第34話 エミグレの妻

文字数 2,684文字

 ドゼ将軍には、新しい補佐官が2名、追加されていた。
 サヴァリとラップだ。
 ラップは俺より1つ下、サヴァリに至っては、4つも下だ。

 俺は、サヴァリに照準を絞った。
 例の、愛人の件だ。
 いつまで経っても俺を副官にしてくれない件はさておき、他人の色恋沙汰は、猛烈に気になるものだ。それが、尊敬する上官なら、なおさら。
 だって、いつなんどき、利用できるかわからないだろ?


 ストラスブールの軍司令部に戻ると、ちょうど、そのサヴァリがいた。




 「おい、サヴァリ。お前、ルイーズ・モンフォールって女性、知ってるか?」
「ああ」
前髪を下ろした童顔の補佐官は、顔を綻ばせた。
「ドゼ将軍と同じホテルに泊ってる人だね? ちっちゃなお嬢さんがいる」
「彼女、母親の方な。ドゼ将軍のコレか?」
俺は、小指を立てて見せた。

 サヴァリはきょとんとしてる。意味が分からないらしい。って、もしやこいつ、童てi、
「馬鹿な!」
次の瞬間、サヴァリの顔に、朱が走った。短く、彼は叫んだ。
「ドゼ将軍が、そんなモラルのないこと、するわけない!」
「モラルが、ない?」

俺はさっぱりわけがわからなかった。愛人を囲うことのどこが、道徳性に欠けると? 不名誉な病気になるより、ずっと健全ではないか。

「だって、ルイーゼさんには、ご主人がいる」
亡命貴族(エミグレ)だろ?」
 国を捨てた裏切り者だ。二度と再び、帰っては来れまい。
 だったら死んだも同じだ。

「ドゼ将軍はな! ドゼ将軍はな!」
真っ赤になったまま、サヴァリは喚きだした。
「気の毒な、困窮したルイーゼさん母子の援助をしてあげてるんだ。自分も貧乏なのに、せいいっぱいのお金を渡して」

 それって、やっぱり、愛人なのでは? それも、相当、入れ揚げている。

「サーヴィスの対価だろ?」
俺は尋ねた。わが意を得たりとばかり、サヴァリは頷く。
「もちろんだ。食事を運んでもらったり、寝具を整えてもらったり、たまに、一緒に遊びに出かけたり」
「それは、愛人だな」

「違う!」
サヴァリは喚いた。地団駄踏んでいる。
「モンフォール大尉は、革命前、ドゼ将軍の親族と親しかったんだ。彼女への対価は、純粋に、ドゼ将軍の好意によるものだ!」
「だから、そういうのを愛人、」
俺が言いかけた時だった。

「ダヴー。ちょっと来い」
俺の肘を掴んだやつがいた。
「あっ! 誰かと思ったら、レイ!」

 ドゼ将軍の古くからの副官だ。意識が戻らないからと言って、彼からずっと、俺を遠ざけていた、憎い嘘つき。あれから、散々探し回ったのに、どうしても見つからなかった。それが、自分から飛び込んでくるとは。

「探したぞ、レイ。ここで会ったが百年目、」
「いいから、来い!」
 強引に俺の肘を掴んだまま、司令部の外へ連れ出した。





 「おいっ、どこまで行くんだよ!」
俺は、レイの手を引きはがした。

 川沿いの並木道まで来ていた。季節はうつろい、いつの間にか、初夏になっていた。
 宣戦布告以来、初めての、戦争のない夏。水の匂いが、さわやかな開放感を運んでくる。

「少し歩こう、ダヴー」
 川沿いの道を、すたすたとレイは歩き出した。仕方がないので、俺も後を追う。

 夕暮れが近づいていた。大勢の市民が、2人、3人と連れだって、散策を楽しんでいる。彼らのこの幸せは、俺たちの働きがあってこそだ。
 俺は、戦場での自分の殺戮を、誇りに思った。
 それなのに、男二人で歩いているなんて、不条理だ。なぜここに、女性がいないのか。

「あのな、ダヴー。ルイーゼ・モンフォールはな、」
言いにくそうにしている。俺が続けてやった。
「ドゼ将軍の愛人だろ?」
レイはため息を吐いた。
「そうだ」

「なぜ、隠そうとする?」
「隠してなんかいない」
「だって、サヴァリは知らない」
「知らないやつに知らせる必要はない。ダヴー、お前、誰から聞いた?」
「ノイヴィラー・ホテルのメイドから」

再び、レイはため息を吐いた。
「あの時、お前をホテルに入れるんじゃなかった。ルクレール将軍が一緒だったので、仕方がなかったんだ。お客が帰ったら、彼女が、食事を運んでくると知らされていたのに」

 俺が、ストラスブールへ戻って、最初に、ドゼ将軍に会いに行った日のことだ。あの時、レイは、ルクレール将軍と一緒だった。ルクレールは、イタリアのボナパルト将軍からの使者だ。

「ストラスブールへ移送されて、ドゼ将軍は、療養に入った。さすがの彼も、痛みに耐えかねるようだった。もちろん、俺達の前では、そんなそぶりは見せなかったが。医者は、いずれよくなると言うばかりだ。痛みを止めることができない。見かねて俺は、プッセから、モンフォール夫人を呼んだ」
「プッセ? なぜそんなところに?」

 たいへんなド田舎だ。(*1)

「知らないよ。連絡先は、同じホテルに逗留している母親から聞いた。疎開してたんじゃないか?」
「対岸で、愛人が戦っている時に?」

 あまりに冷たいんじゃないかと、俺は思った。ケール撤退の時、あの辺の住民は、武器食糧から、礎石、柱に至るまで、運び出すのを手伝ってくれたというのに。

「とにかく、ドゼ将軍には、彼女が必要だった」
 レイの言葉に、俺は頷いた。傷ついた戦士には、癒しが必要だ。

「モンフォール大尉は、エミグレだと聞いたが」
俺が問うと、レイは頷いた。
「革命で、モンフォール大尉は、国外へ亡命した。一方、国に残された夫人は、財産の殆どを革命政府に没収され、困窮した。彼女は、母親を頼って、ここ、ストラスブールへやってきた。大尉との間にできた女の子を連れて」
「うん、それもメイドに聞いた」

「だったらなぜ、根掘り葉掘り聞こうとする!」
耐えきれぬという風に、レイは怒鳴った。

「知りたいから」
「は?」
「ドゼ将軍の愛人に、興味がある」

 深いため息を、レイは吐いた。
「お前が普通と違うのを、忘れていたよ。ダヴー、君は、2年前(1795年)のマンハイム包囲を覚えているか?」

 覚えているも何も、俺はそこで、ドゼ将軍と初めて会ったのだ。俺にとって、記念すべき戦いだ。

「マンハイムへ移る前、ドゼ師団は、ライン川上流の山岳地帯で、ヴルムザー部隊を引き付けていた」(*2)

 そうだ。
 ドゼ師団が陽動作戦に失敗したおかげで、俺らアンベール師団は、ハイデルベルクで、さんざんに叩かれ……。

「ヴルムザーは、フランスの、王の部隊の出身だ。彼の元には、エミグレが、たくさん、集まっていた」

 憂愁の色をにじませ、レイは当時を語った。







───・───・───・───・───・

*1 ブッセ
ストラスブールの西



*2 時期的には、1795年春。この小説の「マンハイム包囲戦」の直前













ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み