第19話 伯父ジャック

文字数 2,646文字

 自宅待機もこれで3度目。手慣れたもんだ。
 時間がある時は、将来役に立ちそうな本を読むことにしている。くどいようだが、俺には、学があるのだ。

 父を早くに亡くし、母は父の残したアンヌ城を手放してしまった。その代わりに、ここ、ラヴィエールにこぢんまりとした地所を購い直した。だから、実家の図書室は、たいしたことはない。

 だが、今回は、ちょっとばかり、ラッキーだった。戦場での俺の活躍が伝わったのだろう。ルボワ夫人の図書館を使うことが許されたのだ。
 彼女の城は、ブルゴーニュで最高の城だ。もちろん、蔵書も豊富だった。

 俺は、いつものように政治や社会問題系の現代書籍だけではなく、ギリシャやローマの、軍事史を読んで過ごした。
 ドゼ将軍が、好きなジャンルだからだ。
 話題作りだ。軍に戻ったら、彼と、昔の軍隊の話をするんだ!
 もちろん、近くの水辺にも通った。
 おかげでひどく健康になった。





 「また、くだらない本を読みおって」
 家に帰り、親切にも、ルボワ夫人が貸してくれた本を読んでいると(女性は、大概、俺に親切だ。特に年配の女性は)、頭上から、だみ声が降ってきた。同時に、嗅ぎ煙草の粉が舞い落ちてくる。

「伯父上……」

 例の、ヴルムザー元帥の盟友、ジャック伯父だ。
 未だに嗅ぎ煙草を愛用している、貴族を鼻にかけたジジイである。

「今度は何だ。モンテスキューは卒業したのだろうな」
「20歳の最初に読み終わりました」
「ルソーとやらは」
「それも、同じころ」
「まったく、くだらない本ばかり読みおって。あの頃、お前は役立たずだと、儂は確信したものだ。将来、平凡な一兵卒にもならぬと」

 実際、伯父は口に出して、俺を叱りつけたものだ。
 だが、まあ、この叔父は、俺が上官と喧嘩して収監され、シャンパーニュ王立隊の身分を剥奪された時、釈放後に元の地位に復帰できるよう、話をつけてくれたわけで……。

「役立たずだとしたら、ダヴー(d’Avout)の家の血を引いたのね」
 対面に座った母が言う。優雅に紅茶茶碗を口に運んだ。
「ああ!」
伯父は激怒した。
「くだらん本を読むのは、母親譲りだ! 全く母子揃って……本当なら、儂は、ラヴィエールくんだりまで、来たくはなかったわい」
「あら、ならおいでにならなくても」
「じゃが、あの、平民の青二才と別れたというから、わざわざ来てやったのだ。まあ、最初からうまくいくはずがなかったが。親子ほども年の差があったからの」
「……」

 すうーっと、母の顔が青ざめた。
 危険な青さだ。

「いや、お会いできて嬉しいです、伯父上」
心にもないことを、俺は言った。
「老骨に鞭をお打ちになって、このような陋屋までおいでになられたことを、感謝申し上げます」
 ここには本がある。しかも借り物だ。中身の入った紅茶茶碗の投げ合いは、避けなければならなかった。

「……」
 煙に巻かれたような顔を、伯父はした。だが、俺が下手に出てやったせいで、明らかに、気勢を削がれたようだ。テーブルの上に広げられている本に目を落とした。
「ぐぬぬ」
 ルソーやモンテスキューを蒸し返し、再び、文句を言おうとしている。だが、老眼で、文字が読めず、何の本かわからないらしい。

「エクセルキトゥスの本です」
すかさず俺が、学のあるところを示した。
「エクセル……」
「博学の伯父さんにはおわかりでしょうが、ローマ軍のことですよ」
「うほん! もちろんじゃわい!」
伯父は目を眇めた。
「お前も、少しは高尚な本を読むようになったな」

 ドゼ将軍、ありがとう!
 生れて初めて、伯父に褒められました!
 まあ、こんなジジイに褒められたって、嬉しくもないけど。

 俺は母に、部屋を出ていくよう、目で合図した。憤慨しきっていた母は、挨拶もせず、足音も荒く、退出していった。

 「ところでニコラ。俺に言うことがあるだろう?」
 部屋の外に母が消えると、伯父は尋ねた。

「はい?」
 まるで心当たりがない。クソジジイとは、できたら、顔も合わせたくなかった。

「ヴルムザーの件じゃ」
「げ」

 誰だ! 
 捕虜解放の詳細を、このジジイにしゃべりちらかしたのは!

「軍の知り合いから聞いた。お前をフランスへ返してくれたのは、オーストリアのヴルムザー元帥だというじゃないか」
「ええ、まあ」
しぶしぶ俺は頷いた。



「ヴルムザーは、儂の旧友じゃ」
「らしいですね」

「らしい、とはなにごとか。やつは、儂が、王の騎兵(フッサール)として活躍しておった頃の、古い友人だ! やつに助けられたということは、いいか。お前が無事、母国へ帰れたのは、儂のお陰じゃ!」
「……」
「それをお前は、礼の一つも言いに来んで」
「……」

 二の句が継げないでいると、伯父は、愉快そうに笑いだした。

「お前、ヴルムザーと約束したんだって? もう戦場に戻らないと。ああ、そうするがいい。革命政府の軍隊は、王家への裏切り者の軍隊だ。栄誉あるダヴー家の人間が、そんな軍で働くことは、金輪際、あってはならない。我々貴族は、ブルボン王家に忠誠を尽くさねばならないのだ」
「伯父さん。大声が過ぎますよ」

 我が家には、召使だっている。彼らは、市民(シトワイヤン/シトワイエンヌ)だ。こんな暴言が、部屋の外へ漏れたら大変だ。

「うるさい! 本来なら、お前もお前の弟たちも、亡命貴族(エミグレ)となって、コンデ公(*1)の下で戦わねばならぬ立場なのじゃ。それを、革命政府の手下なんぞになりおって。お前たちのしているのは、諸外国に対する、侵略戦争なのだぞ!」
「……」

 これ以上、共和国の悪口を言うのなら、この場で弑殺してくれようと、俺は思った。
 たとえ、血の繋がった伯父であろうとも。
 命の危険を感じたのだろうか。急に伯父は、矛先を変えた。

「だが、ヴルムザーはお前に、戦場には戻らぬようにと、名誉にかけて誓わせたと聞いた。これでお前はもう、革命軍には戻れないわけだな。良かったではないか。……なんだ、その顔は」

「いいえ、別に」
俺はそっぽを向いた。

「いいか。お前が軍に戻ったら、お前の名誉だけじゃない。儂の名誉も汚されるのだぞ」
「へいへい」
「戦場には戻れまい。貴族としての誇りがあるのなら」

 伯父の名誉を汚すことになったって、俺は別に痛くも痒くもない。貴族の誇り? なんだ、それは。俺は、ダヴー(Davout)だ。d’Avoutではない。



 数日後。
 革命政府の陸軍大臣からの呼び出しに応じ、俺は、軍に戻った。







───・───・───・───・───・

*1 コンデ公
息子のブルボン公や、孫のアンギャン公とともに、亡命貴族軍を結成、諸外国に援助を求め、革命政府と戦った。






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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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