第53話 泥長靴の主

文字数 1,936文字

 オージュローに見つかってしまい、しぶしぶ俺は、カーテンの陰から出てきた。

「ドゼ。サン=シル。君らは、この臭気に慣れてしまっているかもしれんが、俺は、新参者なんでね。部屋に入ってすぐ、わかったぞ。この部屋のどこかに、ダヴーがいる、ってね」
オージュローは得意げだ。

「……」
呆れたように、サン=シル将軍は、俺を見ている。

「ダヴー。いつから、そこに?」
 その場を和ませようとでもするかのように、ドゼ将軍が話しかけてきた。

「最初からです」

「立ち聞きかよ」
サン=シルは不愉快そうだ。
「聞かれて悪い話でもあるまい」
さすがはドゼ将軍、平然としている。


「それで、ダヴー。ドゼに何か用なのか?」
オージュローが問う。新司令官(オージュロー)は、面白がっていた。
「お前が話したがっているのが、サン=シルと俺じゃない、ってことだけは、わかってる」

「ダヴー、何か話でも?」
ドゼ将軍が問うた。穏やかな口調だ。

「連れてって下さい!」
意気込んで、俺は頼んだ。
「イギリス軍へ、俺も! 俺も、一緒に!」

「お前は、俺の話を聞いてなかったのか?」
オージュローが口を出す。呆れたようでもあり、むっとしているようでもある。
「ボナパルトは、ダメだ、って言ったろ?」

「冷酷で、兵士を死なせることを何とも思ってないって、話なら聞きました」
「なんだ。聞いてたのか」
つまらなそうに、オージュローは嘯いた。

 それどころではない。俺は、必死だった。
「でも、俺がついていきたいのは、ドゼ将軍だ。ボナパルト将軍じゃない!」

 すでに、2人の副官、ラップとサヴァリがドゼ将軍について、移籍することは決まっていた。しかし、俺については、何の辞令も出ていなかった。
 このままでは、おいてけぼりを喰らう。ここに、取り残されてしまう! 水と泥以外、何もない、辺境極まりない河の(ほとり)に! ドゼ将軍がいなくなったライン河畔は、考えるのも恐ろしいほど退屈で、耐え難い。
 俺は、焦りまくっていた。


 ドゼ将軍が首を傾げた。
「だが、君は、アンベールの交換将校だろう? 俺は、君をどうこうできる立場じゃない」

「アンベール将軍なら、わかってくれますう~」
この俺の、ドゼ将軍への想いを。
「だから、俺も、連れてって」

「ダヴー。君は……」
 ドゼ将軍が、何かを言いかけた。
 だが、彼は、それを、胸の裡に押しとどめてしまった。微かに、彼の逡巡を感じる。

 俺にはわかった。
 彼は、俺を、大変な目に遭わせたくないんだ。だって俺は、こんなに都会的センスあふれる、洗練された紳士だから! きっと、イギリスなどという、野蛮で卑しい相手との戦いは、無理だと思っているのだ。

 ドゼ将軍は誤解している。俺は、ひ弱でも、軟弱でもない。

「それがどんなにひどい場所でも、どんなに過酷な環境であっても、平気です。あなたと一緒なら、何だって耐えてみせる。そして戦う! 力の限り! だから、俺も連れて行ってください!」

「後から恨むことになるぞ……」
ぼそりと、ドゼ将軍が口にした。

「何を!」
俺はいきり立った。
「あなたを恨むなんて! あり得ません。金輪際! 俺は、自分であなたを選んだんだ!」


「俺は別にいいぞ。イキのいい部下を一人、手放したって」
オージュローが口を挟んだ。

「立ち聞きするような、行儀の悪い奴はいらんなあ……」
にやにやしながら、サン=シルも言う。


「2人とも、押し付けてませんか?」
 ドゼ将軍がため息を吐いた。くるりと背を向け、熱心に窓の外を眺め始めた。そこには、飽き飽きするほどの河の流れが、滔々と続いている。

「ドゼ将軍……」
頑なな背中に、語り掛けた。ともすれば意気地なく挫けそうな自分に、必死で檄を飛ばす。大丈夫。ドゼ将軍はわかってくれる。頑張れ、ダヴー。ディアースハイム出撃では、彼は俺を手元に残したではないか。
「俺は便利ですよ? ディアースハイム出撃の時だって、馬をいっぱい集めたでしょ。あ、牛か。得意です、ああいうの」
 住民を脅して、物品を供出させるのとか。

「戦場でこそ、俺は真価を発揮できます。敵兵をたくさん、殺しますし」
 趣味を兼ねて。

「兵士どもに言うことを聞かせるのも得意です。やつらは、俺の命令を、確実に順守します。だって、逆らったらどういう目に遭うか、よく知ってますからね! 上官だって、アンベール将軍をご覧になればわかるとおり……」

「わかった」
ドゼ将軍が遮った。
「だが、すぐには結論は出せない。少し時間をくれ」

「どれくらい?」
「数ヶ月」
「長い!」
「いやか?」
「いいえ。待ちます」

 本当は、今すぐ答えが欲しかった。だが、ごり押しは危険だ。ドゼ将軍は、ナマズのように、するりと逃げるのが得意だから。それに、サン=シル将軍と違って、決して、言質を取らせない。

 俺は、後日に希望を託すことにした。







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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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