第35話 レイの回想

文字数 2,872文字

 ドゼ将軍の愛人に興味があると言った俺に、彼の副官レイは、なぜか、2年前の黒い森(シュヴァルツヴァルド)での、ドゼ師団の戦闘の話を始めた。





 久しぶりで、ドゼ師団とフェリノ師団が合流した時のことだ。飯盒で僅かばかりのスープが煮られ、供されていた。

 「僕はもう、いやだ」

 焚火の前で、サヴァリが泣いていた。サヴァリは、以前、ドゼ師団にいたが、その時は、フェリノ師団に移っていた。



「もう、たくさんだ。軍人なんて、辞めてしまいたい。今すぐに!」
「また、フェリノ将軍に、何か言われたのか?」
 レイは尋ねた。

 イタリア出身のフェリノ将軍は、かつてハプスブルク家に仕えていた。フランス革命後、その思想に魅せられ、フランス軍へ移籍している。ドイツ仕込みの厳しい規律と、口うるささで有名で、軍を辞めていく部下は多い。去年、サヴァリも辞めたがっていたのを、ドゼが慰撫し、冬の間、自分の師団に置いていた。(*1)

 ぶんぶんと、サヴァリは首を横に振った。
「今ではあの人(フェリノ将軍)は、僕を大事にしているよ。なにせ僕は、記憶力が抜群だからね。重宝してくれている」
「ふうん。それはなにより」
だから、ドゼ(自分の師団長)も、このサヴァリを欲しがっているのだなと、レイは思った。

 レイの任期は、もうあと2年ほどで切れる。
 自分の抜けた後の補充として、ドゼ将軍は、2人の将校に目をつけていた。サヴァリと、ラップだ。自分一人の後を、2人の若者が補充するというのは、レイにはいい気分だった。ドゼ将軍に信頼されている証だ。

 だが、ラップは、今回の戦闘で、手に重傷を負った。かなりの傷で、復帰が危ぶまれている。戦場を離脱し、対岸のブロツハイムの司令部で療養中だ。しかし、本人は、至って気楽で、すぐに治して、参戦すると言っている。(*2)



 「なら、何を泣いてるんだ。珍しいじゃないか。君が泣くなんて」

 まだ若いが、サヴァリは、肝の据わった将校だ。そのサヴァリが、真っ赤な目で、レイを睨んだ。

「僕は殺した。一人じゃない。3人だ」
「珍しくもないだろ? ここは戦場だ」
「今日、僕が殺したのは、フランス人だ! 同じ国の同胞を、僕は殺した。この手で!」

 賑やかだった焚火の周りが、しんと静まり返った。


「どうしたんだ?」
 向こうで打ち合わせをしていたドゼが戻ってきた。
「久しぶりじゃないか、サヴァリ。元気でいたか?」

「ドゼ将軍。僕をあなたの師団に引き取って下さい」

「おいおい、お前、今、軍を辞めたいって……」
 誰かが揶揄するように口を挟むと、サヴァリはむくれた。
「ドゼ将軍の下なら、話は別だ。将軍の為なら、僕は、なんだってする!」
「君の引き抜きは、まず、フェリノ将軍の意向を聞いて、だな」
ドゼが話している。

 彼が、搦め手からサヴァリ獲得に動いていることを、レイは知っている。年長のフェリノの恨みを買わないよう、人脈を駆使して、画策しているのだ。


 その時、大きな叫び声が聞こえた。
 どやどやと、男たちの一群が、ドゼの元へやってきた。

「エミグレを捕えました」

 男たちの中央に、縄で縛られた男がいた。巻き上げた縄を背後で掴まれ、腰から吊るされるような状態で、ひきずられてきた。
 体つきから、ドイツ人ではない。明らかに、フランス人だ。何より彼は、腹に白い布を巻いていた。白は、ブルボン家の色だ。

