第56話 Vive Davout!

文字数 3,115文字

 そして、俺は呼ばれた。
 ドゼ将軍に。
 至急、パリへ来るように、と。







 「ちっ。行きやがるんだな。後悔するなよ」
見送りに来た、オージュロー司令官が舌打ちした。
「逃げ帰って来たって、もう俺の軍(ドイツ軍)には、入れてやんないからな」

「逃げたりなんか、するもんですか!」
きっぱりと俺は言った。
「俺は、ドゼ将軍と一緒に戦う、って、決めたんです!」

「一番上にいるのは、ボナパルトなんだぞ? 兵士を、交換可能な部品としか考えていない、人非人だぞ?」
 この人(オージュロー)にだけは、ボナパルトも、そう言われたくなかろう……。

「オージュロー司令官。ひとつだけ、聞きたいことがあります」
 厩には、俺とオージュローの他、誰もいなかった。
「最後の願いってやつか? なんだ? なんでもいいぞ。答えてやろう」

「サン=シル将軍のことです。彼をローマにやったのは、あなたの差し金ですね?」

オージュローの目に、面白そうな光が瞬いた。
「なぜそう思う?」

「オッシュは死んだ。マルソーはとうの昔に……」
声が詰まり、俺は咳払いをした。
「ジュールダンは辞任した。クレベールも、勝手にパリへ引き籠ってしまった。ピシュグリュとモローは、裏切り者だ。実力のある軍人は、そして、麾下の兵士達や国民から人気のある将校は、ライン方面では、ドゼ将軍と、サン=シル将軍くらいしかいなかった」

 謙虚な俺は、自分の名は出さなかった。だってライン方面軍には、途中、捕虜になったり実家に引き籠ったりしていたから、正味で2年くらいしか在籍してないし。兵士・国民に限らず、人気が皆無なのは、言うまでもないし。

 オージュローが首を傾げた。
「俺は?」
「あなたは、イタリア軍の出身だ」
「うーむ。まあいいや。ライン方面軍で、人気のある将軍は、ドゼとサン=シルだけ。だから?」

「ドゼ将軍は、ボナパルト将軍の

へ入りました。残ったのは、サン=シル将軍だけだ。だからあなたは、彼を、ライン河畔から遠ざけた。ローマへやった」

「なんでまた、そんなことを?」
 オージュローの顔に、再び、笑みを含んだ表情が浮かぶ。

「政府の陰謀に巻き込まれないようにさせる為ですよ。この先、総裁政府が陰謀を企てた時、ていのいい、『剣の力』として、利用されないように」

 そして、不要になったら、あっさり殺されてしまわないように。
 オッシュ将軍のように。

 バラス総裁だけが、全ての黒幕だとは思えない。(ルイ16世)の処刑に賛成した議員は、まだ多く残っている。彼らは、ブルボン家の王族に戻ってきてもらったら、困るのだ。

 また、総裁政府を打倒しようと目論む者は、王党派だけではない。

 フリュクティドールのクーデターの直前、早々に逃亡したマチュー・デュマ議員は、王党派ではなかった。彼は、反ロベスピエール派(クラブ・ド・クリシー)だった。
 クラブ・ド・クリシーは、ロベスピエールの死後、結成された派閥だ。恐怖政治下で投獄されていた議員が、多く含まれていた。あやうくギロチンの餌食になるところだった、議員たちだ。俺と母のように、テルミドールのクーデターのおかげで、万死に一生を得た……。

 フリュクティドール(実月)のクーデターでは、王党派が台頭し、そして、総裁政府に叩かれた。
 同時に、マチュー・デュマ初め、

ロベスピエール派もまた、身の危険を感じた。つまり、王党派の台頭とともに、ロベスピエール派の巻き返しも、起こりつつあるということだ。

 それらに対して、一々、「剣」の役割を求められたら。クーデターという名の、陰謀に巻き込まれたら!


