第40話 ドゼとボナパルト

文字数 3,015文字

 「ドゼは、でかけたか?」
 指令本部に帰り、俺がしょげていると、サン=シル将軍が、声を掛けてきた。

「はい」
「なんだ、ダヴー。元気がないな」

 サン=シル将軍は、俺に優しい。つまり、他の人よりは。黙って話を聞いてくれるし。まあ、この人は、誰に対してもそうだけど。そういうわけで俺は、胸の中にため込んでいた鬱積をぶちまけた。

「モロー司令官は、ひどいと思います。ドゼ将軍はまだ、脚が完全に治ったわけじゃない。出がけに馬から落ちそうになったくらいですよ? それなのに、スイスの山越えなんて。モロー司令官は、人使いが荒すぎます!」

「えらい剣幕だな。さては、ダヴー、お前、こっそりついていこうとしたな。それで、おいてけぼりを喰らったんだ」
その上、サン=シル将軍は、俺のことをよくわかってくれている。

「自腹は無理です」
「ドゼの気持ちは、よくわかる」

 俺の怒りは、一直線にモロー司令官に向いていた。あの金髪の優男に。
「大怪我をしたばかりなのに、指令を出すなんて! イタリアへ行け、なんて無茶を!」

「モローの指令? 何言ってんだ。ドゼがモローに頼んだのに決まってるだろ。イタリアへ行きたいって」
「えっ! そうなんですか!?」

 初耳だった。
 サン=シルは苦い顔をしている。

「ドゼのやつ、ボナパルト将軍に会いたがっていたから。彼の軍や、イタリアの戦場跡も見たいっていってた」

「へえ」
俺は、面白くなかった。
「向こうの方が、格下なのに?」


 そりゃ、去年(1796)の挟み撃ち作戦で、唯一、ウィーンに迫ることができたのは、イタリア軍だけだけど!
 でもそれは、南ドイツで、サンブル=エ=ムーズ軍や、ライン・モーゼル軍が、強敵を相手にしていたからこそ、できたことだ。
 ライン方面軍がいなければ、イタリアのやつらなんざ、アルプスを越えた所で、敵に殲滅されたに違いない。

 戦歴からいっても、相手にしてきた敵の数からみても、イタリア軍など、赤子同然、ライン河方面軍の足元にも及ぶものではない。
 本来なら、イタリアから、こちら(ライン軍)へ、会いに来るのが、筋ってもんだ。


 「ダヴー、君の気持はよくわかる。だが、ボナパルトは、対オーストリア戦を勝利に導いたんだぜ? 俺らが、ライン河の泥の中を這いずり回っている間に」
「でも!」

 俺は全く納得がいかなかった。だって、ディアースハイムの戦いは、あと少しで勝てた。停戦にさえならなければ!

 サン=シルにも、不満はあったようだ。俺につられて、ぶつぶつとこぼしている。
「自国にとって不利な条約をオーストリアが呑んだのは、ボナパルトだけの手柄じゃない。長年に亙るライン河流域での、我々(ライン軍)の戦闘があったればこそなんだが……」

 ライン河上中流域において、決定的な勝利を収めることができなかったのは、オーストリアも同じだ。


 俺は、まだまだ、言い足りなかった。
「ボナパルト将軍個人もまた然りです。彼は、ドゼ将軍より、はっきりと、格下です」


 年齢は、ドゼ将軍の方が、1つ上。士官学校を出て軍に入り、と、軍務に就くまでの2人の経歴は、似たようなものだ。
 因みに一言言っておくが、2人とも、学校での成績はふるわなかった。学業成績が良かったのは、このダヴー様だけだ。語学以外は。

 早くに父親を亡くし(俺もそうだ)、と、よく似た経歴の2人だが、軍での昇進は、ドゼ将軍の方が、格段に速かった。
 准将brigadier generalは4ヶ月と2日、将軍major generalに至っては2年も、ドゼの方が早い。