 ドゼ将軍が、右手を上げた。人払いの合図だ。サヴァリはじめ、周囲の兵士たちは、さっと、その場を立ち去った。エミグレの男と、彼を拘束している兵士、そして、副官のレイだけが残った。

「捕虜にしますか?」
 連れてきた兵士が尋ねる。

「殺せ! さっさと殺せ!」
王党派の亡命貴族(エミグレ)が顔を上げた。やつれ果て、泥と垢にまみれ、定かではない。だが、ここにいる誰よりも、年配だと思われた。
「ルイ16世、万歳! ブルボン王家、万歳!」
濁っただみ声で喚き続ける。

「お前っ!」

 兵士は縄をきつく吊り上げた。胸と腹を締め付けられ、男はえずいた。それでもなお、掠れた声で叫び続ける。

「国王陛下、万歳! ルイ17世の御代の来たらんことを!」


「……言いたいことは、それだけか?」
 男が息を切らせると、ドゼが尋ねた。

「なんだと?」
「だから、言いたいことはそれだけかと、尋ねたんだ」
「お前にくれてやる言葉なぞない! 革命政府の犬め!」

「このっ!」
 縄を握った兵士が、足で、背中をどやしつけようとする。

「止めろ」
短く、ドゼが諫めた。静かに彼は、男に話しかけた。
「知っているか。去年の夏、ロベスピエールが処刑された。フランスの、恐怖政治は終わったんだ」

「将軍!」
思わずレイは叫んだ。エミグレは、敵だ。オーストリア軍に通じている。敵に、国内の情報を流すような真似をしていいのか。

「許してくれ、レイ」
つぶやくように言い、ドゼはレイから目をそむけた。

 身を屈め、目の前の男にだけ聞こえるほどの小声で、囁き掛ける。
「もうすぐ国民公会は解散し、新しい政府ができる。新しい議会は、毎年、その1/3が改選される。公正な選挙で、だ。俺の言っている意味、わかるか?」

「選挙……。改選……」
薄汚れた元貴族はつぶやいた。

「そうだ。1回では無理だろう。だが、チャンスは毎年ある」
「少しずつ、少しずつ、増やしていけば……」

「そこまでだ!」
 大きな声で、レイは遮った。

 ドゼは、毎年の選挙で、少しずつ、王党派を増やしていけると、示唆しているのだ。共和派の議会に、王党派の議員を。革命がかつて追い出した王を、信奉する議員たちを!
 ドゼの声は、ごく小さかった。今のやり取りが、背後で縄を握っている兵士に聞こえたとは思えない。だがレイは、上官に、危険な橋を渡らせたくなかった。

「捕虜にしますか?」
背後に立った兵士が問いかける。

「いいや。逃がそう」

「将軍!」
兵士が抗議した。

「大丈夫だ。この男には、もはや、革命政府に立ち向かう気はない。少なくとも武器では」
 傷のある頬で、にっこり微笑んだ。
「武器を携帯していないと証明する証書を発行しよう。もう、我々の軍を襲ったりしないな?」

 目に反抗の焔を宿したまま、不承不承、男は頷いた。
 素早く、ドゼは書類にサインした。
 書類を受け取り、男は目を走らせた。

「ドゼ……。聞いたことのない名だ。お前、地方の貴族か?」
市民(シトワイヤン)ドゼだ。覚えておけ」







───・───・───・───・───・

*1 フェリノ将軍
11話「籠城」に名前だけ



*2
ラップの怪我に対してのドゼの対応は、後にラップ自身が、手記の冒頭で述べています。彼は、敬愛するドゼについて、それ以上、書けなかったようです。

掌握小説にしました。
「勝利か死か Vaincre ou mourir」
https://novel.daysneo.com/works/ce849fe5a968ea364fb1485a2fc68ba8.html

1万字強の短編小説に書き改めました。
「勝利か死か Vaincre ou mourir」(連載中 2021.6.20 完結予定)
https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/803492079






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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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