 「だから、ドゼは逃げたんだよ。ボナパルトの陰に」

 オージュローが言った。
 「逃げた」という言葉に、俺は、むっとした。

「ドゼ将軍が、敵に後ろを見せるわけがない!」
「だが、前に、お前は言ったろ。格下のボナパルトの下に付く、意味がわからない、って」

 まあ、そんなようなことを言った気がするが……。

「つまり、そういうことだ。去り際、ドゼは、しきりとサン=シルのことを心配していた。ライン河畔に残していく親友のことをね。彼の言わんとしていることは、すぐわかった。おい、親友っていいなあ。戦友なら、なおさらだ」

 オージュローは、目を潤ませている。

「俺は、感動した。一肌脱いでやろうと思った。だが、やり方がわからない。そしたら、ドゼから手紙が来てな。なんでも、新しいプロジェクトの立ち上げで、ローマへ行くことになったんだと」

 ……「かの地では、未だに、ベルナドットの兵士達と、あなたの兵士達の争いが続いているといいます」

「それで、ぴんときたわけよ。サン=シルを送り込めばいい、って!」
 得意そうに、鼻をうごめかせた。
「な。俺はいいやつだろ? 決して、冷たくなんかないんだ」
 未だに、ドゼ将軍がイタリアで拾ってきた、「冷たい」という噂を根にもっている。

「オージュロー将軍。あなた、随分、執念深いですね……」
「よく言われるよ。だが俺は、ボナパルトと違って、善良な人間だ。どうだ。俺の下に残るか?」
「いやです」

「どうしても行くんだな」
オージュローは真面目な顔になった。
「いやなことは、いやと言え。今のようにな。たとえ相手が、ボナパルトであっても」

 強く、俺は頷いた。





 馬に乗って外に出ると、大勢のライン軍兵士が、集まっていた。
 元アンベール師団の兵士達。
 ケンカ仲間だった、若い将校達。

「なんだよ。お前ら。俺がいなくなるのが、嬉しいか」
 俺が憎まれ口をたたくと、やつらは、口々に、叫びやがった。

「若ハゲ准将、バンザイ! Vive(ヴィヴ) Davout(ダヴー)!」

「君の額の、永遠に輝かんことを!」


 俺の目から熱いものがこぼれそうになった。
 悪口を言われたからだ。


 「帰ってきたくなったら、いつでも帰ってくるべ」
 前の方で、しきりとアデューが、手を振っている。

Au revoir(オルヴォワール)Au revoir(オルヴォワール)(かぐわ)しいあなた!」
 集まった連中が、いっせいに歌い出しやがった。


 「誰が帰ってくるかよ!」
 振り返って、俺は叫んだ。







───・───・───・───・───・


なんか、オージュローをいい人に描き過ぎた気がします。
けれど、ドゼが、ドイツ軍右翼(旧ライン軍)の司令官に任命されたのは、ドイツ軍の指揮が、オージュローには荷が重すぎたからで。つまり、オージュローのお陰?




ドゼが軍へ復帰できたのも、ボナパルトの「友情」によるものだとする説もあります。しかし、新制ドイツ軍の誕生は、9月の終わり、フリュクティドールのクーデターが治まったばかりの頃です。ドゼの軍務への復帰と、右翼指揮官への指名も、この頃でしょう。

この時期、ボナパルトはまだ、イタリアにいました。遠隔地から、パリでの(しかもよその軍の)人事に口を出すのは、難しかったと思います。ボナパルトは、カンポ・フォルミオの講和条約の準備で忙しかったでしょうし。
1ヶ月後、イギリス軍暫定第二指揮官へドゼを指名することで、初めて、ボナパルトが介入してくると考えた方が、妥当です。


サン=シルのローマ派遣までのドゼとオージュローの介入は、これは、全くの想像です。ドゼなら、サン=シルに全てを押し付けるような真似はしなかったと思うのです。(オージュロー軍とベルナドット軍の兵士たちの乱闘は本当で、サン=シルが鎮圧に行ったのも本当です)


パリへ行ったドゼは、出航準備の為、ローマに赴任します。ドゼがローマに着いたのは、サン=シル着任の1週間後のことでした。実際に、二人の友人が歓談しているのを目撃した人がいます。この辺りを、短編小説に組み込みました。
「正義か死か Vaincre ou mourir」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/803492079







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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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