。
なにせ、やつらの勝利ときたら、極めて部分的、かつ、限定的だからな。あいつらは、決定的な勝利というものを、未だに、勝ち取ったことがない。
フランス革命の自由・平等の精神を、未だ領主の下に隷属している、気の毒な周辺諸国の民に広げるべく、俺らは、長い戦いを戦ってきた。
革命戦争である。
そもそも、革命家のダントンが言ったように、フランスの国境は、海や川、山脈などの、自然国境であるべきだ。ゆえに、ライン川左岸(フランス寄り)は、全て、フランス領であるべきなのである。
この原理原則に則って、フランス北方軍は、英雄的な戦いを戦い抜いた。
そしてついに、北の低地地方(ベルギー、ネーデルランド南部:下の地図、広く赤い部分)を、オーストリアの支配から、解放してやった。
つまり、フランスの領土にした。
ベルギーやネーデルランドの民は、フランスに感謝していると思う。宗主国オーストリアの支配を逃れ、自由を享受できるようになったからだ。
※ダントンの自然国境説。赤い部分で、オーストリア初め、他国と戦闘が起きた。
やがて、フランスの素晴らしい戦果に感銘を受けたプロイセンを始め、ドイツ諸邦、それにスペインも、次々と、フランスに講和を求めてきた。
ドイツやスペインの王や諸侯もまた、自由平等を受け容れ、これからは、自国の民の権利を認める決意をしたのだ。我が国のように、尊い血を大量に流すことなく、革命の果実を手に入れることができたことを、彼らは、フランスに、感謝すべきである。
ところが、こんなに素晴らしい革命思想が、オーストリアにはお気に召さなかったらしい。彼らは、北の領土を奪われ、お冠だった。
同盟諸国が、次々とフランスと講和を結ぶ中、オーストリアは、時代に逆行しているとしか、言いようがない。。
とはいえ、ライン川下流域は、フランスのものとなり、オーストリア(とイギリス)以外の諸国は、それを認めた。
1795年秋。
戦争に入るには遅すぎる時期であったが、ライン川中流で、フランス軍は、ふたつの軍事行動を起こした。
◆ジュールダン将軍麾下、サンブル=エ=ムーズ軍は、ライン川下流(北側)デュッセルドルフ付近で渡河し、川の右岸(東側)で、オーストリア軍を攻略する。
○ピシュグリュ将軍麾下、ライン・モーゼル軍は、ライン川中流のマンハイムを無血で確保、ライン川渡河に成功した。
これに対し、オーストリアは、
◆北寄りのサンブル=エ=ムーズ軍には、ラトゥール軍が対峙し、
○南寄りの俺らライン・モーゼル軍には、ヴルムザー軍が対峙していた。
ライン川渡河に成功した俺たちライン・モーゼル軍は、まず、オーストリア軍のハイデルベルク基地を叩くべく、行動に移した。この基地は、マンハイムから、ライン川の支流、ネッカー川に沿って、西へ少しいったところにある。
「でも、ほら。わが軍は、ハイデルベルクを叩くのに、失敗したろ? 君の部隊は最後まで残ったが、結局、逃げ帰ってきた」
「ああ?」
アンベールが言い、思わず俺は凄んだ。
ハイデルベルクは、敵の補給基地だ。まずは、ここを潰す作戦だった。
ネッカー川の北岸をデュフォール師団が、南岸を俺たちアンベール師団が進軍した。
ところが、オーストリア軍にも、少しは頭の切れるやつ(クオスダノヴィッチとかいう名前だった)がいて、北岸のデュフォール師団を集中して叩いた。
※クオスダノヴィッチ
デュフォール師団は壊滅、川を挟んで俺らは、なす術もなく、仲間がやられるのを見ているしかなった。ネッカー川を渡ることに成功したわずかな兵士だけが、俺の軍と合流した。