第4話 アデュー、アデュー、愛しい人よ

文字数 2,143文字

 「ドゼ将軍……」

 俺は鸚鵡返した。例の、黒衣の軍神、もとい、顔に傷のある黒髪の男だ。
 アンベール将軍(俺の上官)が頷く。

「彼は今まで、ライン川の上流の、山岳地帯にいたんだ。そこで、陽動作戦を展開し、ヴルムザー元帥を引き付けていた」
「……」


 じっくりと、俺は考えた。

 「つまり、俺の部隊を攻撃していたオーストリア軍が、急に増大したのは……」

それは、敵の主力、ヴルムザー軍が、マンハイム近郊の駐屯地(ハイデルベルク)に、合流してきたからである。

 「ドゼ将軍? 彼の陽動作戦が失敗したから! ですね!」




 どこが、黒衣の軍神だ。
 彼が、もう少しの間、ヴルムザーを引き付けておいてくれたら、デュフォール師団の壊滅はなかった。ハイデルベルクの敵陣は、俺が叩いてやったのに。


 「彼が、山岳地帯に、ヴルムザーを引き付けておけなかったからだ!」
 厳しく、俺が糾弾した時だった。

「ドゼ将軍の悪口を言うな」

 怒気を含んだ声が聞こえた。アンベール将軍ではなかった。いつの間に、どこから出て来たのか、薄汚い兵士が、目をぎらつかせて立っていた。しかも、一人ではない。3~4人いる。



「将軍は、名将だ」
「悪く言うやつは、たとえ俺たちの上官であっても許さねえ」

 よくよく見れば、ついさっきまで、俺の下で戦っていた兵士たちだ。なんだ、こいつら。上官に向かって。

 「俺たちはな、」
一番大柄なのが、凄んだ。

 いや、俺だって、体は大きい。元農民や行商人どもに凄まれたくらいでは、へっちゃらだ。第一、踏んできた、修羅場の数が違う。
 腰に手を当て、俺は、配下の兵士たちを睨みつけた。
 意外なことに、相手もまた、一歩も引かなかった。

「ドゼ将軍の指揮で戦場に出る時は、俺らは仲間に、『またな(オルヴォワール)(Au revoir)』って言えるんだ」
「はあ?」

 意味がわからず、思わず、間の抜けた声を漏らしてしまった。
 顔を見合わせ、兵士どもが、にまりと笑った。調子に乗って、次々と言い募る。

「他の指揮官じゃ、だめだ。俺らは、仲間に、永の別れを告げなくちゃならねえ」
さようなら(アデュー)(Adieu)、ってな」
「あんたの指揮で、戦場に行く時も、さようなら(アデュー)だ、ダヴー准将」
「アデュー、アデュー、永遠に、愛するあなた、ってな」


 げらげら笑いながら、妙な節をつけて、歌い出した。
 からかわれているに違いない、と俺は思った。上官をおちょくるとは、いい根性をしている。

「お前ら、」

 前へ踏み出した俺の腕を、アンベールが掴んだ。ぐいぐいと後ろへ押し戻しつつ、兵士どもに微笑んだ。

「向こうで、食事の配給がある。諸君は、よく戦ってくれた。少し、休んでくれ給え」

 下品に笑い崩れながら、それでも、食事と聞き、兵士どもは、立ち去っていった。


「ドゼ将軍の悪口を言ってはいけない」
兵士達の姿が見えなくなると、アンベール(上官)は言った。

「なんで?」
「なんででも、だ」
「だって、今回の俺らの作戦の失敗は、明らかに……、」

彼が陽動作戦に失敗したからだと糾弾しようとした時だ。


「俺も、アンベールの意見に賛成だ」
低くドスの効いた声がした。

「げっ! ピシュグリュ総司令官!」

 アンベールが飛び上がった。
 そこには、ライン・モーゼル軍の総司令官、ピシュグリュ将軍が立っていた。




「ライン軍兵士の前で、ドゼの悪口は、言ってはいけない」

「なぜですか」
むっとして、問い返す。それが誰であれ、たとえ総司令官であっても、理由もなく禁止されることを、俺は好まない。

「人気があるからに決まってる」
「人気?」

呆れて問い返すと、悪びれもせず、ピシュグリュは頷いた。

「ああ。しかも、配下の兵士どもだけじゃない。占領地の住民からも、ドゼは、好かれている」
「あり得ない」

 敵国の民だろう、そいつらは。

「本当だ。たとえば、この冬、君らはどこにいた?」

「ルクセンブルクで、包囲戦に参加していました」
俺の脇から、上官(アンベール)が答えた。


 自慢じゃないが、俺は、ルクセンブルクの、敵軍だけじゃなく、住民にも憎まれていた自信がある。
 町の水車小屋を焼いたからだ。
 敵を、食糧不足に陥らせる目的だった。


「寒い冬だったな」
ピシュグリュが回想した。
「北海が凍り、フランス軍は、馬に乗ったまま、オランダの戦艦を占領した」

 そのオランダからの凱旋将軍が、ピシュグリュ将軍だ。
 アンベールが頷いた。

「ルクセンブルクも、大変な寒さでした。補給は滞り、武器も食料も不足し、水さえ氷る始末。兵士たちは、木の根を掘って、口にしていました」

 ライン河中流域に残された、最後の敵の要塞を奪取すべく、俺達アンベール師団は、ルクセンブルクを包囲していた。

 一方、下流域では、その年の6月、ジュールダン将軍のサンブル=エ=ムーズ軍がフルリュスで勝利、ベルギーを掌中に収めた。冬になると、ピシュグリュ将軍の軍が、北海を制圧した。今、ピシュグリュ本人が言った、フランス騎兵が、オランダ艦隊を拿捕した戦いだ。
 つまり、今回のライン河を渡河しての右岸進出は、ベルギーとオランダの勝者を起用した、満を持しての作戦だったのだ。ただし、昨年ピシュグリュが率いていたのは、ライン・モーゼル軍ではない。ライン・モーゼル軍は当時、マインツを包囲していた(今も)。


「略奪したろう?」
「は?」
「君らは、配下の兵士の略奪を、許したはずだ」







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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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