 ドゼ将軍が、ライン軍の将校として、最高ランクに着いた年齢(25歳)では、ボナパルトは、しがない大尉capitaineにすぎなかった。ヴァンデ鎮圧を拒否し、パリに出てきたはいいが、金も仕事もなく、食事は一日一食、という時代である。その3年前には、故郷コルシカに肩入れしすぎて不自然な休暇が多く、軍をクビになった記録さえある(彼の後任が指名されていた)。


「ねねね! 軍歴では、ドゼ将軍の方がはるかに格上です。その上、品格においても……、」


 2人とも、(一応)貴族出身で、逮捕収監されたことがある。
 だが、2人の逮捕理由には、大きな違いがあった。

 ドゼは、貴族の上官についていこうとして、逮捕された。しかし、共和国への忠誠を訴え、6週間ほどで釈放された。また、外国との密通を(貧乏ゆえに)疑われたこともある。もちろん、濡れ衣だ。この時は、兵士たちが楯となり、派遣議員たちを、彼に近づけなかった。

 一方、ボナパルトの方は、ロベスピエールの弟の取り立てで、トゥーロン包囲戦の砲兵部隊の司令官に任命された。ジャコバン派の領袖(ロベスピエール)の弟とは、その後も懇意にしていたらしい。それゆえ、テルミドールのクーデター(ロベスピエールの失脚)が起きると、ボナパルトもまた、逮捕されたのだ。


「ドゼ将軍の方は、完全に、無実です。でも、ボナパルトは違う。彼は実際に、恐怖政治の政府(ジャコバン)から、便宜を与えられていたんだ」
滔々と、俺は述べ立てた。

「……」
 サン=シル将軍は無言だった。

「ダヴー。お前、良く調べたな……」
しばらくして、なぜか引き気味に、彼はつぶやいた。

「そりゃそうですよ」
 俺達の大事なドゼ将軍が、なぜまた、ボナパルトなんかに会いに行かねばならないのか。イタリアくんだりまで。全くもって、不愉快だった。
 その上、俺は、おいてけぼりだし。


「ドゼは、モロー(我々の司令官)の下にいることに、嫌悪感を感じると言っていた。モローには、大きなことはできない。彼の下にいても、せいぜいが、退屈な下役に甘んじることしかできないから、って」

 サン=シルの言葉に、俺は驚いた。モローは、俺も嫌いだ。だから、そこはいい。俺が驚いたのは、ドゼ将軍が、他人を酷評するような口の利き方をしたことに、だ。
 だって、彼は、そういう人じゃない……。

「モロー司令官は、ドゼ将軍のことが、大好きですよ?」

 彼は、ドゼのいいなりだ。何かにつけ、まるで、子どものように、彼の判断を仰いでくるし。

「うん。俺も、モローは、そこまで無能じゃないと思ってるけどな。一方で、ドゼは、ボナパルトを買っている。彼は、輝くようにできている。その輝きは、下で戦う者まで、栄光の光で、明るく照らし出すんだと」
「だから、

はあっちですって! ……ん?」

 俺は、意外に思った。
「ドゼ将軍は、栄光とか、そういうのに、まるで興味がないと思っていました」


 恐怖政治が終わってからも、軍の指揮官を断り続けているし。彼が栄光を求めているなんて、思ったこともなかった。
 それは、サン=シル、古くからの彼の戦友も、同じ思いだったらしい。

「ドゼが野心を見せたのは、初めてのことだ。俺も、びっくりしたよ。今回のイタリア行きは、あいつが療養中から、ずっと心に温めていたものだ。直接、ボナパルト将軍に会って、彼の人柄や勝利の秘訣を、じっくりと観察してくるのだろう」

 それで、脚の傷が癒えるが早いか、彼はモロー司令官に手紙を書かせ、イタリアのボナパルトに会いに行った……。

「ま、スイスは空気がきれいだし、イタリアは気候が穏やかだ。あいつは旅行が好きだからな。療養も兼ねて、ゆっくりしてくるんだろうよ」
 慈愛深げに、サン=シルはつぶやいた。







 そういえば。
 ドゼ将軍が出発してから、ルイーゼ・モンフォール(愛人)の姿を見ていない。
 ……どこかで合流して、一緒に連れて行ったのだろうか。


 なお、この旅の資金は、陸軍の経費である。







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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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