第27話 ルイという名

文字数 3,380文字


 サン=シル将軍は、厩舎を出た所だった。任地へ戻ろうと、馬に跨ろうとしていた。

 「サン=シル将軍!」
俺が呼び掛けると、手綱を手にしたまま、サン=シルは振り返った。
「なんだ、ダヴー。アンベールについて、左翼(俺の軍)に来る気になったか?」
「まさか! 俺は、ドゼ将軍と一緒にいたいです。できることなら、彼の副官になりたいくらいだ」
「ドゼの副官なんかになっても、何の得もないぞ。怪我が増えるだけだ。ラップを見てみろ。傷だらけじゃないか」

 ラップは、ドゼ将軍がスカウトしてきた副官だ。俺より1つ、年下だ。まだ本決まりではないらしいが、まるで仔犬のようにドゼ将軍の後について回っている。
 俺を差し置き、憎たらしい男である。

「それでも、副官になりたいんです。この戦闘が終わった後も、ドゼ将軍の身近で戦いたい」
「やめとけ」
ばっさりと、サン=シルは切って捨てた。
「アンベールの下にいた方が、長生きできる」

「長生きなんて!」
鼻息荒く、俺は叫んだ。
「平穏無事で長生きしたって、何の意味があるっていうんです!? 俺は、自分の信じる人の下で思い切り戦って、悔いなく生きたい!」
「……」

サン=シルは、じっと俺の顔を見つめた。

「君は変人だな、ダヴー」
「よく言われます」
「ドゼも変人だ。君とは違ったタイプの」
「彼と同じ評価を頂けて嬉しいです」

深いため息を、サン=シルはついた。

「ラップは元からドゼの下にいたからいいとして、サヴァリ、あいつはフェリノ将軍が可愛がってるだろ。そして、お前だ、ダヴー」
「はい?」
何の話か、さっぱり分からなかった。
「ドゼの奴、こいつは有能だと思ったら、ぐいぐい来るタイプだったんだな。よその師団だっておかまいなしだ」

「有能?」
そこを、俺は耳に止めた。
もっと褒めて! サン=シル将軍。ラップとサヴァリはどうでもいいから、俺のことだけを、もっともっと賞賛してほしい。

「意外と強引な男だな、ドゼは。長年一緒にいるが、今まで気がつかなかったぜ。なのになぜ、女の一人も落とせないのかな?」
サン=シルはサン=シルで、別の方向へ思考が逸れていったらしい。
「この間のケール出撃は、中央でも高く評価されているんだ。信じられるか? 今、ドゼは、パリで、大変な人気なんでぜ?」

「女性にですか?」
思わず聞いてしまった。
「女性にもだ」
重々しく、サン=シルは頷いた。
「なにせ、今まで全く無名だったからな。パリは今頃、ドゼを『発見』したのだよ」
 うらやましそうでは、全くなかった。逆だ。むしろ気の毒そうに、サン=シルは言った。
「無責任な人気だ。まだ若いあいつが、火傷しないことを祈る」

 サン=シル将軍は、ドゼ将軍より、4歳年上だ。軍歴開始は、士官学校を出たドゼ将軍の方が早いが、92年にフランスがオーストリアに宣戦布告するまで、戦争らしい戦争はなかったのだから、軍歴は、似たようなものだといえる。

「ま、ドゼが女に入れ揚げるなんて、ちょっと考えられないが」
「俺もそう思います」
 俺達は、頷きあった。

「彼には、決まった人はいないんですか?」
 ドゼ将軍は、俺より2つ年上だから、今年で29歳になる。それなのに、彼はまだ、結婚していない。
 彼は貴族出身だそうだが、実家が、よく黙っているものだ。

 仔細あり気に、サン=シルが首を傾げた。
「従姉妹だろう」
「へ?」
「2年前、俺が、従姉妹と結婚するって言ったら、ひどくうらやましそうな顔をしていた。きっと、故郷に残してきた従姉妹に片想いをしているに違いない」

