第50話 右翼・旧ライン・モーゼル軍

文字数 3,167文字

 「おい、アデュー。弾丸はくすねてきたか?」
「まかせてちょ。弾薬も充分だ」
「バレてないだろうな?」
「倉庫係も、俺らの仲間よ」

「食糧は?」
「保存できるものを、少しずつ、持ち出してるべ」
「食糧は、それほどたくさんは要らないぞ? ドイツのド田舎と違って、パリへ向かうんだ。途中途中で、補給できる」

「まさか、道すがら、住民から略奪するんじゃあるまいね? それだけは、やったらダメだべよ」
「略奪? 人聞きが悪い。ドゼ将軍の名を出せば、向こうから持ってきてくれるさ。頑張ってください、彼を、我々の元に返してもらって下さい、応援してます、って言ってな!」
「ダヴー准将、あんたがそれをやったら、恫喝……」

「大丈夫だ。こうるさい将校クラスのやつらには声を掛けてないから。身分があるから、後で、責任を取らされたら、気の毒だからな。決して、規律規律って、うるさいからじゃないぞ」
「将校クラスは、あんただけかい……」
「心配するな。責任は全て、俺が取る」
「取り切れるのかよ?」

「お、アデュー!」
「ジャンじゃないか!」
「アデュー、お前、今朝がた、厨房からイモを盗んだろ。水臭いじゃないか。お前らの計画は知ってるぜ?」
「う……内緒にしてたべ?」
「ふふん。お前の内緒なんか! だが、見損なってもらったら、困るね。俺ら厨房係も、一緒に行く。俺らは、どこまでも、ライン軍と一緒さ。ドゼ将軍ともな!」
「だが、厨房係がいなくなったら、ここの司令部(ストラスブール)が困るべよ」
「知るかよ。どうせ、兵隊の殆どは、若ハゲ准将と一緒に行くんだからよ」
「ジャン!」

「なんだよ、アデュー。あ、そっちに、誰かいるのか。もちろん、同志だよな」
「同志っちゃ、同志だにゃ」

「おやまあ、あんたも、立派な後退組じゃねえか。まだ若いのに、気の毒に。だが、気にするな。今回の指揮官もそうだから。ダヴー准将は、ドゼ将軍の名誉を挽回しに行くんだ。額を輝かせてな。目的の為には、政府への爆撃さえ、辞さねえ。深く感動したね。だから俺らは、その若ハゲについていく。地獄の底までもな」

「おっ、おい、ジャン」
「なんだ、アデュー。あれ? どうしたんだ? 震えてるじゃないか。怖気づいたのか?」

「後退は、額だけだ。常に前進あるのみ! 出発の時は、ジャン。鍋を持ってついてこい」







 今や、ドゼ将軍は、無職だ。
 それなのに、彼はまだ、帰ってこない。
 もしやイタリアで、呑気に女の子を眺めて、鼻の下を伸ばしているのではあるまいな。

 「迎えに行こうか」
サヴァリが気を揉んでいる。
「途中で合流して、そのままロシア皇帝の陣営に……」
「それはダメだ。オージュロー新司令官に聞かれちまったじゃないか」
ラップが釘を刺す。
「じゃ、トルコ大帝軍もなしだな」
「うん。困ったな。だが、軍人以外のドゼ将軍なんて、考えられない」

 アホの2人が、際限もなく話し合っている。


 今は亡き(生きてるが)、モロー司令官は、ドゼ将軍に、バイエルンとビュルテンベルク伯領(シュヴァーベン)から、金を取ってくるよう、命じていた。ボナパルト将軍には、その仲介を頼む。そもそもそれが、今回、ドゼ将軍に課された任務だった。

 パッセリアーノ(ボナパルトの滞在地)へ着いて早々、ボナパルト将軍は、仲介を拒否したと、連絡が来ていた。ボナパルトは、自分は、オーストリアの全権者を相手にしているのであって、ドイツ諸邦を相手にしているわけではないから、と豪語したそうだ。

 一方で、ドゼ将軍は、ボナパルト将軍と、「友達」になったという。何が「友達」だ。ボナパルトは、ドゼ将軍より、遥かに格下なのに。全く、わけわからん。

 とまれ、新しい「友達」(ドゼ将軍)の為に、ボナパルトは、ミュンヘンで、バイエルン選帝侯に会えるよう、手配してくれたらしい。そこで、戦争拠出金の督促ができる、というわけだ。

