第12話 マンハイム陥落とドゼ師団の抵抗

文字数 2,671文字



 しかし、それからすぐ、ピシュグリュ軍の、完全撤退が伝えられてきた。
 最後の要衝、フランケンタールを捨て、クエシュ川まで退却したという。緯度では、ここマンハイムよりさらに南、もうすぐ、フランスとの国境の辺りだ。




 一方で、散開している各師団は、未だに、抵抗を続けていた。
 さらに、サンブル=エ=ムーズ軍のベルナドット師団が、マインツを包囲中のマルソー師団に接触しようと西へ向かったという。総司令官のジュールダン自らの前進も伝えられた。


 「撤退してるのは、ピシュグリュ軍だけだな」
 力の抜けた声を、アンベールが出した。
「ライン=モーゼル軍の、総司令官の部隊だけだ」

「ドゼ師団はじめ、麾下の諸師団は、頑張っているのに」
「サンブル=エ=ムーズの総司令官と、師団もだ」
「それに引き換え……。わが軍総司令官殿のあだ名は、今日から、『撤退』だ」
「よかろう。『撤退』君だ」

 ぼそぼそと、将軍たちが憂さを晴らしている。軍の司令官がこのざまでは、ぼやきたくなるのも、無理はない。


 ……「ピシュグリュ将軍には近づくな」
 やっぱり、ドゼ将軍の言ったとおりだった。
 改めて俺は、感動した。

 しかし、彼がそこまで言うのだ。ただの「撤退」君ではなさそうだ。ピシュグリュには、まだ、何かありそうな気がする。


 無気力な雰囲気を粉砕するように、バセット将軍が立ち上がった。他に適任者がおらず、彼は、みんなのまとめ役を務めている。その反面、自分は決して……暫定的であろうがなかろうが……指揮官ではないと、主張していた。

「各自、武器の手入れをしておくように」
 諸将の目を、バセット将軍は、一人一人見つめた。
「その時が、近づいている」

 彼の言いたいことは、よくわかった。
 武器弾薬どころか、ここにはもう、食べる物さえない。医薬品も底を突き、清潔なリネンもないから、怪我をしたら、それでもう、おしまいだ。

「ライン・モーゼル軍、及び、サンブル=エ=ムーズの諸兄らの死闘に、我々も、報いなければならない」

 バセットは、指令を出すことを恐れていた。よほどの幸運がない限り、我々の敗戦は、確定だ。下手に指揮官を名乗り、後から責任を取らされるのがいやなのだ。恐怖政治は終わったという。しかし、油断はならない。敗戦は、彼の処刑を意味するかもしれない。(*1)
 現に、ドゼ将軍は、マンハイムの指揮官を断り、野戦に身を投じた。もっとも、彼には、それが、ふさわしい。

「もし万が一、力及ばぬ場合は……」
 俯き、バセットは、言葉を途切らせた。





 この頃には、マンハイムの城壁前の、ヴルムザーの塹壕が完成していた。
 オーストリア軍の爆撃が始まった。
 毎日のように、オーストリアの、激しい砲撃音が鳴り響くようになった。硝煙が広がり、太陽の顔さえ拝めない日々が続いていた。

 一際大きな爆撃音がした。
 司令部にしている建物が、グラグラ揺れた。天上から、細かな埃が落ちてくる。
 お返しをしようにも、砲弾も火薬も、すぐに尽きてしまった。
 息をひそめ、俺達は、街の頑丈な建物に立てこもるしかない。





 臨時の司令部の入り口付近で、叫び声が上がった。
 どたどたと複数の足音が、近づいてくる。

「こいつ、刃物を持って、うろついていました!」
縛り上げたひょろ長い男を、下士官が突き出した。

 まだ若い、少年だった。
 きつく縛り上げられた彼は、前髪の下から、射抜くような目を上げた。

「歩哨の隙を突き、城壁外へ出ようとしてたところを捕まえました」


 立ち上がり、バセットは、少年に近づいた。
「君は、どこへ行くつもりだったのかね?」

「父さんの所だ!」
声変わり途中の声で、少年は叫んだ。
「今日、隣のオヤジが死んだ。昨日は、子どもが3人、餓死した。もう、食べられる物は、何ひとつない。こんなところになんかいられるか!」

 俺達は顔を見合わせた。

「君のお父さんは、マンハイムの外にいるのか?」
重ねて、バセットが尋ねる。
「父さんは、オーストリアの兵隊だ! お前らなんか、やっつけてやる!」

「監獄にぶち込んどけ」
 バセットは命じた。


 住民どもの不満が、最高潮に達しているのを、その場の誰もが感じた。
 伝手さえあれば、彼らは、オーストリアと内通し、敵を城内へ導くだろう。
 その日は、そう、遠くない。





 オーストリア軍からの、激しい砲撃の中、ついに、マンハイムは力尽きた。
 1795年11月22日。
 約1ヶ月に及ぶ籠城の末、マンハイムのフランス守備隊は、降伏した。





 マンハイムの投降を知り、サンブル=エ=ムーズ軍のジュールダン司令官は、前進を諦めた。


 マンハイム陥落の5日後。
 激しい抵抗を続けていた各師団も、ライン河沿いを離れ、西側へ撤退した。


 その中で、しつこく攻撃を続けている師団があった。
 ドゼ師団だ。
 彼は、最後まで、投降しなかった。それどころか、援軍をかき集め、山岳砲兵隊を率いて、再び、フランケンタールを奪取した。完全撤退に臨んで、ピシュグリュ司令官が手放した要衝地だ。
 そのまま、彼は、占拠を続けた。オーストリアのクレルファイ元帥から、冬季休戦協定が提案されるまで。





 ドゼ将軍の快挙を、俺は、オーストリア軍の捕虜収容所で聞かされた。
 マンハイムの暫定指揮官(とみなされた)バセット将軍と共に捕らえられ、オーストリア軍の捕虜になっていたのだ。

 生涯で初めて、敵軍の捕虜になった。
 心の師と仰ぐドゼ将軍とは真逆の、なんたる屈辱。これでは、彼の副官への道は遠い。
 この先、二度と、敵の捕虜にはなるまいと、俺は固く心に誓った。(*2)


 ちなみに、総司令官ピシュグリュ将軍の名で、休戦協定に署名したのは、ドゼ将軍だという。その際、彼が話したのは、流暢なドイツ語であったそうだ。

 ううう。
 文武両道じゃねえか。

 もちろん俺も、文武両道だが、語学だけは、からきしだめだった。未だにドイツ語は(英語もそうだけど)、こんにちはもいえない。もっとも、敵に挨拶なんてする気は、毛頭ないから、これは一向、構わない。

 ドゼ将軍は、オーストリアの将校どもとドイツ語で会話し、休戦協定に署名した……素晴らしい!
 どうしてこれが、惚れずにいられよう。







───・───・───・───・───・

*1
ロベスピエールの処刑は、前年(1794年)7月28日(テルミドールのクーデターは27日)。
今、マンハイムが包囲されている最中の、10月27日、総裁政府が成立する(マンハイム包囲は、95年10月19日~11月22日)。


*2
これが、未来の「鉄の元帥」ダグーの、生涯唯一の捕虜体験







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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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