第48話 歯ぎしり

文字数 2,082文字

 サン=シル将軍の姿が見えなくなり、それまで息を顰めていたラップが、ほっと、息を吐き出した。

「ピシュグリュの裏切りを、みんなが知っていたのなら、なぜ、ドゼ将軍とレイニエ将軍だけが、免職になったんだろう」

「総裁政府に、モローが手紙を書いたからだよ。自分の他に、ドゼ将軍とレイニエ将軍も、ピシュグリュの裏切りを知っていた、って。さっき、サン=シル将軍が言ってたろ」
毒気の抜けた顔で、サヴァリが教えてやっている。
「ピシュグリュの退任後も、オーストリアからは、文書が届けられていた。その文書を、新しく司令官になったモローは、ドゼ将軍と、レイニエ将軍にも、見せたんだ」

 ぎりぎりぎり。
 俺の歯ぎしりが、部屋中に響き渡った。
 なぜここに、モローがいないんだ?
 今すぐ、あの金髪の優男の、顔のど真ん中をぶん殴りたい。床に殴り倒してから、整った顔を、ブーツの踵で、めちゃくちゃに踏みつけてやりたい。



「そういえば、ドゼ将軍の療養中、レイニエ将軍が見舞いに来ると、彼は決まって、俺らを部屋の外へ出したよな」
 頭の悪いラップにも、ようやく、全てが繋がったようだ。
「あの時、ドゼ将軍とレイニエ将軍は、オーストリアから来た、手紙の話をしてたんだ。モローが手に入れた、ピシュグリュ将軍宛ての。間違いない。だからドゼ将軍は、俺らを、部屋の外へ追い出したんだ。巻き込むまいとして!」

「モローとは、大違いだ!」
 言いながら、声を放って、サヴァリが泣き出した。ラップが続ける。

「ドゼ将軍は、モロー司令官を嫌っていたっけな。彼に対して、すごく愛想が良かったんだけど、あれは、嫌っていた証拠だ」

 ……モローの下にいることに、嫌悪感を感じる。
 ドゼ将軍は、サン=シル将軍に語った。モローへの、強い批判には、理由があったのだ。

 九七年の戦闘でライン右岸(東側)に渡河したモローは、エミグレのクリンゴン将軍の馬車を捕まえた。ディアースハイムでドゼ将軍が怪我をし、俺が、オーストリア軍の左側面を叩くのに躍起になっていた時だ。
 クリンゴンの馬車には、ピシュグリュの裏切りを証明する書類が積まれていた。
 イタリアでスパイを捕まえたボナパルトと違い、モローは、この件を、政府に報告することをためらった。五百人会議長(ピシュグリュ)につくか、総裁政府につくか、決めかねていたからだ。

 保身の為に、中央への報告を遅らせた……その時点で、モローは、犯罪を犯したといっていい。母国(フランス)への、明確な裏切りだ。
 あまつさえ彼は、ドゼとレイニエに、その書類を、閲覧させた。
 モローの意図は明らかだ。彼は、来るべき将来の危険に、2人の部下を、巻き込もうとしたのだ。あるいは、将来の危険に対する楯として、使おうとしていた。
 自分の部下を。

 そうだ。理由もなくドゼ将軍が、他人を酷評するわけがないんだ。


 「ついていく」
きっぱりとラップが言い放った。
「ドゼ将軍がどこへ行こうと……たとえトルコ大帝の軍へ入るのだとしても、俺は、彼についていくぞ」
「僕も! ロシア軍だって構わない!」
「俺らは、どこへだって、ついていく。ダヴー、お前は?」

「俺は、行かない」
そっぽを向いて、俺は答えた。

「なんだって!?」
「この、裏切り者が!」
ラップとサヴァリが、悲鳴のような声を上げた。
「あんなに、ドゼ将軍の後を追っかけまわしていたくせに!」
「そうだよ! あれは、迷惑だった!」

「裏切りなんて、言うな!」
 俺は一喝した。
 裏切り者は、モローだ。いや、そもそもは、ピシュグリュだ。まったく、ライン軍総司令官というやつは……。

「ドゼ将軍は、国を裏切ってなんかいない。ちょっとばかり女にだらしがないが、いや、それは勲章だ。ともかく、彼は、英雄だ。それなのに、なぜ、軍を追われなくちゃならない?」

「総裁政府が免職にしやがったんだ。どうしようもないじゃないか」
「ドゼ将軍を擁護してくれそうな人は、政府に、いなくなっちゃったし。カルノー総裁も、マチュー・デュマ議員も」
 クーデターの気配を察し、ふたりとも、いち早く、国外へ亡命していた。(*1)

「そんなの、どうだっていい」
阿呆の二人に、俺は、ぴしりと言い渡した。
「彼を渡さなければいいんだ。ライン・モーゼル軍は、彼を手放さない。決して」

 頭の中が、かっと熱くなった。怒りの発作に、俺は身を任せた。

「総裁政府がクーデターを起こすなら、ライン軍も、クーデターを起こせばいい。パリへ向かって、行軍だ! 首都を包囲するんだ。武器弾薬、食糧は、現地調達だ。ドゼ将軍の為なら、住民は、喜んで、物資を差し出すだろうよ。あの人を追い出すなんて、この国は間違っている。釘を仕込んだ砲弾をぶっ放す! テュイルリー(国会)に向けて。国会を、廃墟にしてやる!」

 ラップとサヴァリは顔を見合わせた。
「今回ばかりは、お前に賛成だ、ダヴー」
「僕も。さっそく他のみんなに知らせて、」


 「ほほう。楽しい計画を立てているな」
 ひどいダミ声が降ってきた。
 がっしりとした体格の、背の高い、40歳くらいの男が立っていた。






───・───・───・───・───・
*1
第46話の後書き、参照下さい
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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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