 とすると、ドゼ将軍は、ドイツ回りで帰ってくるようだが……。


「ドイツは広い。途中で行き違ったらことだしな」
 ラップが言い、サヴァリが頷いた。阿呆どもといえど、それくらいの知恵は回るらしい。
「ドゼ将軍は、クーデターのことは知っているのかな」
「知ってるんじゃねえの」

 クーデター勃発当時、彼はまだ、パッセリアーノのボナパルトの元にいた。

 そもそも、総裁バラスが、フリュクティドールのクーデターを起こそうと決断したきっかけだが、それは、ボナパルトだ。イタリア遠征の傍ら、彼が、王党派のスパイを捕まえ、そいつが持っていた書類を、バラスに提出しからだ。
 書類には、かつてライン方面軍司令官だったピシュグリュが、政府を裏切っていた事実が記されていた。これにより、バラスは、ピシュグリュの、決定的な弱みを手に入れたことになる。身近に迫った脅威、王党派の五百人会議長の。

 勘の鋭いボナパルトのことだ。当時、ピシュグリュの下にいたドゼ将軍に、何らかの累が及ぶかもしれないことを、予見できなかったわけがない。


「ボナパルト将軍は、自分がクーデターに参画していることを、ドゼ将軍に、教えたんじゃないかな」
「だって2人は、『友達』になったんだものね」
ラップとサヴァリが、甘い予想にふけっている。

「それはありえねえな」
即座に俺は否定した。

「なんでだよ」
むっとしたようにラップが問う。
「友情って、大事だよ? 特に軍人には」
サヴァリも断言する。

「だってよ。新しくできた友達なんて、信用できねえだろ。まして、自分から会いに来るやつなんてよ」
少なくとも俺なら、そう思ったろう。ドゼ将軍は、彼の方からボナパルトに、会いにいくべきではなかった。

 ラップとサヴァリがため息を吐いた。


 「お、ここにいたか」
ひょっこりと、アンベールが顔を出した。
「早く来い。政府から、新しい辞令が出たらしいぞ」



 それは、全く新しい辞令だった。

 9月の末に、ライン・モーゼル軍と、サンブル=エ=ムーズ軍は合体して、「ドイツ軍」となっていた。「ドイツ軍」は、合わせて、17万5千人の大所帯となった。

 うち、旧サンブル=エ=ムーズ軍(亡くなったオッシュの軍だ)は、「左翼」と改名、ルフェーブル(*1)将軍が指揮を執ることになった。



 残るライン・モーゼル軍は、「右翼」と改名された。その指揮官は……。

 「満足したか、お前ら」
ダミ声が轟いた。

 そうだ。
 旧ライン・モーゼル軍(ドイツ軍右翼)の指揮官には、ドゼ将軍が任命されたのだ。
 俺達の、ドゼ将軍が!


「クセのあるやつらの大隊を、ひとまとめに指揮するのは、荷が重くてな。俺ももう、年(*2)だし。その上、隙あらば、トルコやロシアに駆け込もうとするやつらはいるし」
 オージュローが言い、ラップとサヴァリが首を竦めた。

「はては、パリへ攻め入ろうとする、血の気の多い奴までいる」
 その場の全員が、俺を見た。俺は、知らん顔を決め込んだ。

「そういうわけでな。人のいいルフェーブルと、人気者のドゼに、助太刀を頼もうと思い立ったわけよ」

 自然と、拍手が沸き起こった。
 オージュロー司令官が、旧ライン・モーゼル軍に、受け容れられた瞬間だった。







───・───・───・───・───・

*1 ルフェーブル将軍
後のナポレオンの元帥。97年の戦闘ではオッシュの右腕としてサンブル=エ=ムーズ軍を牽引。勝利を目前にしてボナパルトのイタリア軍勝利により停戦を強いられたルフェーブルは、知らせを齎したイタリアからの使者に対して、「君は、途中でワインの1本も飲んでくるべきだったのだ!」と吐き捨てたという。

なお、サンブル=エ=ムーズ軍の実力者、クレベールは、この時期、引退状態だった。一説には、オッシュに追い払われたとも言われている。マルソーの葬儀まで見届け、クレベールはライン河畔を離れ、シャイヨー(パリ)で暮らしている。


*2 
オージュローは、この年、40歳。
言い忘れましたが、彼も、ナポレオン時代、最初に選ばれた元帥の、一人です。






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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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