第25話 冬季休戦

文字数 1,698文字



 長引く戦闘に、作戦会議が開かれた。

「中央から通知が来た。勇敢な諸君が望んでいた冬の宿舎を与えることができない、だとよ」
 サン=シル将軍が吐き捨てた。

 ここ2年ほど、ライン軍兵士は、野営での越冬が続いていた。今年こそ、雨露を凌げる宿舎を、と、総裁政府に、要望を出していたのだ。
「またこの冬も、川べりで野宿だぜ」

「兵士たちの給料も、滞っている」
アンベールが愚痴をこぼした。
「中央政府はそこまで金欠なのか? 俺達に、いったいどうしろと!」

 滞っているのは、兵士たちの給料だけではなかった。
 我々将校の給料も、もう何ヶ月も支払われていない。当然、軍への補給もない。

「そんな政府の為に、これ以上、戦う義理はありませんね」
 俺が言うと、みんな、ぎょっとしたような顔をして、こちらを向いた。
「あ。俺、なんか、まずいこと言っちゃいました?」

「いや、ダヴーは正しい」
上官だけあってアンベールが庇ってくれた。

 ドゼ将軍がぼやく。
「オーストリアの爆撃は、引きも切らない。やつら、よく金があるな。あれだけの爆撃は、わがライン軍には不可能だ。火薬も砲弾も、全く足りていない」
ため息を吐く。
「壊された砦や遮蔽物を造り直そうとしても、材料が尽きた。地元から買おうにも、金がない」

 どんよりとした雰囲気が垂れこめる。思いついたように、サン=シルが、戦友(ドゼ)に向き直った。

「あ、そうだ。中央政府が、ドゼ、お前を、ケール(ここ)の指揮官に任命するってよ」

「断る!」
即座にドゼ将軍が切って捨てた。
「サン=シル。君の方が年上だ。君がやれ」
「やだよ」
じゃ、共同でやろう。この負け戦の責任は、2人で取るんだ」
「やだ」

 深いため息を、ドゼ将軍が吐いた。
 訳知り顔で、サン=シルが頷く。
「俺は、お前ほど、ドイツ語が流暢に話せない。またお前が行くしかないな、ドゼ」





 1797年1月9日。冬季休戦の時期を控え、一艘の船が、ラインの川面に滑り出た。
 船の上には、フランス・ライン軍のドゼ師団長と、オーストリアのラトゥール元帥が乗っていた。


 川の真ん中で、ケール砦をオーストリアに渡す書類に、ドゼはサインした。
 書類には、この夜一晩で持ち出せるものに限り、取得できるという権利が、フランス軍に認められていた。
 もちろん、ドゼの申し入れだった。勝者ラトゥールは、寛大にこれを赦した。



 その晩、俺達は、徹夜で作業した。皆、無口で、黙々と働いた。地獄の囚人もかくやという作業量だったが、文句を言うやつなんか、一人もいなかった。
 死に物狂いで、働いた。
 師団長の為に。ただ、ドゼ将軍の為に。

 俺は、しゃがんで礎石を掘り起こしていた。その脇から、小さな手が差し出された。
 薄汚れた子どもだった。泥まみれの手に握った木切れで、懸命に土を掻き分けている。
 気がつくと、俺は、小さなガキどもに囲まれていた。

「うおっ!」
 思わず声を上げてしまった。隣のガキが、きつい目で睨みつける。
 そうだった。
 騒いではダメだ。
 黙々と、俺達は、土を掘り続けた。

 すぐ脇を、ガキどもの母親達と思しき女性の一群が、通り過ぎていく。大きな釜や鍋いっぱいに詰め込んだ、食糧を抱えている。
 向こうでは、腰の曲がった老人が、慎重に、砲身を運んでいた。

 ケール周辺の住民たちだった。「良い将軍(ボン・ジェネラル)」、そして、自分たちを略奪から守ってくれる軍の為に、深夜も厭わず、集まってきたのだ。

 口も利かずに、人々は、働いた。
 軍と住民が、同じ目的の為に、力を合わせる。
 それは、その場の誰にとっても、稀有な体験だった。
 徹夜で、俺達は、作業を続けた。



 翌10日。
 ケールに乗り込んできたオーストリア軍は、さぞや驚いたことだろう。
 ケール要塞は空っぽだった。
 武器食糧はおろか、木っ端一つ、石ころひとつ、残ってはいなかったのだから。





 2月5日。
 ユナングの橋頭保を守っていたフランス軍が、降伏した。
 これを機に、オーストリアのカール大公が、配下の軍を連れ、イタリアへ転出した。
 イタリア戦線では、フランスのボナパルト将軍が、戦いを有利に進めているという。
 カール大公を見送り、ライン沿岸には、ラトゥール軍が、残留した。




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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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