 昔役者を志していたというサン=シル将軍は、ロマンティックな推測を展開した。
 だが俺は、全く、賛成できない。

「従姉妹はダメ、危険です。自分と同じ血を引く女性なんて、考えただけでも恐ろしい」

 極めて不快そうな顔を、サン=シルはした。
「君の従姉妹なら、そうかもしれないな、ダヴー。だが、俺のアンヌは違う。彼女は素直で優しい。俺より11歳も若いし」
 さりげなくのろけつつ、何かを思い出す表情に、サン=シルはなった。
「ドゼの奴は、報われない恋をしていると、俺は見たね。従姉妹にフられたんだ、きっと」
「はあ」
 まだ、俺は納得できない。

「だが、だからって、あれは、やり過ぎだ」
 サン=シルが言うことには、心当たりがあった。
「兵士達と女を分け合ってることですね」
「病気になるからと、俺が止めた。ああいう女の子たちは、相手かまわずだからな。金もかかるし。結婚しないなら、愛人を囲うよう、勧めておいた」
「へえ」
それはまた。荒療治を。

「なにしろやつは、休暇というものを全く取らないからな。開戦から4年半、戦場を離れたことがない」

 俺は、深い感銘を受けた。
「ドゼ将軍は、戦争が、本当にお好きなんですね」
俺も大好きだ。特に、人を殺すのが。

「好きとも違うと思う」
 サン・シルは首を傾げた。結局、うまい言葉が見つからなかったらしい。ためらいながら口にした。

「戦場に出ると、あいつは、違う人間になる。普段の慎重さや穏やかさが嘘のように、果敢で無鉄砲になる。あれじゃ、命がいくつあっても、足りやしない。俺は、あいつが、何か楽しみを知ればいいと思うよ。一時的で不安定な気晴らしの他に」

「ご実家は?」
 ついでに聞いてみた。考えたら俺は、ドゼ将軍のプライベートを、殆ど知らない。知っているのは、彼が貴族出身で、フランス中南部の出身であることくらいだ。
 あと、俺と同じ「ルイ」というファーストネームを持つこと。これは、俺が大切に心に秘めて、時々取り出しては眺めている、貴重な共通点だ。(*1)

「彼の故郷は、オーヴェルニュだ。お父上は早くに亡くなられたが、母上はまだ、健在なはずだ」
 オーヴェルニュ。大変な山奥だ。父親が早くに亡くなったのは、俺も同じだ。ドゼ将軍に、ますます、親近感が湧いた。

「御兄弟は?」
「フランソワーズという名の、お姉さんがいたはずだ。あれ、妹かな? 小さな姉妹(プティ・スール)、とか言ってたから」
「男の兄弟は?」
「知らないよ。ダヴー、お前、いやにしつこいな」
「ドゼ将軍が教えてくれないからですよ」
「だからって、俺に聞くなよ。俺が教えたってわかったら、ドゼに恨まれるだろ?」

「うーむ」
俺はうなった。
「以前、彼がヴェグーの騎士(シュヴァリエ・ド・ヴェグー)と名乗ったものですから、気になって」

 マンハイムの城壁の外へ、初めて彼を訪ねた時だ。あの時、彼は、区別するために、そう名乗っていた、と言った。今はもう、その必要はなくなった、とも。

「彼には多分、兄か弟が、いたんでしょう?」

 その兄弟がいなくなったから、彼と区別するために『ヴェグーの騎士』を、名乗る必要もなくなったのだ。
 かねがね、その辺りの事情を知りたいと思っていたから、なおも食い下がった。

 途端に、サン=シル将軍の目が、用心深そうな光を帯びた。
「君は、何を知ってる?」
「え?」
「君は、ドゼの何を知ってるんだ」
「何って……男前なところとか? やることが。顔は俺の方が上です。髪の量では負けますが」

