第44話 急激に悪化した病
文字数 2,270文字
「ボナパルト将軍は、有能な司令官だ。イタリアへ乗り込んだ彼は、戦闘で勝利しただけでなく、ピシュグリュの裏切りの証を、手に入れた。ライン軍司令官時代、ピシュグリュは、オーストリアと内通していた。二度目のライン方面軍司令官時代だ。その証拠の書類を、ボナパルト将軍は、イタリア在住のスパイから手に入れた。彼はそれを、バラス総裁に送った」(*1)
スパイ 、アントレグ
「裏切り!? だって? ピシュグリュの!?」
息が詰まるほど驚いた。
それが真実だとすると、ピシュグリュの裏切りは、彼が、俺達と一緒にいた時期になる。
あの、マンハイム包囲の時……。
あるいは、それより少し前、ドゼ師団が、ヴルムザー軍への陽動作戦を展開していた頃……。
つか、ボナパルト将軍が、スパイを捕まえた? ドゼ将軍は今、ボナパルトに会いに行っている。彼はこの話を、ボナパルトから聞かされただろうか。
「ピシュグリュの裏切りは、1795年、彼が、オランダから戻って、再び、ライン・モーゼル軍の司令官になった時に始まった。当時、彼は、オーストリアやコンデ公(*2)と、しきりに連絡を取り合っていた。バーゼル(スイス)の担当官を経由してね」
つまりピシュグリュは、王党派の協力で、議員に当選し、
彼は、王家の帰国を目論んでいるのか。国外逃亡したプロヴァンス伯(ルイ16世の上の弟。後のルイ18世)、アルトワ伯(ルイ16世の下の弟。後のシャルル10世)をフランスへ連れ戻すべく、今現在も、陰謀に加担しているのか。
……「ピシュグリュ将軍には近づくな」
ドゼ将軍の言葉が脳裏に蘇る。
ピシュグリュは、ライン軍司令官に指名されたことを、ひどく不満に思っていた。限定的な勝利しか勝ち取れず、物資も人も不足している、と。
……「ピシュグリュ将軍には近づくな」
なんてこった。
ドゼ将軍は、最初から、俺に警告を与えてくれていたのだ。俺の経歴が、(これ以上)傷つくことのないように。
あの当時、彼が、どこまでピシュグリュの裏切りを察知していたのかは、わからない。自分の上官に対し、何となく、きな臭いものを感じていただけかもしれない。
ただ、彼は、それを俺に伝えてくれた……。
ドゼ将軍。
全くあなたっていうのは、なんて人だ!
ぶっきらぼうで、全然言葉が足りなくて、でも、いつも温かく見守ってくれて。軍の中で、俺が、ちゃんとやっていけるように。暴走して、仲間外れになることがないように。そして、そう。居場所のなくなった俺が、恐ろしい陰謀に巻き込まれることのないように!
ドゼ将軍……。
無性に会いたい。
スイス・イタリアで楽しんでいる彼に。
「声も出ないようだな。驚いたか、ダヴー准将」
「予想はしていました」
気を取り直し、涼しい声で俺は答えた。
だって、初めから、ドゼ将軍が警告を与えてくれていたじゃないか。それを解読できたかどうかは、また別の問題だ。なにせ彼は、無口な人だからな。
「ほう」
感嘆の色が、オッシュの顔に浮かんだ。そりゃそうだ。俺は、有能な将校だもの。あのツンデレ大魔王のドゼ将軍でさえ、庇護欲をそそられるほどの。よその司令官なぞは、賛美して当たり前。
再び、オッシュが、激しく咳き込み始めた。
「少しおやすみなさい、オッシュ将軍」
気づかわし気に、プシエルギュが、その背をさする。
「医者に、薬を出させましょうか?」
「眠くなるからいらない。今日中に、ダンケルク(サンブル=エ=ムーズ軍の駐屯地)まで帰ってしまいたい」
「あなたは、無理のし過ぎです。私がいつも言っているでしょう? 体あってのことですよ?」
「オッシュ将軍は、具合が悪いのか?」
俺は尋ねた。顔色の悪さと言い、肺まで吐き出しかねないほどの咳といい、尋常ではない。
「もうずっと、無理を通してこられたのだ。私が何を言っても聞き容れずに、軍を最優先にして」
俺は、オッシュの軍服を見た。軍服は、肩が落ち、袖が余っている。彼が急激に痩せたことを、ぶかぶかの軍服は物語っていた。
この春、オッシュは、サンブル=エ=ムーズ軍の指揮を執り、オーストリア軍と戦っている。その時、もし、このような健康状態であったなら、軍の指揮を執ることなど、とてもじゃないけど、できなかったはずだ。
急激な体調の悪化。
総裁政府の陰謀に加担することに失敗し、ピシュグリュに隙を見せてしまった、オッシュ。
総裁バラスは、利用する軍の力を、オッシュから、ボナパルトに挿げ替えた。ボナパルトは、麾下のオージュローを派遣した。
もはや、オッシュは、不要だ。それどころか、政府のクーデター計画を知る彼は、危険な存在にもなりうる。
……毒。
ボナパルトが自らパリへ来ないのは、未だにイタリアに留まっているのは、何らかの危険を感知したから?
……失敗したら、暗殺。
まさか。
「今頃パリでは、オージュロー将軍が、
やつれた顔に、オッシュは、満足そうな笑みを浮かべた。
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*1 スパイ
詳細は、「ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」28話「ピシュグリュの裏切りの発覚」に
*2 コンデ公
王族。息子のブルボン公や孫のアンギャン公とともに、