「……。いや、忘れてくれ」
「は?」
「今、俺が言ったことは、忘れるんだ」
「はあ……」
わけがわからなかった。


 「じゃあな、ダヴー」
話は終わりとばかり、サン=シルは、馬の首に手を掛けた。
「あ、そうだ。ドゼの奴に、早く金返せと、伝えといてくれ。なにせ今や俺も、家庭持ちだからな。いろいろ、物入りなんだ」
「え? いや、あの、サン=シル将軍。ドゼ将軍も俺の愛と献身を認めてくれました。俺を中央軍に残してくれたのが何よりの証拠です」
「何を気持ち悪いことを言ってる!」
サン=シル将軍が一歩退いた気がする。構うことはない。俺は続けた。ここが押し時だと思ったからだ。
「ついでだから彼に俺を、副官として推薦して下さいよ。親友のよしみで」

「誰が誰の親友だって? 俺はそこまで悪趣味じゃないぞ」
 サン=シルが凄んだ。
 なんだか俺の存在を、全力で否定されたような気がする。気のせいか?

「あなたとドゼ将軍ですよ」
「なんだ」
見るからに、サン=シル将軍が脱力した。
「だから、言ったろう。ドゼに何かを強要することはできない。あいつは、自分のめがねに叶った奴しか、副官にしないよ」


 言うだけ言うと、サン=シル将軍は、馬に飛び乗った。









───・───・───・───・───・

*1 ドゼ将軍の全名
ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ
(ダヴーの全名:ルイ=ニコラ・ダヴー)









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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー


後の帝国元帥。勇敢で正義感が強く、有能。

えーと、これでよろしいでしょうか、ダヴー様……。

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ


ライン軍将校。前衛突撃型。少数の精鋭騎兵の先頭で馬を走らせ、敵に突っ込むタイプ。

高潔で下劣、複雑な二面性を併せ持つ。

アンベール


モーゼル軍右翼司令官から、ライン・モーゼル軍師団長へ。ダヴーの上官。

サン=シル


ドゼの戦友、ライバル。詰将棋のような、確実な戦闘をする。ドゼより4歳年上。

ボナパルニスト諸氏が言うほど、変人じゃない気が……。軍人として、むしろ、常識人。



ブログ「サン=シル」

サヴァリ


ドゼの副官。

ボナパルト時代の彼の失策を考えるに、単純な人柄だったんじゃないかな。それだけに、ドゼへの献身は本物だったと信じます。



*アンギャン公事件で、サヴァリは、憲兵隊長を務めていました。公の処刑決行を指揮したのは、サヴァリです。

 →ブログ「フランス革命からナポレオンの台頭へ1」

ラップ


ドゼの副官。勇敢だが、とにかく怪我が多いことで有名。



*ラップ視点の2000字歴史小説「勝利か死か Vaincre ou mourir

 ブログ「ラップ/ラサール」

ピシュグリュ


ライン・モーゼル軍司令官。前年のオランダ戦では、騎兵を率いて、オランダ艦隊を捕獲した戦歴を持つ。



ブログ「フランス革命戦争4-2」、参照

モロー


ライン・モーゼル軍司令官。ピシュグリュの後任。赤子が母の後追いをするように、ドゼに従う。



ブログ「ジュベール将軍/モロー将軍」

マルソー


サンブル=エ=ムーズ軍将軍。ヴァンデでダヴーと出会う。ダヴーは彼を、妹の夫にと、虎視眈々と狙っている。



ブログ「フランソワ・セブラン・マルソー」

オッシュ


ジュールダンの後を引き継ぎ、サンブル=エ=ムーズ軍司令官に。ドゼは彼を、蛇蝎のごとく嫌っている。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」

オージュロー


ボナパルトのイタリア(遠征)軍からドイツ軍(ライン方面軍)司令官に。

ボナパルト嫌いの余り、作者はこの人を、良く描きすぎました。ご注意ください。

【作者より】


純粋な史実は、チャットノベル

ダヴー、血まみれの獣、あるいはくそったれの愚か者」を、ご参照ください。

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